第3章 Part 4 海のヌシ
【500.5】
海路3日目、5月13日。曇り。
あれ以降、1日に二度か三度、魔物の襲撃がある。
ネクタルは3分の1ほど消費してしまった。
「ジャック~、あと何日で着くの~?」
ダルそうにメリールルが問いかける。
「今、全体の行程のちょうど半分くらいだ」
「は~~。そっか~~……」
メリールルは昨日からずっと私に膝枕されている。
本人曰く、この状態が1番回復するそうだ。
ジャックは船を走らせるだけでも常にMPを消費し続けている。
日中の間は、ネクタルを飲み、効果が切れてはまた飲みを繰り返している。
目の下に、クマができ始めている。
彼の健康は、大丈夫なのだろうか……?
私は膝枕をしながら周囲を警戒し、アーサーが船室で食事の準備などをしている。
本当は役割を逆にしたいのだが、メリールルが許してくれない。
夜になると、アーサーと私が交代で見張りを行う。
朝起きて、昨日のご飯の残りを食べる。
それまで見張り役をしていた方が、揺れる船室で仮眠につく。
いつしか、皆が疲れ果て、会話はほとんどなくなった。
船旅、正直全然楽しくない。
その日の午後は嵐になった。
黒雲が広く立ち込め、日中だというのに妙に暗い。
ジャックが何かに気付き、声を上げた。
「クソ……最悪だっ……!!」
それは、荒れる波間に突如現れた、海底の黒い影だった。
最初はそれが何なのか分からなかった。
ただ、いつもは深い青色の水底が、暗く、黒い。
やがて、それは海底からゆっくりと浮上してくる、巨大な何かだと認識した。
「お前ら掴まれ、全速力で逃げるぞ!!
アーサー! ネクタル2本!」
ジャックの慌てぶりが半端じゃない。
すぐに船体を直角に方向転換させ、海底の影から離れる方向に船を走らせる。
アーサーがネクタルを手渡しながら尋ねる。
「ジャック、何が来るの?」
「海のヌシ……リヴァイアサン」
「リヴァイアサン?」
「海域の魔物の頂点……。
いや、あれ以上の魔物なんて……」
海が縦に割れた。
嵐の中、その巨体が姿を現した。
と言っても、その全体像はここからでは把握できない。
巨大な鱗。
1枚が1メートル四方を越える。
逃げる船の後方40メートルほどの所に浮上した胴の太さは、シーハンターの比ではない。
そして、右側にも左側にも、悠然とくねりながら泳ぐ胴が、水平線まで続いている。
まるで巨大な蛇だ。
胴に付いている巨大な背ビレが、海面から出ている間、風に吹かれバサバサと不吉な音を立てる。
何て大きさだ……。
胴の太さ20メートル以上、体長は何キロメートルあるか分からない。
ジャック以外の3人は、あっけにとられ、無言で見つめる。
メリールルの膝が、ガクガクと震えている。
船は全速でそこから離れつつあり、リヴァイアサンの胴体が次第に遠ざかってゆく。
すると、今まで等間隔に上下にくねらせていた胴体が一度止まり、やがて全て水面下に没した。
「やべえ……! やべえ……!」
ジャックは速度を緩めない。
しばらくして、遙か左後方に巨大な水しぶきが上がりった。
リヴァイアサンの頭が海面から浮上する。
巨大なワニのような造形に、左右一対の長いヒゲと大きな赤い目。
そして、顔はこちらを向いている。
リヴァイアサンは、狙いを定めると、もの凄い速度で泳ぎ始めた。
見る見るうちに、船との距離が詰まってゆく……。
「ジャック、どうする!? 戦う!?」
覚悟を決めたメリールルが、嵐の中ジャックに向かって叫ぶ。
「無理だ!
勝ち目なんかあるワケねーだろ!!」
「でも、このままじゃ追いつかれる!」
「クソ……! やってくれるか!?」
「やるよ!!」
「…………。
限界まで近づいて来たら、その辺の海ごと凍らして足止めしろ!
そしたらすぐ戻ってこい!
すまんが俺は助けてやれねえ!!
奴とやり合うんじゃねえぞっ!!
あと、龍化する前に、ネクタル5本いっとけ!」
「分かった!!」
「あああ! 気持ちいい~~~!!」
メリールルが叫んだ。
カラ元気だってことくらい、私にも分かる。
「行ってくる!」
「メリールル!! 死なないで!!」
ピカッ……!
バリバリバリ……!
雷鳴が轟く。
光とともに氷龍は飛び立った。
船の後方20メートルほどの場所で、氷龍とリヴァイアサンは相まみえた。
リヴァイアサンの頭部は、それだけで氷龍よりも遙かに大きい。
その光景は、一度氷龍の恐怖を味わった私にとって、ことさら絶望的だった。
氷龍が凍結のブレスを吹く。
周囲の海面が凍り付き、リヴァイアサンの動きが一瞬止まる。
その隙を、氷龍は見逃さない。
素早くリヴァイアサンの顔面に近づき、鋭い爪で左目の辺りを斬りつけた。
しかし、その顔に、眼球にすら、傷1つ付けることが出来ない。
表皮が恐ろしく硬い。
リヴァイアサンが、軽く身じろぎした。
たちまち凍った海面が割れる。
大きく山のような口を開き、海面を呑み込みながら氷龍との距離を一気に縮める。
氷龍が身をよじり、紙一重で奴の牙を躱す。その刹那、鈍く光る右目に直接ブレスをお見舞いする。
しかしその直後、リヴァイアサンの長く伸びたヒゲがしなり、鞭のように氷龍の身を斜めに叩き付けた。
ギャッ!!!
氷龍は短い悲鳴を上げながら後方へ吹き飛ぶ。
だが、まだやる気だ。
お願い、メリールル……戻ってきて!!
氷龍は3回目のブレスを吐き、再度海面とリヴァイアサンの首元を凍らせる。
ブレスが切れると、氷龍は戦線を離脱した。
こちらに向かって必死に翼を羽ばたかせている。
船と氷龍との距離は開き、今はおよそ300メートル。
氷龍が船上に戻った頃、氷の割れる音が聞こえた。
メリールルは、突然降魔の変身を解いた。
船の上めがけて落下してくるが、着地に備える様子がない。
アーサーが間一髪でキャッチした。
見ると、メリールルの革鎧が赤く血に染まっている。
腹部からの出血が見える。
「メリールル!? メリールル!?」
応えない。
既に意識を失っている。
リヴァイアサンのヒゲに打たれた、その一撃だけでこのダメージ……。
「ドロシー! 揺らさないで!」
アーサーがメリールルの出血部に手を当て、魔法をかけ始めた。
「強化魔法で自然治癒力を上げる!
同じ効果のジュエルもあったはずだ!
持ってきて!!」
船室に降りてジュエルを探す。
……あった!
甲板に戻って後ろを見上げたとき。
リヴァイアサンの巨大な頭部が、すぐそこに迫っていた。
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