第1章 Part 4 木を切ろう

【500.4】


 豚肉と野菜のスープを作った。


 ファラブス運営からのメールを読んだ後、野菜に隠れて袋に入った塩も支給されていたことに気付き、まずは調理場で小一時間、果物以外の食材を鍋で煮込む。


 木製の深い器に1人分をよそってから、口に運んだ。

 そう。やっぱり食べ物だよ。

 体だけでなく、心の健康に必要なのは。




 ……ふう~。






 さて、当面の活動方針を整理しよう。


 まず、最終的な目的は、私の記憶を取り戻すこと。

 そのためには、記憶を蘇らせる手がかりを探す必要がある。

 結局この建物――これからは「拠点」と呼ぶことにする。家とは言いたくないし――の内部には、記憶を呼び起こすものは何も無かった。


 次に、目的達成のため目指すべき目標は3つだ。


 1つ、死なないように、生きるため必要な物と能力を揃える。

 2つ、自分以外(そしてカイ以外)の人間を探し、基本的な情報を集める。

 3つ、最寄りの町に到達する。そこで私のことを知っている人に会えれば最高だ。


 そして、それらのための目先の目標。


 まずは、やっぱりお金だ。

 商人ギルドの販売物品一覧を見て、一通りの物資は購入できることが分かった。金さえあれば。


 ということで、木を切って、商人ギルドに納品して、お金を稼ぐ。

 差し当たって端末利用料金の5DGはとっとと稼いでしまおう。






 出発する前に、例の『魔法習得の手引き』を一通り読んでみた。


 読んで良かった。

 魔法とは何か、魔法の種類は何があるのか、魔法能力を高めるには何をすべきか、全部書いてある。


 どうやら大気中には、魂のエネルギー源である「ソフィア」という物質が満ちている。

 全ての生命は大気中のソフィアを吸収し、魂の維持に必要なエネルギーを消費する。

 すると、ソフィアはエネルギーを失う代わりに生命から意志の力を取り込み、その姿を「ウィル」へと変化させる。

 ウィルは体外に放出され、空へと還るのだ。




 魔法とは、ウィルを使って発動させる「エネルギーの状態変換」らしい。

 発動のトリガーになるのは、ソフィアに込める人の意志、その中の魔法のイメージだ。


 魂の内部でソフィアがウィルに変わる際、人は特定の魔法のイメージを込めることができる。

 すると、そのウィルが体外へ放出される時、魂の活力として消費されなかった残りのエネルギーがイメージに沿った魔法現象に変換され、発現する。


 火のイメージなら火に、電気のイメージなら電気に。


 その後、ウィルは大自然の中で再びエネルギーを取り込むと同時に人の意志を失い、時間をかけてソフィアへと戻る。

 このソフィアとウィルの循環を、「エネルギーサイクル」というそうだ。




 エネルギーサイクルの過程で、生物が体内に吸収し貯蓄できるソフィアの総量をソフィア・キャパシティと呼び、反対にソフィアに還るのを待つウィルが大気中に存在できる総量をウィル・キャパシティと呼ぶ。


 ウィル・キャパシティは無限であるのに対し、ソフィア・キャパシティは有限で、生物の個体各々により異なることが古くから知られている。

 ソフィア・キャパシティの大小は、生物に備わる臓器の1つ「神臓」の性能によるようで、このソフィア・キャパシティを数値化したものを俗に「最大MP」とか言うらしい。




 最も興味深かったのは、魔法の分類の項目だ。


 魔法は、大きく分けて3つの種類に分類される。

 基礎魔法、補助魔法、特殊魔法だ。


 基礎魔法は、炎、氷、雷に代表される属性魔法と、対象(ただし動く生き物以外)を意のままに操り運動させる操作魔法に細分化される。

 これらが最も一般的な魔法であるらしい。


 補助魔法とは、対象の機能を強めたり、逆に弱めたりする強弱魔法と、生物の五感、特に視覚や聴覚に影響を与える感覚魔法を合わせた呼び名だ。

 イメージとしてはマイナーだが、実生活の中で使われる率はかなり高い。


 そして、特殊魔法。

 特殊魔法は、分類上基礎魔法と補助魔法のどちらにも属さない、「それ以外の魔法」のことだ。

 特殊魔法については、詳しい記述がなかったが、発現するのは結構まれで、全く同じ性質の特殊魔法を複数の人間が獲得することは滅多にないそうだ。


 つまり、私が使えるようになった「空間干渉魔法」っていうのは、超貴重な特殊魔法ってことだ。多分。




 そして最後に、魔法を扱う適性について記述されていた。

 そもそも、人が魔法を扱うには適性が要る。

1 まず、「大気中のソフィアをたくさん吸収できる」こと。

2 次に、「ソフィアをウィルに変換する際に、特定の魔法のイメージを強く送り込める」こと。

3 そして、「ウィルを体外にまとめて放出できる」こと。


 2ができない者は全く魔法が使えない。

 また大抵の人間は基礎魔法を全種類扱えるなんてことはなく、多くて2~3種類、下手をすれば操作魔法しか扱うセンスが無いことも多いらしい。

 1と3ができない者は物質に大きく影響を及ぼせる規模で魔法を発現させることができない。

 魔法の能力を向上させるには、その魔法を何回も使ってイメージを定着させること、長い修練を経ることで少しずつ最大MPを拡張させること、この2つが重要だそうだ。


 要するに、たくさん練習しろってこと。






 では、準備もできたところで、外界の探索を開始しよう。

 操作魔法で斧を宙に浮かべ、エントランスの大扉を開けた。


 外は陽が少し傾いたくらいの、午後のまだ明るい時間帯だった。

 拠点には窓がないから、時間感覚がよく分からなくなるんだよな……。

 草原の背の低い草が弱い風に揺れている。

 探検するには良い天気じゃないか。

 私は一歩、大扉から足を踏み出した。




 少し歩いてから振り向くと、四角く左右に長い拠点の灰色レンガが草原の真ん中に鎮座している。


 いや、ちょっと待ってよ。

 拠点、透けて見えてない?


 引き返して拠点に近寄り観察する。


 やっぱり透けている。

 後ろにまばらに生える木々が、拠点を通してうっすらと見える。

 しかも、拠点から影が伸びてない。今、私から見て太陽は拠点を挟んで向こう側にある。

 それなのに、こちら側に拠点の影が全くない。

 外壁に触れてみる。

 ちゃんとさわれる。空渉石の時と同じだ。


 あ、分かった。感覚魔法!


 恐らくだが、半永久的な感覚魔法(その中でも視覚魔法)が建物全体にかけられているんだ。

 でも、だったら完全に消えてないと意味ないんじゃないか?


 それに、建物内と同じ灰色のレンガ造りではあるものの、拠点の外壁をよく見ると、それは一方向にそろった「レンガ壁の切断面」だった。

 堅いレンガがスッパリと切れて風に晒されている。

 一体どんな鋭利な道具で切ったのだろう。

 何のためにこんな姿をしているのだろう。


 うーん。分からない。


 分からないことは、考えない。行こう。




 少し歩くと、拠点から見えていた森の近くまでたどり着いた。

 遠目だと分からなかったが、結構大きな森だ。

 改めて周囲を見回すと、拠点が建っている草原は、実は大きな岬の上にあった。


 森に入らずに、ひとまず辺りを散策する。

 拠点の出入り口から反対方向に進むと、やがて切り立った崖に行きつき、その先には、ずっと下方に海が見える。

 崖はかなりの高さで、誤って落ちればまず助からないだろう。




 一通り拠点の周辺を見て回ったところで、森の中に入ってみる。


 丁度良い入口のような部分があり、道が森の奥まで続いている。

 広葉樹林が生い茂り、入ると少し薄暗い。

 森の中というのは案外静かなものでもなく、虫や鳥たちの鳴き声、風で草木が擦れあう音などが、四方から聞こえる。

 案の定、人はいない。


 さて、仕事を始めよう、木こりのドロシー。


 昨日暴走させた時よりは、斧は指示を聞いてくれている。

 さっきまで、結構な時間歩きながらずっと斧を浮遊させていた。ただ浮かべていた訳ではない。

 自分が歩く。斧も自分と同じ方向に、同じくらいの速度で移動させる。

 自分が止まる。斧もその場で動きを止めさせる。でも落としてはいけない。


 今はまだ、私には操作魔法の「自動実行」は無理だ。

 だから、常に斧に対する命令を更新し続けなければならないのだ。

 これだけでかなり神経を使う。

 操作を間違えて怪我でもしたら堪らない。


 森の中に入っていく頃には、拠点を出た時点と比べると、格段に斧の軌道が滑らかになった。

 いわゆる練習の成果ってやつよ。


 大き過ぎない手頃な木を選び、狙いを定めて斧を振り下ろす。

 加減して弱めに。


 カーンッ。


 乾いた音とともに、斧身の磨かれている部分が木の中に埋まり見えなくなる。

 引き抜いて、再度振り上げ、下ろす。

 3振り目で直径50センチ程の幹が地を離れ、そのまま向こう側に無造作に倒れる。


 できた。これ結構大変だぞ。

 浮かせているだけとは訳が違う。

 でも、楽しい。初めて味わう達成感。


 続けて5本、6本と、同じくらいの木を切り倒していく。


 丁度7本目の伐採を終え、哀れな標的が音を立てながら地面に転がったとき、私自身もまた、無造作に土の上に転がっていた。




 体がいうことを聞かない。




 刃で怪我をしたわけではない。

 ついさっきまでは、何事もなかった。


 何が起きたのか、回らない頭で必死に考えた末、手引きに載っていた一文を思い出した。


________________ _ _

 ソフィア・キャパシティの大小は、生物に備わる神臓の性能に依存しており、これを数値化したものが、所謂「最大MP」である。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄  ̄


 そうか。MPが尽きたのだ。


 無様な姿勢でようやく自身の状況を理解した頃、目の前の茂みをかき分け、彼女の膝下ほどの大きさの生き物が、青いゲル状の体を揺らしながら現れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る