第7章 Part 5 旧王都の底で

【500.7】


 目が合った。


 時間がスローモーションのように、ゆっくりと流れる。

 海路でリヴァイアサンと遭遇した時以来だ。


 裁定者の全身が視界に入った。

 全長3メートル余り。

 それは青白く、産まれたばかりの赤子のような形状をしていた。


 見開いた目玉は暗い灰色で、満月のように金色に輝く瞳が私達を捉えている。

 大きな頭のすぐ上に漆黒の木槌のようなものが浮いている。




 メリールルは咄嗟に裁定者の足下を抜け、地面に向かって急降下していた。


 裁定者がこちらに振り返る。

 呼吸が止まりそう。


 私は裁定者に向かって掌を掲げ、アイソレートを撃った。

 遠目でその姿を目撃してから、もし対峙した場合の対処にと考えていた動作が自然と、半ば無意識的に出た。


 見えない壁は完全な球体で隙間なく裁定者を囲み密閉した。

 裁定者の身体が小さくて良かった。

 あれが5メートルを超えていたら、一度のアイソレートでは覆いきれなかっただろう。


 逃げるだけならこれで何とか……。




「……ホギャアアアアッ!!」




 裁定者が泣き叫ぶ不気味な声が聞こえる。


 地面が近くなる。

 開け放たれた王宮の入り口はすぐそこだ。


 王宮の手前1メートルほどの場所で、メリールルが部分龍化を解除する。

 掴んでいたメリールルの左腕を離した。

 4人が地面に着地するその直前、背後で奇妙な音が鳴り響いた。




 ……ゴンッ!




 何の音?


 振り返ろうと右に目を向けると、こぶしくらいの大きさの赤黒い塊が前方に弾け落ちていくのが視界の端に入る。

 メリールルの胸元に、直径15センチほどの空洞が開いていた。


 ビチャッ……。


 赤黒い塊が地面に叩きつけられる。

 これは……心臓?


 それを認識した直後、時間の感覚が突然元に戻った。


 着地する3人。

 つまずくように地面に倒れるメリールル。


 メリールルの身体を抱きかかえる。

 アーサーとジャックにメリールルごと引っ張られ、王宮の中に転がり込んだ。




「メリールル!?」


 胸の穴から鮮血が飛び散り私とメリールルの衣服を染める。

 メリールルは、目を開けたまま私の腕の中で絶命していた。


「嘘……嘘……」


 自分の身体が急にガクガクと震えだす。

 暖かい血液と、冷えゆく彼女の身体。


「いやぁぁああああっ!!」


 そんな訳ない。


 さっきまで、今さっきまで一緒に戦ってたのに。

 私より背の高い彼女の身体は脱力しきっており、やけに重い上半身が腕にのしかかる。

 喉から逆流した血が、音もなくゆっくりと口元から滴り落ちた。


 女神様、助けて。

 私、メリールルがいなかったら……。




 そうだ……蘇生。

 確か時間干渉魔法の1つだって、サイファーさんが言っていた。


 女神じゃない。

 私が、やるんだ。


 今の残りMPは?

 ……250まで回復してる。


 メリールルの胸元、開いた空洞に両手を当てる。

 時を遡るイメージ、直前のメリールルの顔、ビジョンを発動させるときの感覚、それらを頭に浮かべながら念じた。


「死なせない……!」


 閃光が傷口を包んだ。

 しかし、何も起こらない。


 失敗した?


 何で? 発動したような感覚があったのに……!




 閃光から3秒ほど経った時だった。

 魔力がギュッと収縮するような感覚に襲われた。


 見ると、胸の穴が塞がっている。

 いや、元から穴など無かったかのように、肌も衣類も元通りになっている。


 同時に感じる鼓動。


「!! ……ゲフッッ!!?

 ゲホッ……ゴホ……オエェ……」


 メリールルの喉から、残っていた血が吐き出された。


「マジか……!

 オイ、やったな!!」

「凄い……凄いよドロシー!」


 メリールルを抱きしめる。

 今度は彼女が私を支え返す。


「良かった……メリールル!」

「え……これ何? 何で血が?

 食らったの? アタシ」


 記憶がない。


 というか、一瞬の出来事だったため、恐らく攻撃されたことすら自覚できなかったのだろう。


「そっかー。

 またあんたに助けられちゃったね~。

 ありがと」


 あたたかい。

 メリールルの身体が、あたたかい。






 王宮のエントランスから、大な扉を開けて更に奥へと進む。

 どうやら建物の中までは裁定者も追っては来ないようだ。


 そこは巨大なホールのような場所で、美しい装飾の施された柱が左右に並んでいる。

 その一角に空渉石を見つけた。


「よかった、空渉石。

 一度拠点に戻りましょう」


 私達は、命からがら帰還した。






 インジケーターを確認したところ、確かにイニシャライズが表示されていた。

 

ただ、消費MPの欄は「200+」。

 ということは、状況によって消費MPが変わるって意味だろう。

 イニシャライズは時間を遡るのだから、遡る時間が長ければ長いほど、消費MPが増えていくということだろうか。




「それにしても、一瞬何も起きなかったからちょっと焦ったよ」

「ん? 何が?」

「イニシャライズを発動したつもりだったんだけど、メリールルの傷が塞がるまでちょっとタイムラグがあって」


「そりゃ多分あれだ、詠唱時間」


 聞いたことある。

 預言者の祠で見つけた資料に書いてあったやつだ。

 ジャックが続ける。


「消費MP200なんて、そんなデカい魔法俺は使ったことねえけど、ウィルの放出から発動までのタイムラグが認識できるほどの魔法だってことだろ」

「じゃあ、戦闘中にイニシャライズを使って、その発動前に私が攻撃されたら?」

「見たことねぇから分からんけど、多分魔法自体がキャンセルされると思うぜ?」


 やっぱりそうか……。

 気を付けないと。


 ただでさえ精神を集中するのに時間がかかる。

 今回みたいに妨害なくイニシャライズが使える状況は、そう多くはないかも知れない。






 翌日、私達は再び王宮へテレポートした。


 依然として裁定者はどこかにいるはず。

 この空渉石を使って、危なくなったら拠点に帰る。

 そのぐらいで丁度良い。


「地下への階段の場所は分かるの?」

「うん。

 父上に聞いてきた。

 このホールからもっと奥へ入った先に、天楼へ登る大きな階段がある。

 その階段が地下シェルターにも通じているんだ」




 頑丈な扉をいくつか開き、王宮の中心へと進む。

 しかし、目当ての階段に辿り着く前に、私達は先へ進めなくなった。

 そこは王宮内に設けられた火神教の祭壇で、天井に張られていたはずのステンドグラスが、ガラスの破片となり床に散っている。


 そこには、一際大きな巣があった。


「これ……飛龍の巣だ」

「ワイバーンのとは比較にならないくらい大きいわね。

 何とかどかせないかしら」

「やめようぜ。空が見えてる。

 いつ裁定者が現れても不思議じゃねぇ」


 天井のない頭上には、青空が広がっている。


 確かに、もうアイツには会いたくない。

 巣をどかしている余裕は無さそうだ。


「行こう。右手の扉から出て」

「どーすんのよ? 地下は?」

「王宮の階段が使えない場合を考えて、もう1つのルートを事前に聞いたんだ。

 王立研究院の研究棟へ行こう」


「研究棟? 遠いのか?」

「いや、王宮のすぐ隣の建物。

 研究院は代々国王直属の組織で、勅命によって色々な技術や魔法を研究する、この国のテクノロジーの心臓部だったんだ。

 その研究成果は、非常時にシェルターへ退避するとき王族の命の次に守るべき資産なんだって。

 だから、研究院の地下にもシェルターへの入り口がある」


 王宮を出た。

 さっきとは違ってここは王宮の東側だ。

 周囲を警戒しながら、隣の建物に移る。


 入り口の横には、「王立研究院」と書かれた大理石のプレートがはまっている。

 かなり大きな建物だ。

 王宮と同じく頑丈で、こちらは殆ど崩落していない。

 地上4階ほどの、窓のない建造物。

 どことなく、拠点と雰囲気が似ている。




 地上階には目もくれず、地下への階段を下る。

 資料保管庫、工房、武装研究班、魔法研究班……。

 長らく階段を下った先に、いくつものシャッターが頭上に設置された廊下が姿を現した。


「ここだ。

 研究院は実験中の爆発とかも想定して建てられてるから、流石に壊れてないね。

 この廊下の先が、シェルターに続いているはず」




 長い廊下を歩く。

 突き当たりに差し掛かると、廊下は二手に分かれた。


「どっち?」

「シェルターは王宮の方角だから……左だね」

「右は? 何があるの?」

「分からない。ちょっと見てみようか」


 右の廊下の先には、今まで見たこともないような重たい金属製の扉があった。

 さっきまでと違い、部署を示す表札や看板の類は何も無い。


「何だろう……この扉、魔法で封印されてるわ。

 びくともしない」

「研究院の最深部には、古代文明の調査研究をしている区画があったって、昔聞いたことがある。

 もしかしたらそれかも」

「おい、その辺で止めとこうぜ。

 目的地とは関係ねえんだろ?」


 こういう時、意外とアーサーよりジャックの方が冷静だったりする。


 引き返し、もう一方の廊下へ。

 そしてついに、私達はシェルターに到達した。




「あれ? 扉が開いてる……。

 一応、警戒していこう」


 ジャックと私が操作魔法の準備をする。

 アーサーは腰の短剣に手をかけた。




 コツン、コツン、コツン……。


 静かな空間に、私達の足音が響く。


 シェルターは、思っていたよりもずっと広い空間だった。


 大きなドーム状をしており、天井がとても高い。

 私達が入ってきた扉のちょうど反対側の壁に、幅4メートルほどの穴、闇に包まれた洞穴の入り口が開いている。


 多分これが目当ての「満ちる凶気」へつながるルートだ。




 そして、洞穴のすぐ手前。


 そこには3つの人影があった。


 2人はシェルターの地面に伏していた。

 見覚えがある。

 ハンターギルド本部のエドワード・マーティンと、サリー・クラウス。

 行方不明になっていた2人だ。


 どちらもピクリとも動かない。


 もう1人は、倒れる2人のすぐ近くで、こちらに背を向けて座り込んでいる。

 黒いマントを羽織った背中に、三つ編みに結った金髪。


 この男は……。


「また人が来たか……最近多いな」




 男が立ち上がりこちらに振り向く。


 そう、シャラ・キソウだ。

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