第5章 Part 2 暗き大地に棲むモノ

【500.5】


「それじゃ、ワシは帝都に戻るが、本当に大丈夫かのぅ?」

「ええ。あとは自分たちで何とかします。

 ありがとうございました。

 帰り道も気を付けて!」


「……ホイッ!」


 フィオナ婆さんは引き返していった。

 私達が降りて軽くなったからだろう。

 往路の1.5倍くらいのスピードが出ている。


 あの様子なら、サンドビーストも振り切れそうだ。




「ここが……メリールルの故郷……」


 アーサーが呟く。

 その光景は、言葉にできないものだった。


 十数年のうちに、木造の家屋には苔とツル状の植物が纏わり付き、村全体を不気味な緑色に変えてしまっている。


 メリールルも、幼少期を過ごした場所のあまりの変わりように絶句している。


 湿度が高く、蒸し暑い。


「確か……こっちにアタシの家があったはず……」


 地面の苔のため、足音がほとんど立たない。

 気味の悪い静寂が、私達の神経を逆撫でする。


 メリールルに従い集落跡を歩いて行くと、やがて彼女は1つの民家の前で立ち止まった。


 ここが、メリールルのかつての住まい……。

 他の家屋と同様、苔と植物に覆われている。




 ギィィィ……


 現実と思い出とのギャップに一歩を踏み出せないでいると、突然扉が開いた。


「誰!?」


 メリールルの家から出てきたのは、黒く半透明な、霞状の物体だった。


「気を付けて、メリールル!

 これも魔物だ!」


 アーサーが注意を促す。

 事前に調べた情報によると、ゴーストと名付けられた魔物だ。

 半透明な霞は次第に濃くなり、やがて宙に浮く髑髏を形作った。


「その場所から離れろ……!

 家を、壊したくない……!」


 絞り出すように、メリールルが唸る。


 ゴーストは、不気味な呼吸音を立てながら、こちらに飛んできた。

 メリールルとアーサーがナイフと剣で応戦するも、霞には全く手応えがない。


「ダメだ……。

 この敵、物理攻撃が通じない!」


 2人は何らかの弱化魔法をかけられたようだ。

 恐らく体力減少だろう。


「ブチ殺す……!」

「メリールル、逆上してはだめ!」


 しかし、メリールルは冷静だった。

 真横へと伸ばした右腕の先、掌から光の輪のようなものを発生させた。


 そして、そこから巨大な影が伸びてゆく。

 ……氷龍の前足だ。


 以前から練習していた部分龍化。

 出来るようになっていたんだ。


「うおおおああッ!!」


 腕の先から2メートルほど伸びた巨大な前足で、ゴーストを切り裂く。


 ゴーストにダメージは通っていない。


 氷龍の爪に沿って一度離れた霞が、また元通りに繋がっていく。

 だが、切り裂いた場所の空気が、パキパキと音を立てて凍り始めた。


「キィィィィイイ……!」


 ゴーストは弱い悲鳴を上げながら、闇の中に消えていった。

 撃退に成功したらしい。




 扉部分のツルを引き剥がし、家の中に入る。

 一層強い湿気と、木の腐った匂いが漂っている。


 台所には黒く固まった食事の用意の跡、綺麗にしまわれた衣服、壁に掛けられたまま錆びた農作業の道具……。


 生活感はそのままに、突然主が不在となり、朽ち果てた家……そんな印象だ。


 メリールルが、テーブルを見つめて凍り付いた。

 そこには、堅い木材の表面をえぐり取るように残った、爪の痕。


「多分……アタシはここで降魔の初期症状を発症した……。

 『聖夜』、この村の成人式の日だ」


 そして、その日の夜、あの事件が。


 爪痕をジッと見ていたアーサーが口を開く。

「ちょっと待って、メリールル。

 この爪痕は、龍化した君の爪より、大分間隔が狭いよ。

 これが君の龍化の痕跡だとしたら、その当時は今みたいな完全な龍化は出来ていないはず。

 せいぜい我を忘れて暴れるくらいじゃないかな?」


「ああ……。

 この頃はまだ魔物も発生していないしね。

 龍に変化出来るようになったのはもっと後、エルゼ王国に渡ってから」


「それなら、やっぱり君の暴走が悲劇に繋がったとは考えにくいよ。

 君たち一族には強力な魔法使いが沢山いたはずだ。

 周囲の状況をもっと調べてみよう」

「確かにそうね。

 メリールル、広場に行ってみよう?

 皇帝もそこが現場だと言ってたわ」




 私達は、メリールルの生家を出て町の東側のはずれに向かった。

 ここからだと墓場を突っ切った先に、村の広場があるという。


 墓場の手前で、再びメリールルが足を止めた。

 墓場の脇に、小さな小屋がある。


「あの小屋が、地下牢の入り口。

 暴れてたアタシは、意識が戻るまであの下に監禁されてた」


 突如、墓場から黒い風が舞い上がった。

 大量のゴーストだ。


「来やがった!

 応戦するぞ!

 囲まれねえように、外柵を背にして固まるんだ!」


 メリールルが右腕の部分龍化を発動する。


 ジャックが水を薄く膜状にして、私達の周りに展開する。


 ゴースト達が一斉にこちらに近づいて来た。


 ジャックの水の膜に阻まれるものの、隙間から少しずつ黒い粒子が侵入してくる。


「メリールル、今のうちにやれ!!」

「ああ!!」


 バシュッ!!


 メリールルが大きく振りかぶり、水の膜ごと右腕で薙ぎ払った。

 すぐに水と周囲の空間が凍ってゆく。


 黒い粒子は霧散し、見えなくなった。


 空中の氷がガラガラと地面に落ちる頃、地下牢の方から赤黒い煙が立ち上ってくるのを、アーサーが発見した。


「メリールル……あれは……?」

「分かんない。

 でも敵でしょ?」


 メリールルがぶっきらぼうに答える。


 赤黒い、乾いた血のような色の煙は、やがて正面の1か所に集まり始め、次第に等身大の人型のように形を成しつつある。


「こいつ……。

 ハンターギルドがユニークターゲットに指定した、『血霞』じゃねえか?」


 血霞。


 事前にハンターギルドで聞いていた、このエリアのボス。

 どうやら逃がしてはくれなさそうだ。


「さっきまでのゴーストと変わんないでしょ!?」


 メリールルが先ほどと同じように血霞を爪で切り裂く。

 しかし、凍結が始まらない。


「何でよ!? 凍らない!」


「一度下がって、メリールル。

 落ち着いて対策を考えよう?」


 メリールルは聞いてくれない。

 その後も爪を振るうが、凍ることなく、血霞はその場にたたずんでいる。


 3度目の攻撃の直後、血霞がメリールルに向けて急に接近した。

 血霞の手と思しき部位が、メリールルの首に纏わり付く。


「う……ぐ……!」


 メリールルは必死に抵抗しているが、振り切れない。

 アーサーが短剣で首すれすれを薙ぐ。

 すると、バッと赤黒い煙が霧散し、また空中に集合し始めた。


「おい、大丈夫か?」

「平気だよ……。

 ただ、ちょっとMPを持ってかれた……」


 メリールルが立ち上がろうとして尻餅をつく。


 ドレイン。

 レーリア地下道の魔物と同じ、MPを吸収するタイプだ。

 一度に体内から大量のソフィアを抜かれ、足腰に力が入らなくなっている。

 それだけではない。


「あれ……?

 目が……見えない……!」

「ドレインと、それに視覚妨害魔法か。

 厄介だな……。

 一旦下がってろ。

 少し待てば回復する。


 ……それにしても、どうする?

 コイツ煙の量が多いし粒子が細けえ。

 水の膜でも防げねえぞ。


 しかも奴自身は物理攻撃も属性魔法も効かねえとなりゃ、手の出しようがねえ」


「勝機はあるよ。

 さっき腕に斬りつけた時、わずかに刃が触れた感触があった。

 集合して物質化している状態なら、こちらもダメージを与えられそうだ。

 すぐに消えちゃったけど……」


「ってことは、ずっと物質化させ続ければいいのね?

 私のアイソレートを使えないかしら?」


「どうやって追い込むんだ?

 こいつすぐすり抜けるぞ!?」


 作戦が立たないうちに、再度血霞が攻撃を繰り出してきた。

 今度はアーサーを狙っている。


「来るぞ!」


 ジャックの水の膜がいくらか侵攻を食い止めるものの、大して時間は稼げない。

 水越しに密集しかけた部分に向かって、アーサーが斬りかかろうとする。


「あッぐ……!!」


 しかし、悲鳴を上げたのはアーサーの方だった。

 見ると、右手の人差し指が真横に折れ曲がっている。

 今の一瞬のうちにやられた?

 この魔物、私達の攻撃の特性を既に見破っている……?


「大丈夫。

 治癒魔法をかければそのうち治るよ……」


「クソッ……。

 もっと完全に遮断しねえと。

 こりゃ、また『壁』に頼るか?

 ドロシー、今のお前なら何回壁を出せる?」


「連続なら2回でMPは空。

 もう1回分MPが溜まるまでには10分はかかると思う」


「そうか……失敗出来ねえな……」


 メリールルが立ち上がった。

 強力なジュエルのお陰だろう。

 MPの回復が早い。


 だが、目はまだ見えていないようだ。


 対策が浮かばないまま、血霞の侵攻が再開された。

 再びアーサーが狙われている。


 今度は私達の周囲を取り囲んだ後、一斉に四方八方から煙が伸びてくる。


 しかし、血霞の攻撃は、激しいつむじ風によってかき消された。

 再度血霞が集合し、今度は前方から突っ込んでくる。


 またもや後方から強い風が巻き起こり、血霞の接近を阻む。


 何? 誰がやってるの?


「へへへ……そういうことか……」


 巻き上がる風の中、不敵に笑ったのはジャックだった。

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