第17話 過ぎ去ったもの



『MieCro @MieCrowgs・6秒

 昨日の今日で申し訳ないんですけど、今日は放課後に予定が入ったんで配信少し遅れます。

 19時には始められるはずだから、暇な人はさっき上げた動画でも見といてください。』








◇◆◇







 授業を夢の中でやり過ごし、帰宅し着替えてから、俺は待ち合わせの店に足を向けた。

 父さんの紹介だ。

 当たりこそすれ、外れはしないだろう。


「どうぞ。

 お連れ様はこちらでご案内しますので、お気になさらず」


「ご丁寧にありがとうございます」


「いえいえ、お父様にはお世話になっておりますから。

 立派な方です」


「ええ、ありがとうございます」


 純粋に嬉しくって、俺はもう一度礼を述べた。

 こじゃれたカフェの、奥の個室。

 なんだか告白でもしそうな雰囲気だ。

 ……似たようなものか。


 一礼して辞する店長さんを呼び止め、ブレンドを一杯、注文した。

 彼は目を細め、鼻歌でも歌いそうな表情で「極上の一杯をご用意しましょう」と言ってくれる。

 背筋がピンと伸びていた。

 良い人だ。

 あんな風に格好良く見得を切れる大人になりたい。


 届けられたコーヒーは、美味しかった。

 薫り高く、切れ味鋭い。

 複雑な味を抱えたままに消えていく。


 飲み干して、少ししたところで、こん、こん、と。

 控えめに、扉が叩かれる。

 さっきコーヒーを運んでくれたウェイターさんのノックとは少し違う。


 変わらないなあ。

 胸が温かくなる。

 懐かしい。


 ……どうでも良いけどノックだけで判別できるの気持ち悪くない? 


「どうぞ」


 ややあってから扉が開く。

 俯きがちの縫依ちゃんを、立ち上がって迎え入れる。


 不思議な気分だった。

 間違いなく本人なのに、そうじゃないような。

 アバターを着たトラオを見たときに抱いた感覚ともまた違う。


 そりゃあ、そうだ。

 6年ぶりなのだ。

 しっとりとしたロングスカートに黒のセーターを合わせた縫依ちゃんは、学校で会ったときよりもずっと大人びて見えた。


「久しぶり」


 なんて声をかけようか、胃が痛くなるぐらいに考えて緊張しきっていたのだけれど、結局、そこに落ち着いた。

 これは、そう、しばらく会えなかった幼なじみと再会したという、それだけのことなのだ。

 それだけのことにしてみせるのだ。


「お久しぶり、です」


 固い言葉、暗い表情。

 胸が痛む。

 ……せめて、もう少し、堅苦しくない場所の方が良かっただろうか。

 記憶の中の彼女は好奇心旺盛で、けれど内弁慶な女の子だ。


 とはいえ、いきなり家に呼ぶようなのも、なあ。

 6年経って、2人揃って高校生。

 昔と同じではいられない。

 ――昔で止まったままが嫌だから、今日この場を設けたのだ。


「元気だった?」


「はい……その、ひじりさんに紹介していただいた病院でも、良くしてもらって……」


「そっか、良かった」


 聖、というのは父の名前だ。

 そこから捩って、ゲームをやるときはだいたいSt.CROWSを名乗っている。

 余談だ。

 どうにも間が持たない。

 会話が途切れる。

 ……むう。


「なにか頼もっか。

 ちょっと早くについたから先に一杯いただいたんだけど、美味しかったよ。

 ……そういえば、ブラック、飲めるようになった?」


「……すこしだけなら」


 はにかむように笑ってくれる。

 けれど、その表情には影が落ちているように思われてならなかった。

 勝手な解釈。

 勝手な押しつけ。

 分かっていてなお、俺は明るく、笑いかける。


「ケーキも注文しようかな。

 小腹が空いちゃって」


 何事か考えたあと、控えめに、「それじゃあ私も」と縫依ちゃんはメニューを手に取った。


 ベルを鳴らすと、すぐに店長さんが来てくれた。

 めったやたらに持てなされて背中が痒くなる。

 この店で父さんは何をやったんだろうか。


「……昨日と今日、大丈夫だった?」


「え?」


 尋ねると、縫依ちゃんは目をぱちくりさせる。

 ざっくばらんが過ぎただろうか。

 ちょっと早口で「一昨日のこと、クラスの子から揶揄われたりしなかった?」と聞き直す。


「いえ……、その、お二人のおかげで、むしろ友達ができたぐらいで」


 その表情に胸を撫で下ろした。

 気を遣った言い換えではなく、実際にそうだったのだろうと信じられた。

 ……良かった。


「俺もトラオのヤツも馬鹿だからさ、強引だったし、うまくいったか心配してたんだよ。

 入学してすぐ変な噂立てられたりしたら大変だから」


「やっぱりみんな虎夫さんのことは気になるみたいで……。

 どんな人だったかとか聞かれたりはしましたけど、それぐらいでしたよ、ほんとうに」


「あいつについて聞かれて困ったら、SNSとかで言われてるような人だって答えとけば良いよ。

 だいたい見たまんまだから」


「……仲、良いんですね」


「あー……、まあ、うん。

 ……、親友、になるのかなあ」


 無意識のうちに、頬を掻いていた。

 後のところは言わなくても良かったけれど――


 そこでコーヒーセットが配膳された。

 俺はザッハトルテ、縫依ちゃんはヴァシュランなるケーキ。

 ……たぶんあれ、何か分からず頼んでるよなあ。


 テーブルには手を付けようとせず、縫依ちゃんはなにやら鞄から取り出した。

 青い小包だ。

 白のリボンで装飾されている。


「ありがとうございました。

 いきなり……、その、迷惑を掛けたのに、助けて頂いて。

 お礼、受け取ってもらえますか」


「もちろん」


 俺は即座に頷き、手に取った。

 不安を感じさせたくなかった。


 重量感はない。

 からりと中身が揺れる感触からして、チョコレートか何かだろう。

 リュックの中に、丁重にしまう。


「なんだったら、トラオにも俺から渡しとこうか?」


「ううん、私が自分でやらないと意味のないことだから」


「……そっか」


 軽い提案に、強い拒絶。

 不覚だ。

 目尻が緩む。

 誤魔化しがてら、コーヒーを啜る。


 ケーキに合わせているのか、また違った味わいだ。

 苦みが強く、後を引く。


「烏野、さん」


 縫依ちゃんが言った。

 決然とした表情だった。

 「縫依ちゃん、どうしたの?」さりげなく、やわらかく、俺は微笑み、言葉を待つ。


「あなたに打ち明けて、謝らなくちゃいけないことがあるんです――」


 そうして、縫依ちゃんは語った。

 6年前、彼女が為した悪行のすべてを。

 俺の悪評を否定するどころか誇張して吹聴し、孤立するように仕向けたのだと。


 心は、思いのほか凪いでいた。

 どうしてそうしたのか、話した以上のことを問い詰める気にもならなかった。

 感情のまま、魔が差したように行動してしまったのだという答えで満足だった。

 本人がそう言ったわけではないけれど、つまりはそういうことだった。


 無関心なのだろうか。

 自問し、否定する。

 同情が最も近しいように思われた。


 ずっと悔やんできたのだろう。

 時間だけを比べるのなら、俺よりも長く。


 だって俺には別の場所があった。

 俺は悪くない、弱いくせにろくすっぽ練習もしないあいつらが悪い。

 怒り、恨み、羨んで、自分を責めずにいられる場所が。


 どちらが良い、という話ではない。

 どちらも所詮は汚泥の中、酸か毒かというだけのこと。

 怒りは恨みを、恨みは羨みを、羨みは怒りを呼ぶ。

 罪悪感は、果てしなく連鎖する。


 

 


 最後に人の道を外れる前に、俺は別の場所へ逃げ出した。

 踏み留まることはできないという確信があった。

 自分を責め苛むことでしか、自分のかたちを保てなかった。

 果てに待つのは……圧力による自壊か、圧搾による虚脱か、いずれにせよ幸福など欠片もない惨めな末期だ。


 俺は、救われた。

 人を信じてみようと思うことが出来た。

 もう一度、ゲームを好きになれた。


 父さんと、トラオのおかげで。


 離れて過ごした6年間、彼女に、そういう人が出来ていればいい。

 どうかそうあってほしいという願望だった。

 彼女の母親愛海さんは強い女性だ。

 その強さが、支えとなってくれていれば。


 だって、もしも、何の支えも無しに踏み留まっていたのだとしたら。

 後悔はおびただしく降りうずたかく積もり、自己嫌悪は彼女のやわらかな部分を容赦なく切り裂いて。

 潰され、絞られ、それでもなお、人として生きていくことは、どれほどの苦しみを伴うのだろう――


 そうでなくても、消えてしまいたくなるぐらい、生きている意味がわからなくなるぐらい、悲しいのに。


 ひいき目は、ある。

 側にいてほしいと思った人。

 恨み、憎み、怒り、それでも潔白でいてほしいと願った人。


 俺は、彼女を傷つけたくない。

 あんな思いを、他でもない彼女に、他でもない俺が味わわせるようなこと、できはしない。

 どうか、好奇心に目を輝かせ、世界の広さに笑っていてほしいのだ。

 ただ、幸福であってほしいのだ。


 俺は手をつけていなかったケーキを切って、舌に乗せる。

 甘いチョコレートが熱で溶けてじんわり広がる。

 スポンジの中から甘酸っぱいジャムが顔を出す。

 苦みの強いコーヒーで、洗い流す。


「ごめんね、縫依ちゃん」


「……え?」


 まったく想定外の一撃を叩き込まれたと言わんばかりの表情だった。

 ああ、やっぱり。

 足りなかったのか、届かなかったのか……、理解できなかったのか。

 俺は縫依ちゃんの目を見つめた。

 どうか伝わって欲しい、願いながら。


「縫依ちゃんを傷つけた。

 手を伸ばせば届いたのに、そうしようともしなかった。

 ただ嫌われたんだって、ずっと、勝手に思い込んでた。

 だから、ごめん」


 もう一口、ケーキを食べる。

 こんどは真っ白なクリームをのせて。


「違う……、違うよ……! 

 一矢君は頑張ってただけでしょ!? 

 悪いのはあなたの頑張りをダメにした私で……私だけで!!」


「ううん、縫依ちゃん。

 きみがやってもやらなくても、結局は失敗していたよ。

 頑張ったって、結果を出せなきゃ意味がない。

 失敗は、どう取り繕っても失敗だ。

 きみと同じように、俺もやり方を間違えたんだ」


 どうすれば彼女は彼女を許せるだろう。

 俺だって、まだ心の底から許せたわけじゃない。

 俺自身の後悔が、罪を重ねることを拒むだけで。


 薄く削ぐように、ザッハトルテを切り崩す。

 コーヒーをちょびっと、口に含む。

 幸せの味がした。


「美味しいよ、食べよう?」


 逆なでするだけだと分かっていながら、俺はそう呼びかけた。

 俺は、天才じゃあ、ないから。

 積み重ねていくやり方しか、知らないから。


「私がやったんだよ!? 

 あんなに良くしてもらって、助けてもらって、恩知らずにもっともっとって……、勝手に寂しくなって、独占欲発揮して! 

 こんな糞女のせいで一矢君はずっと後悔してる、今だって!!」


 今にも泣き出しそうな顔で、彼女は叫んだ。

 ああ。

 ああ。

 どうか、そんなに自分を傷つけないで。

 痛くて、辛くて、泣き叫ぶほどに苦しまなくたって、良いんだよ。


「そうだね、後悔はしてる。

 これからも、し続けると思う」


「違う、違う、違うっ、そうじゃなくって!」


 痛ましいもののように、縫依ちゃんは俺を見る。

 けれど、どうだろう。

 ここにいるのは俺と縫依ちゃんだ。

 見えているのは、彼女を見つめる俺だけだ。


「怒って良い、殴りつけたって良いんだよ、私が裏切ったんだ!! 

 罪は、罪なんだから!!!!」


 俺はコーヒーカップを置いた。

 かちゃり、陶器が擦れる。


 罪を犯した者は罰せられるべき。

 一面において、それは正しい。

 被害を受けた側は憂さを晴らし、無関係な者は世の正しさに安堵する。

 真に後悔する者には、処罰こそが救いになるだろう。


 けれど、刑罰は、被害者が罪を糾弾しなければ下されない。

 俺が、彼女を責めないように。

 彼女が、俺を責めないように。


 肩を上下し、頬を上気させ、縫依ちゃんは唇を血が滲むほどに噛んでいた。

 涙が一筋、零れ落ちる。

 たん、と鳴ってクロスに染みる。


「……ごめんなさい」


 消え入るような謝罪だった。

 一言に込められた思いは、察するに余りある。

 ああした振る舞いこそを、彼女は深く悔やんでいるのだろうから。


 どうしようもない衝動は、ある。

 誰にだって。


「別に、さ」


 俺は静かに、ゆっくりと言った。


「何も知らないまま、間違った結論を出して、勝手に納得してるわけじゃないんだよ」


 ああ、ほんとうに、悔やまれる。

 他人の言うことばかりを信じて、本人の言い分を聞こうともしなかった6年前。

 ただ裏切られたと、一面だけを見て嘆いた日々が。

 もっと早く、きちんと向かい合っていれば、彼女が自分を嫌ったまま生きることもなかったかもしれないのに。

 俺だって、もっと幸せな日々を送れたかもしれない。


 けれど、それは結局、いまだからこそ言えることだ。

 そうはならなかった。

 そうなるとも、思えなかった。


 目を瞑る。

 自分自身を、確認する。


 そして、その一言を口にした。


「俺は、ぜんぶ知ってたんだから」


「――っ!?」


 目を逸らすことなく、彼女の表情が移り変わる様を見届けた。

 驚愕、恐怖、……そして、諦念。


「縫依ちゃんがぼくの悪口を止めなかったのも、むしろ率先して広めてたのも。

 どうしてそんなことをやったのかっていう、一番大事なところのほかは、全部。

 怒らなかったわけじゃない、恨まなかったわけでも、ないんだよ。

 いまだって……、昔と同じようには、きみを見れない」


 なかったことにして、また1からやり直そう。

 そう言おうと、ここに来た。

 それが一番、楽だから。


 けれど。


 過ちは過ちで、罪は、罪だ。

 忘れようとして忘れられるものでは、ない。


「ごめんね、縫依ちゃん。

 もっと早くこうするべきだった。

 もう遅いかも知れないけれど、それでも、ちゃんと話をしよう」


 俺は、待った。

 縫依ちゃんが答えてくれるのを、じっと。

 答えてくれると、信じて待った。


「……うん」


 やがて、彼女は頷いた。

 俺はコーヒーを飲み干し、グラスを取って水を注いだ。


「どっちかがどうとかじゃなくって、ふたりでちゃんと、話し合おう。

 長くなるだろうから、ほら、そのケーキでも食べながら、ね?」


 縫依ちゃんは、おずおずとフォークを摘まむ。

 言われるがまま、さくりと小さく取って、控えめに頬張る。


 笑みには、まだ、影が憑いていた。















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