第7章 Part 8 悩み

【500.7】


 何が正しいのか、分からなくなった。


 シーナ・レオンヒルは、確かに大量殺人者だ。

 仮に彼女に明確な「罪」があるとして、彼女の罪は、その作品――つまり、ネットワークや女神ヴェーナ――にまで及ぶのだろうか?


 かつての人と人とが争う世界と、現在の人と魔物が争う世界、何が違う?


 ……私は、この問いに答えられない。




 何が正しいのか、分からなくなった……いや、そうじゃない。

 私は、最初から分かっていなかった。

 考えることをどこかで放棄していた。




 シェレニ村と預言者の祠、そしてネステアを旅してネットワークに隠された暗部を知った時、私は一度立ち止まった。


 あのとき、私は何て結論づけた?


「ここで投げ出したくない」

「途中で投げ出せばナターシャ・ベルカと同じだから」


 それは、本当に「答え」になっていた?

 私がアークを破壊する、確かな理由になる?


 ならない。


 結論を出すことから逃げ、それまでの惰性を続ける道を選んだだけだ。




 サイファーは、正義も悪もないと言った。


 それぞれの人間が、価値観と望みを持っているだけだと。

 私の正義は、誰にも保証されない。


 じゃあ、何をもって自分の行動を決めれば良い?

 世界の人々による総意? 多数決? 身近な人間の望み?




 魔物の消滅と引き換えに、ネットワークと女神ヴェーナを停止させることは、果たして人々が望むことなの?


 争いは無くなったりしない。


 現在は国同士が争うのをやめて、魔物との終わりなき戦いを続けている。

 魔物が消滅して、混乱が収束すれば、いずれまた人間同士の争いが再開するんだろう。


 だったら、ヴェーナによる救いがある方が、世界はまだマシなの?

 女神ヴェーナは、人の望みを反映する。

 じゃあ、やっぱりヴェーナは人の希望そのものじゃないの?


 メリールルやアーサー、ジャックはアークの破壊を望むだろう。

 それに応えたいという気持ちもある。

 でも、身内の望みだけで決められるほど、私の行動が周囲に与える影響は小さいものじゃない。






「ドロシー、どしたの? 元気ないね」

「ごめん……。

 また、見失っちゃって」

「…………。

 アタシ、馬鹿だからよく分かんないけどさ。

 あの人に相談してみれば?

 職人ギルドのサイファー」


「……え?」

「何かね、今のあんたに一番いい助言をくれるんじゃないかなって。

 上手く言えないけど、そう思っただけ」


「……。

 サイファーさんに……」




 地下街を歩く。


 今は丁度夕飯時だ。

 ワイバーンの襲撃から日も浅いが、商店街は賑わいを取り戻している。


 大勢の住人が亡くなったが、この街ではそれも日常茶飯事なのだろう。

 彼らは立ち止まらない。必死に生きている。

 貴い犠牲の上で得られた、つかの間の平和なのかも知れない。

 それでも、脅威となるワイバーンは今だけはいないのだ。


 職人ギルドの灯りは、あの日と同じように点っていた。

 扉を開ける。


 受付には誰もいない。

 一番奥の部屋、ギルド長と書かれたプレートの下がった一室から、人の気配がする。


「失礼します……」


 中ではダルク・サイファーが錬晶の作業を行っていた。


「ああ……お前か」


 サイファーは手を止めない。

「少し、見ていくか?

 ……座れよ」


 部屋の入り口で立っている私を見て、サイファーは隣の小さな丸いすを指さした。




 作業台に置かれているのは、大きな赤い色の水晶だ。

 左手で道具箱から小さな青い水晶を取り出し、赤水晶の手前に置いた。


 サイファーが分厚い眼鏡をかける。

 発光の回路術式が組み込まれたライトが彼の手元をぼんやりと照らしている。


「部屋の灯りを消してくれるか」


 側にあったランタンの灯りを吹き消す。

 部屋は暗くなり、ライトが手元の水晶を優しく照らすのみだ。




 サイファーが青水晶に魔力を込める。

 すると、キラキラと青い光を反射させながら、水飴のように柔らかくなった青水晶が宙に浮く。

 幻想的な淡い光に見とれる。


「水晶ってのは不思議でな」


 作業を続けながら、サイファーが呟く。


「ただ魔力を込めるだけでは、水晶はジュエルにならない。

 そこに、意志がなければ」


 サイファーの目の前で、青い水飴がどんどん柔らかくなる。

 引き伸ばし、丸め、また引き伸ばし……。


「人の思い、つまりウィルが、水晶の性質に影響を与えるんだ。

 ウィルに込められた意志が、水晶をジュエルへと作り変え、形を与える」


 やがて青水晶は殆ど水に近いくらいにまで固さを失った。

 赤水晶の直上で、綺麗な球形にまとめられ、漂っている。


「錬晶の行程と、出来上がるジュエルの性質との間には、実は決まった法則がない。

 同じ回路を描いても、しばしば異なる効果が発現する。

 何故だか分かるか」


 煌めく青い球体から、ゆっくりと針のように細く、液体化した水晶が流れ落ちる。

 そのまま赤水晶の表面を音もなく穿ち、穴を開けていく。


「錬晶の過程で職人が込める意志が、ジュエルの効果を決定するからだ。

 回路や紋様の形状や術式は、あくまで意志を明確化させる補助に過ぎない」


 青い液体はゆっくりと落ち続ける。

 赤水晶の中央に球状の空洞を造りながら、次第に赤水晶の中に溜まっていく。


「人の意志には、それだけの力があるということだ」


 全ての液体が流れ落ち、透き通る赤水晶の中に収まった。


「……できた。見ろ」


 手渡された仄かに温かい赤水晶。

 その表面から中央に向けて、針のように細い青水晶の通り道があり、中央に球状の青水晶が埋まるような形をしている。


「刻印状の回路なんか刻んでいない。

 だが……」


 水晶を握ると、強力な冷気が放出された。


「そのジュエルは自ら氷属性魔法を放出する。

 巨大な冷凍庫の核となる。酒場からの注文品だ」




 ランタンの灯りを点ける。

 サイファーは眼鏡を置いた。


「さて……待たせて悪かったな。

 話を聞こう」


「自分がどうすればいいのか、分からなくなってきたんです。

 アークを壊すか、それとも現状を維持するか。

 この選択は、とても多くの人々の未来を左右します。

 魔物を憎む人もいれば、女神ヴェーナに感謝しながら生きる人もいる。

 ネットワークを必要とする人も」


 サイファーは、黙って私の言葉を聞いている。


「ここまでずっと、中途半端に旅を終わらせたくないとか、一緒に行動する3人の為とか、レオンヒル個人に対する敵意とか、そういうもので自分を正当化していたことに気がつきました。


 でも、ずっと心の奥では矛盾を抱えていたんです。

 女神ヴェーナに一度救われた私は、あれが不要だなんて言えない。

 先日ワイバーン達が襲来した時だって、魔物に対する憎しみと、ヴェーナが来てくれたことへの安堵、そのどちらも感じました」


 サイファーに、自分の偽らざる気持ちを吐露する。

 不思議と、全くその行為に抵抗を感じない。


「今まで街の人やハンターギルドのみんなに『魔物発生の原因を絶つ』とは言いました。

 でも『女神を殺す、ネットワークを停止させる』とは言えませんでした。

 反対する人が絶対にいるって頭のどこかで分かっていたから。


 この国に来て、街の人々に、女神ヴェーナに、そしてシャラ・キソウに……私の行動が偽善であることを教えられました。


 そもそも私は人間ですらありません。

 そんな私が、人の未来を決めることなんて出来ない……!」


 涙が溢れそうになるのを必死にこらえる。


 サイファーは少し考えてから、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「お前が何について悩んでいるのかは理解した。

 ……まず、人間という生命体の定義はともかく、お前は人間だ。

 世界と自分の狭間で思い悩み、苦しむ。

 それは紛れもなく人間特有の行動だよ。

 産まれ方は関係ない。


 自分が愚かで不完全だと思うか?

 ……だがそれが人間だ」


 そう言って、サイファーは椅子の背もたれに身体を預けた。


「さて……難しいな。

 正直言って、俺は答えを持ってない。

 仮に俺が何らかの答えを提示したとして、それはお前自身にとっての答えではない。

 価値観によって、それは如何様にも変わるからだ。


 厳しいことを言うようだが、答えは外にはない。

 道端に転がっているわけではないし、他人から与えられるものでもない。

 自分の心の中にしかない。


 そう、心だ。


 それが人間だろ?

 ならば、どうやって共通解のない問いに答えを出す?」


 サイファーは私を見つめる。

 ……分からない。


「俺は以前お前に言ったな。

 正義も悪もないと。

 ならば、偽善もまた幻ではないか?

 善悪の天秤……言い換えれば、『価値観や望みの天秤』は各個人の心の中にしかない。


 天秤を形作るのは、お前自身が今まで生きてきた中での経験、知識、他人との出会い、喜怒哀楽……そういった無形の財産たちだ。

 人生の長短だけでは決まらない。


 俺がしてやれる助言は1つだけだ。

 自分に素直になれ。お前が決めろ。


 ドロシー、お前はどうしたいんだ?

 お前の望みは何だ?

 お前の意志は、どこにある?

 ……答えは自ずと出てくるはずだ」

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