第5章 Part 6 「私」
【500.6】
扉をスライドさせ、奥の部屋に入る。
さっきまでの部屋よりもずっと広く、専門的な研究器材、机と小さな椅子のほか、もう1つ、実験器具の取り付けられた物々しい巨大な椅子のようなものが置いてある。
机の上に1冊の分厚いノートが置いてあるのが目に付く。
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370年3月15日
南部出身者として初めて栄えある元老院の一員となることが決まった。
これもソフィアに込められた神のお導きによるものか。
南北の格差是正とより良い国家作りの為、一命を捧げる所存だ。
クラン家の方々には、感謝してもしきれない。
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どうやらエディ・キュリスの日記らしい。
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370年4月2日
今日から元老院での勤めが始まり、議長をはじめこれから同僚となる皆と顔合わせをした。
思った通り彼らは私のことを、いや南部出身者のことを蔑みの目で見ている。
この現状を変えられるか否かは私の働きに懸かっているのだ。
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370年5月13日
あれから1ヶ月が過ぎた。
毎日は充実しているが、依然彼らとの壁は消えない。
彼らと私の決定的な違いは宗教観にあるようだ。
彼らは民衆を動かし、多民族国家をまとめるための道具としかソフィア教を捉えていない。
彼らに本当の意味での信仰心は無い。
ソフィアの吸収とウィルの放出、つまり神との対話によって魂の安寧を得るという真理を、我々が先頭に立って実践せずしてどうするのだ。
失望を禁じ得ない。
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373年3月26日
院内で大きな配置換えがあった。
孤立した私に与えられたのは花形である政治や軍事とは無縁の宗教研究の管轄部署だった。
彼らは邪魔な私を窓際に追いやったつもりだろうが、願ってもない配置である。
ここが私の天職だ。
やりたいことはたくさんある。
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374年7月17日
人間がウィルに意志を込めるように、神もソフィアにその意志を込めているとされる。
これを確かめることができれば、神との対話をより高い次元で行うことが可能になるだろう。
神の意志を確かめるため、ソフィア対流との同期実験を半年後実行することを正式決定した。
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「ソフィア対流って何?」
「この星を流れるソフィアとウィルの流れだよ」
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375年10月30日
明日は遂に実験の日だ。
今夜は眠れそうにない。
このような実験ができるのも国の中心機関に身を置いているからに他ならない。
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375年11月1日
実験は成功した。
エネルギーの奔流の中で、私は確かに神の意識に触れた。
言葉を交わしたのではない。
お互いの意識の一部分を共有するような、不思議な感覚だった。
微睡みと絶叫の狭間で、私は神の意識にダイブした。
そして、神が我々人類の創造主であることを直感した。
だが、この言い知れぬ絶望感、虚無感は何だ?
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375年11月13日
あの日分かったことは、今にして思えばたった2つのことだった。
1つは創造主という意味での「神」が確かに存在していること。
そしてもう1つは、神が我々人類に興味がないこと。
あれは見守る者でも、裁きを与える者でも、ましてや救いの主でも何でもない。
ただの「大きな力の塊」だ。
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375年11月17日
あの日以来元老院に顔も出していない。
無気力な日々が続いた。
信仰も失った。
世界が以前とは全く、完全に別の物に変わってしまったようだ。
いや、変わったのは私の方か。
魔法が使えなくなり、ソフィアが身体を巡る感覚もしなくなった。
信仰を捨てたこの身には、もはやソフィアすら流れぬのか。
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375年12月20日
故郷に帰ろう。
だが帰ってどうするのだ?
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376年1月28日
6年ぶりに故郷へと帰ってきた。
村は相変わらず貧しい。
希望がない。
私を裏切った神へのささやかな反抗のためだろうか。
私はいつしか村の民に神の不在を説いていた。
ソフィア教の教えは嘘だ。
神は存在しない。
在るのは時の流れ、自然淘汰のみだと。
いったい私は何をやっているのだろう……?
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378年9月16日
私の話を聞いた者の多くが、私の考えに同調している。
それだけこの村は神に絶望していたのか。
私の話を聞きに、わざわざ北部から訪ねて来る者もいる。
信仰は争いしか生まない。
奇跡を起こす神などいない。
この地、この時代だからこそ、皆そのことを理解しているのだろう。
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385年5月25日
この地で宗教を捨てた者たちが、自然淘汰に命を委ねた民、『自然の子ら』と自分達のことを呼び始めた。
皆私に期待をしているようだが、私などに一体何を求めているのだろうか。
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392年11月23日
私の無意味な人生に、一筋の光明が見えた。
元老院での挫折にも意味があったようだ。
この技術を「創魂術」と名付けよう。
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以降は日記形式ではなく、文章でまとめられている。
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私の魂と身体は、あの日を境に変質した。
私という存在の境界線がソフィアとウィルの出入りを拒むようになった。
有体に表現すれば、体がソフィアとウィルを通さなくなった。
恐らく、ソフィア対流との同期時に、「神」が発する人には強すぎるエネルギーに触れ、私の存在が生命の理から少し外れてしまったようだ。
はじめは運命を呪ったが、現実を受け入れた時、私は1つの可能性を得ることとなった。
ソフィアとウィルの流れに直接この手で触れることができるようになったのだ。
人の魂がソフィアとウィルで構成された精密回路であると発見したのは、あの日からちょうど7年経った頃である。
今では、人の魂の構造を潜在意識の階層から記憶の階層まで、その細かい作りすら見える。
創魂術とは、無から魂を創造する方法である。
創魂術は魔法ではない。
魂の構造を理解し、同じものを組み立てる技術だ。
私は10年の歳月をかけて魂の構造を解明し、また創造する手法を確立した。
現在私の魂を全く同じにコピーした、言わば魂の試作品を、若くして死んだ民の肉体に定着させる実験が進行中だ。
しかし、外ではどうやら私の暗殺が画策されているらしい。
実験が終わるまで生きている確証がないため、未完ながらも研究成果として魂の各階層の構造図をここに残す。
もしも、試作品の実験が成功していれば、やがてコピーとしての私が目覚めるだろう。
その時は、人の道を踏み外した者、ストレイとでも名乗ろうか。
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以降100ページ余りに渡って魂の構造図が構築法と共に記されている。
「魂を作り出す……?
人間にそんなことが可能なの?」
「このエディ・キュリスが特別なんじゃねえのか?
元老院時代の実験の影響とか書いてあったしな」
「そして、エディ・キュリスは信者達に暗殺され、その後彼のコピーが目覚めた。
それが、魔法科学者ストレイなんだね。
彼がエネルギーサイクルの理論を実証できたのも、魔物の正体がウィルの結晶体だと突き止められたのも、ソフィアとウィルに触れ、視認することのできる彼自身の特性のお陰かも知れない」
部屋の中を改めて確認すると、この部屋にも時渉石があった。
早速起動してみる。
【485.10.8】
ライン鉱脈戦争の翌年、約15年前のこの部屋が映し出される。
誰もいない部屋に入ってきたのは、シーナ・レオンヒルだった。
シェレニ村での映像に比べてずっと若く、年齢は10代半ばだろう。
「ここが、預言者エディ・キュリスの祠……こんな部屋があったなんて……」
レオンヒルは机の上のノートを見つけ、読み始めた。
創魂術について記述されたあのノートだ。
「…………」
しばらくノートを読んでいたレオンヒルは、驚きの表情で机の上に戻した。
「すごい……。
この技術があれば、可能性が大きく広がるわ……!
ストレイと名乗っているあの魔法科学者が、エディ・キュリスのコピーだったなんて……」
レオンヒルは、何かを決心したようで、急ぎ足で祠を出て行った。
再び光に包まれた。
【494.5.1】
新しく出てきた日付は、北限でナターシャ・ベルカがストレイを連れて出て行った日から10日ほど経った頃だ。
案の定、部屋には動かなくなったストレイと、ナターシャ・ベルカが映し出された。
「師匠! 師匠!?
私です。ナターシャです。
わかりますか?」
「……お……お……ベル……カ……」
「良かった!
師匠、何とか力を振り絞って、創魂術を1回だけ使うことはできませんか?」
「ベル……カ……コピー……に……託すん……だね……」
「はい。
……これは、卑怯な私の『逃げ』です。
でも、力を貸してください。
お願いします」
「わか……った……。
これが……私達……の……精……一杯……だ」
「使う肉体は確保してあります」
そう言ってベルカは巨大な椅子のような実験器具に向けて手をかざした。
次の瞬間、そこにはかつて氷室から持ち去られたマリア・フォックスの遺体が出現した。
「私の親友です。
師匠……始めてください」
ストレイが震える手を動かし、左手でベルカの頭に触れる。
同時に右手に光が集まりだした。
しばらくすると、光は消えた。
ストレイは右掌を上に向け、大事そうに保持している。
「……そこに私の魂のコピーがあるんですか?
全然見えない……」
ベルカがストレイを支え、ストレイが右手をマリア・フォックスに当てる。
やがて、ストレイは手を下ろした。
「先……に……行って……るぞ……」
ストレイの身体が崩れ、その場に倒れた。
ベルカは、ストレイの身体を優しく抱える。
ストレイの遺体を小さな椅子に座らせたのち、ベルカはマリア・フォックスの身体の前に座り、問いかけるように話しはじめた。
「見えていますか? 未来の私のコピー」
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