第19話 Opening



 pi……pipi……pi……。


「わきゃっ!?」


 静寂を打ち破る電子音に、私――駒井縫依は悲鳴を上げた。

 引っかけて跳ねたusbケーブルが机の上の指人形ズを薙ぎ払う。

 パタパタと倒れ、転がり、床に落ちる。


「あー……、やっちゃった」


 アラームが響く中、ひとつひとつ拾って、丁寧に並べ直す。

 この子達は病院の中からの付き合いなのだ。

 もう随分と色あせてしまっているけれど、手放すつもりはない。


「他は大丈夫そうかな……?」


 ざっと見渡し、ほっと一息。

 アラームを止めつつ、考える。

 もう少し整理した方がいいだろうか。

 新しく大きなデスクは、自分でもどうかと思うぐらい雑然としていた。


 ……これでも減らしたつもりだったんだけど。

 押し入れの半分を占拠する戸棚の中には捨てられない品物を大切に保管している。

 天板に置いてあるのはその一部だ。


「縫依ー? 

 もう始まるわよーっ!」


「はぁーい、今行く!」


 断捨離への葛藤は棚上げにして、私は散らかった自室を飛び出した。

 ……まだ引っ越してきたばっかりだから! 


「あっ……っととと、忘れるところだった」


 数歩歩いてUターン、イヤフォンとAiDを両手に握って階下へ急ぐ。

「なにバタバタしてたのよ」お小言には答えず、左隣に座った。

 ――正面のテレビ画面には、ここ3日、狂ったように観たゲームの映像が流れていた。

 明日、実施されるアップデートの予告なのだという。


「凄いわね」


 無反応を気にした風もなく、母は言った。

「なにが?」聞き直すと、無言でホロディスプレイが飛んでくる。

 ゲームを専門とするニュースサイトの記事だった。

 『Pilot2 Deluxe』の受注が半年後まで埋まったこと、通常版の予約がどの販売店でも消滅したこと、いくつかのフリマアプリで行われている無在庫転売への注意喚起……。


「この放送も、もう50万人観てるんだって」


「へぇー」


 凄い数字だ。

 初動でそれなら、過去の例からして同時接続数は100万人を越えるだろう。

 国内限定のイベントとしてはトップクラスの集客と言える。


 母は、つまらなそうに大画面を眺めていた。


「ね、お母さん」


「なあに」


「どうして聖さんと結婚しなかったの?」


 ずっと、聞かないようにしていたことだった。

 聞くに聞けなかったのだ。

 気恥ずかしいし、恐ろしい。

 どんな答えが返ってきたとしても、聞かなければ良かったと思ってしまいそうで。


 聞こうと思ったのは、実際に聞いたのは、どうしてだろう。

 自分の行動に問いかける。

 今もまだ、私は、私のことを許せないでいるのに。


「あなたがやらかしたせいじゃないわよ」


 こちらを向くことなく、ぶっきらぼうに母は言った。


「あなたたちのためだったのはそうだし、私から言いだしたことでもあるけどね」


「それは知ってる。

 聞いたし」


「え?」


「黙ってたけど、前の家、私の部屋からだと脱衣所の音ぜんぶ聞こえてたよ」


「……」


 いっさい気づいていなかったらしく、母は絶句していた。

 申し訳ないけれど、本当のことだ。


「早く言いなさいよもう!! 

 ええ!? 

 じゃあなに?

 私の独り言と聖さんとの電話、聞いてたわけ? 

 ずっと!?」


「……はい」


 母の顔は真っ赤になっていた。

 訂正するなら自分から聞いていたのではなく不可抗力的に聞こえてしまったのだけれど、あえて波風を立てる必要はないだろう。

 ……それならそもそもこんな話題を出さなければ良いという話になるけれど。


 ただ、言葉にしたこと自体に後悔はなかった。

 それは気を遣われているんじゃないかという後ろめたさから解放されたからかもしれないし、母が怒っていなかったからかもしれない。

 本当のところは、わからない。


「じゃあわざわざ聞かなくても分かるでしょ」


「……でも、聞きたい」


「……そ」


 迷ったまま、躊躇いに反して、私は母の言葉をせがんでいた。

 まるでスーパーでお菓子をねだるこどもだ。

 自己嫌悪が胸に刺さる。


 そんな私を置いて、母は語った。

 壁越しに聞いた話との間に差異はなかった。

 母を見る目が変わることもない。


 母は、どこまでいっても私のお母さんだった。


 ――それが確認したかったのだと、自分で思い、胸に落とす。


『――さあ皆さんこんにちは!! 

 今年もプロアマ交流戦の時期がやって参りました!!』


 スピーカーから溌剌とした声が響き渡る。

 見れば、現実のそれと遜色ない青空を背負い、背の高い大柄な男性が声を張り上げていた。


「あら大吾郎さん」


「……よく分かるね?」


「ちょっと作ってるけど、声、同じじゃない」


「ええー?」


 大吾郎おじさん――本人がこう呼んでほしいと言うのだから仕方ない――とは、小学生の頃に会ったっきりだ。

 知り合いのこどもにお小遣いを配るのを趣味としている……と言うとなんだか変態的だけど、甥っ子の友達でしかなかった私にも良くしてくれた優しい人だ。

 あっいや、状況から推察される母と聖さんの当時の関係を思えば、弟の彼女の連れ子ということになるのだろうか。

 まあなんにせよ良い人なのは間違いない。


『本日はお日柄も良く、なんて挨拶が無粋に思われるほどの絶景、お楽しみいただけているでしょうか。

 VRというもの――iVRじゃありませんからねみなさん――VR機器が世に出てきた当初から知っている身からすれば、いやあ、いよいよ来るところまで来たなという印象ですよ。 

 今の子達が羨ましい! 

 ……というとちょっとオジサンくさいですかね? 

 第10回プロアマ交流戦、実況を務めさせていただく森のオッサンこと森野熊でございます!!』


「っていう台詞がもうなんかオジサンじゃない?」


「こら」


 じゃれあっている前で、大吾郎おじさんはスポンサーへの謝辞を述べていた。

 かつてない規模の支援をいただいたとかなんとか。


 資金力は『空を飛ぶ船の甲板に作られた野外劇場』をイメージしたのだというワールドの完成度に表れていた。

 景色がぐんぐんと流れ移り変わっていく。

 大吾郎おじさんが立っているのがステージで、それを取り囲むように配置された観客席には、姿形もさまざまなアバターが大勢座っていた。


「いろいろあるのねえ。

 水色の……ポ○モン? 

 大丈夫なの、いろいろと」


「そもそも違うから」


 母はゲームに対し根本的に関心が薄い。

 私だってそこまで詳しいわけではないけれど、ここ数日でいろいろと調べたし、友達付き合いで自然と身についていた知識もある。

 頓珍漢なことを宣う母に紹介される出場選手のことを説明するのは、立場が逆転したみたいで、なんだか楽しかった。


 ――MieCro一矢君が画面に映ったのは、最後の最後だった。


「あら染めちゃったの?」


「……わざとやってるでしょ」


「バレた?」


 スーツを着てネクタイを締めた一矢君は、見るからにその場を楽しんでいた。

 声は聞こえないけれど、トッププロふたりに囲まれ、和気藹々となにやら熱心に話し込んでいる。

 カメラが来ていることにも気づいていなかったらしく、白髪の女性にちょいちょいとつつかれ、顔を赤くして座り直す仕草は……アバターでも、一矢君のものだった。


「馴染んでるわねー」


 母が言う。


「右の方、Deltaの榊原さんでしょう。

 私でも知ってる有名人じゃない」


「……この町に住んでて知らなかったらヤバいよお母さん」


「左の女性は……、どなただったか、見覚えはあるんだけど」


「名前出てるでしょ、ソフィア・スミスさんだよ」


「そんなお名前だったかしら」


「カガチタツミっていう名前でも活動してる人だから……」


 ――自分の声が一挙に湿り気を帯び、気分もどんよりと沈み込んだのは自覚していた。

 なにやら準備でもしているのか、カメラは高空に飛び上がり、劇場の全景を写している。

 彼がどこでなにをしているか、探そうとするまでもなく見つけてしまう。


 独占欲は、失われてなどいない。

 おこがましいと自制できるだけで。


「あなたねえ、シャンとなさいな。

 どうするにせよ、これからでしょう」


「……うん」


 未熟だった。

 今も、変わらない。

 けれど、いつかは変われるかもしれない。

 そう信じて、生きるだけ。


 やだな。


 誰にも聞こえないところで呟いた。


 何時か、なんでもなかったかのように、放り棄てる。

 その未来を想像し、それができる自分を思い描く。


 やだな。


 もう一度、恥知らずに拒絶した。


 そうこうしている間に、舞台には新たな人物が登壇している。

 この町はもちろん、世界的にも高名な選手だった。


『御年35歳にして国内プロシーンの最前線をひた走り、世界に挑み続けるこの男、皆さんご存じ、我らがレジェンド!! 

 『Delta』チームリーダー、大和泉おおいずみ嘉見人かみひと氏を解説にお呼びしています!! 

 嘉見人さん、先日はお誕生日おめでとうございました』


『いやあ、歳のことは言いっこなしでしょう。

 見ましたよ、例の動画。

 熊先輩も老いてなおお盛んなようでなによりです』


『ちょっと!?』


 曖昧に笑う私の横で、母は手を叩き声を上げていた。

 スピーカーからも、歓声が溢れてくる。


『――さて、前語りはこのあたりにして、ルール説明と参りましょう!』


 かけ声に合わせ、画面が遷移する。

 表示されたのは事前に公開されていたスライドだ。

 選手たちは3試合を争い、獲得したポイントの合計で優劣を競う。

 ポイントはゲーム内順位、キル数、取得アイテムによって総合的に決定されるが、1試合目よりも2試合目、2試合目よりも3試合目の方が獲得可能なポイントは大きくなる。

 そして、プロとアマチュアの間にハンデなどはない。


「実際どうなの、このルールって。

 アマチュアが勝てるものなの?」


「条件は同じだから勝てないわけじゃないけど、やっぱり実力差はあるから……。

 過去、アマチュアが優勝した例はないって」


「あら」


 斜に構えて言ってしまえば、これは、プロゲーマーがその実力を見せつけるための場なのだ。

 どうにも画面を直視できない私に対して、母は、一定してお気楽な様子だった。


 本格的に競技をやらない人からすれば分からないかもしれないけれど……。

 ともすれば初心者と上級者の間にある実力差以上に、上級者とトッププロを隔てる壁は厚い。


 そうしたプレイヤーを抑えてゲーム内ランキング1位を達成したのだから、勝率が0ということはないだろう。

 しかし、公開された25時間に及ぶプレイ記録の中で、一矢君がプロゲーマーと遭遇したのは6

 そのすべてにおいて、彼は敗北を喫している――


「まあ、なんとかするでしょう、あの子なら」


 母が呟いた。

 胡乱な気分でその顔を見上げる。

 目があった。


「あのねえ、私、これでも1度は一矢君の母親になろうとしてたのよ」


「そんな、威張られても……」


「勝つと決めたなら、そのための筋道を付けられる子だって知ってるもの」


「……それでも難しいって話をしてるんだけど」


「そんなこと、私よりも、あなたよりも、一矢君が一番わかってるでしょ。

 ここから心配したって仕方ないじゃない」


 母は、心理の話をしていた。

 私は、論理の話をしていた。

 平坦な声が、落ちてくる。


「応援するのなら、信じないと」


 ――何よりも痛い、言葉だった。








◇◆◇








『それでは、試合開始時刻まで時間がありますので、直前インタビューの方をやっていきましょう! 

 代表者としてプロゲーマーからは人気投票不動の1位、ソフィア・スミス選手。

 アマチュアゲーマーからは並み居る猛者を掻き分け予選1位の座を手にしたミエクロー選手、壇上へお上がりください!!』


「えっインタビューなんてあるの!? 

 大丈夫かしら、ちゃんと答えられるの?」


「お母さん???」


 どの口で言っているのだろう、この人は。

 白眼視されても素知らぬ振りで「それはそれよ」などと宣うのだからたまらない。


『どうも、fan first所属のプロゲーマー、ソフィア・スミスです』


『ミエクローと申します』


『Ah,Ha?

 固いよ少年! 

 さっきまであんなに自然体だったのに』


『いやさすがに緊張しますって、こんなにも有名な方々がいらっしゃる中、自分みたいな無名がアマチュア代表なんて』


 ――と、緊張など一切していない様子で、彼は言った。

 どう見ても口調が丁寧なだけだ。

 堂々と胸を張り、しっかと立っている。

 スーツに着られているでもなく、場違いさもない。


 ……。


「真面目ねえ」


 誰にともなく、母はぼそりと呟いた。


『VRゲーム――ええ、あえてここではVRゲームと表現しますが――ソフィアさん、とうとうVRゲームが競技シーンにやってきました。

 一週間、実際にプレイした感想をお願いします』


『そうだなあ――』


 青と緑のグラデーションが美しいドレス姿の女性は、軽妙な語り口で楽しげに話す。

 VRゲームは昔から遊んできたが、ここまでの進化は予想できなかった。

 もう1つの採択タイトルである『Ultra Mech 2』もそうだが、競技シーンを意識して作られた過去の名作と比べても遜色ない新鮮な面白さがある……。


 大人っぽいなあ……。

 いや、実際に24歳の大人の女性なのだけれど、そういうことではなくって、所作に華があるのだ。

 衣装やアバターの優美さに負けない、成熟した人間の美しさが細やかな行動の端々からにじみ出ていた。


 比べてしまう自分の幼稚さが、嫌になる。


『ミエクローさん、まずは予選1位、おめでとうございます』


『ありがとうございます』


『短期間とはいえ、並々ならぬ労力が必要だったでしょう。

 そのモチベーションをお話いただけますか?』


『もちろん。

 ゲーム部分の面白さはやっぱり大きかったですね。

 ここまで夢中になってプレイしたのは久しぶりでした。

 VRゲームって、あんまり言うのもどうかとは思いますが、どうしてもゲームそのもののクオリティは他に劣る印象があって……。

 Journey to the El Dradoは良い意味で期待を裏切ってくれる作品でした。

 あとは……そうですね、この手の対人ゲーにしては珍しく日本的なキャラデザで、そこが凄く好みです』


 彼の受け答えもまた、大人びていた。

 たった一月、早かった。

 たった一月、遅かった。

 それだけだとは、思えないほどに。


『――ひとつ、自分からもいいだろうか』


 そう言ったのは、沈黙を保っていたDeltaの代表、大和泉さんだった。

 右腕として知られる榊原さんと同様に、現実の肉体とほとんど変わらないアバターに身を包んでいる。

 一歩、一歩、ゆっくりと一矢君に近づいていく姿は厳めしく、それでいて不思議と目を引かれる。


『っ、なんでしょうか』


 一矢君は、目に見えて怯んだ様子だった。

 ひょっとすると、ほんとうに予定外のことだったのかもしれない。


 珍しいものを見た、そう思うと同時、罪悪感がこみ上げてくる。

 物怖じしない性格だった彼が変わったのだとしたら、それはきっと――


『どうして本大会にエントリーしたのか、教えていただきたい』


 駄目だ。

 喉を掻き毟りたくなる。

 見ていられない。


 ――けれど、心は、度し難いほどに彼を求める。


 向き合うしかないのだと、一矢君は行動で示した。

 許されたのだとしても、許せないことは、ある。

 許せなくても、私はここに生きている。

 生きていたいと、そう思う理由が心臓を鳴らす。


 辛いな。

 苦しいな。

 イヤだなぁ。


『つい先日、プロゲーマーになると、決めたんです』


 ……ああ、好きだ。


『ここには、自分が現役プロの方々とも戦えると証明するために来ました』


 お母さんがなにやら喋っていた。

 耳には入って来なかった。


『なるほど。

 では、5月4日からの合同トライアウトに?』


『はい、申し込んでいます』


『なるほど、なるほど……っと失礼、つい好奇心が出てしまいまして。

 答えてくれてありがとう。

 ――熊先輩、進行の方をお願いします』


『流れぶった切っておいていけしゃあしゃあと言いますね、やりますけど!!』


『はははは……』


 ……忘れてたな。

 笑い声を聞き流し、AiDのスリープモードを解除する。

 お気に入りのイヤフォンを繋いで、片耳に刺した。

 広告が始まるのを確認して目線を戻すと、インタビューは締めにさしかかっていた。


『では最後に、意気込みをどうぞ』


『――1位を獲ります』


 彼は、どこまでも楽しげに笑っている。

 大言壮語だと自覚した上で、そう思われることすら楽しむように。


『Hahaha!

 吼えるね、アマチュア』


 白髪の女性が立ち上がり、大吾郎おじさんからマイクを奪い取って、声を上げる。

 その笑顔は、それまで彼女が湛えていた穏やかな微笑みとはまるで違う。

 稚気に満ちた肉食獣のような哄笑だった。


『いつまでもアマチュアじゃあ、いられませんから』


『――はいということでね、そろそろお時間の方が差し迫って参りましたので、選手の皆さんは事前連絡に従って準備の方をよろしくお願いします!!』


 どこからともなく取り出したマイクで声を張り上げ、収拾をつけようとする大吾郎おじさん。

 その裏で、舞台から降りることなく、盛り上がったふたりは親しげに煽り合う。


『負けませんよ』


『直接戦えるのを楽しみにしているよ。

 ――今日会えるかは分からないけれど』


『……? 

 ああ、ソフィアさんが即ロビするかもしれませんしね』


『身の程知らずだなあ。

 ミエクロー君、きみ、いま勝率0なんだけど』


『ソフィアさんってBO5で連敗したら諦めちゃうタイプなんです?』


『まさか』


『ですよね』


 ……、仲、良すぎない? 

 そういう台本だよね? 

 あー……あー、あー、メンタルヘラっちゃいそう。


「縫依、あなた凄い顔してるわよ」


「……」


「……ほんとにちゃんとできるの?」


「……どうだろ」















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