第16話 彼女の始まり
その奔放さを羨んだ。
その自由さに、恋い焦がれた。
◇◆◇
言われるがまま疑問を持つこともなく、与えられた本を読み、人形を弄び、パズルを解いて、無限にすら思われる倦怠をやり過ごす。
夜になって、病室を訪ねてくる母ととりとめのない話をして、もう寝なさいと言いつけられ、やはり言われるがまま、眠りにつく。
そして、朝が来る。
気づけば、退屈な一日が始まっている。
それが当たり前だと思っていた。
それ以外を、知らなかった。
5歳になったばかりの私にとって、世界とは、病院の中で完結したものだった。
「縫依ちゃん、今日は私、お仕事があるから……、ね、『こどもべや』に行ってみない?」
「……でも、お母さんが、おへやから出ちゃダメだって」
「昨日、帰り際にお願いしてみたら、良いっておっしゃってたわよ」
それが嘘であることは、幼い私から見ても明白だった。
看護師さんは5時過ぎに帰ってしまうけれど、両親が面会に来るのは午後7時。
なにより……、いつも笑顔の看護師さんが、笑っていなかったから。
けれど、分かった上で、あの日の私は頷いた。
拒絶すれば、きっと、また同じ昨日が繰り返される。
無関心であり続けることに厭いていたのだと思う。
家族の言葉を騙る大人に付いていくリスクを容易く飛び越えてしまえるほどに。
なにしろ、つい先日まで4歳だった5歳児だ。
実際はもっと直観的で、衝動的な行動だったけれど――
「ねえ、一緒に遊ぼう」
――そうして、《私》は始まったのだ。
第一印象は、このこは一体なんなんだろう、だった。
けれど、そんなことはすぐにどうでも良くなった。
気にしていられなくなった。
そこには世界が広がっていた。
2本のスティックとたくさんのボタン――コントローラーで私と繋がったまんまるピンクのキャラクターが四方八方、ぽわぽわふわふわ、飛んで跳ねて、吸い込んで。
画面の指示と彼の説明に導かれるまま、けれど、私の意思で、平和をかたる緑の星を右へ左へ歩き回る。
楽しかった。
あそこには何があるんだろう、背景だと思っていたけれど本当は、壁の裏っかわにだって隠されて。
好奇心が呼び起こされて、満たされて、休む暇無く掻き立てられる。
それじゃあ、あの穴の底にももしかして……?
そして、私は死んだ。
ぎゅっとなって、バン。
無限にジャンプできるゲームで、初めての死因は落下だった。
彼は床をバンバン叩いて爆笑していた。
「むぅ……」
「ッはっはっ……だってさあ、そこ穴じゃん、どう見ても」
「……教えてくれても良かったのに」
「そう?」
「……ん」
彼は初心者を楽しませることに長けていた。
操作方法を教えることはあっても、過剰な干渉はしない。
笑って見守りながらそれとなく導いて、自分で見つけ出したかのような達成感を味合わせてくれる。
幼いながら自分よりも幼い子らと遊ぶことで身に付けた技だったのだろう。
実を言うと、当時私は彼のことをふたつみっつは年上の男の子だと思っていた。
それぐらい彼は大人びて見えたし、私は小さなこどもだった。
わいわいキャーキャー私たちはゲームを進めていき……最初のマップの最後のステージに辿り着いた。
正確には、その直前に。
そして、そこで時間が来た。
「さ、お部屋に戻りましょ」
看護師さんの言葉は絶対だ。
我が儘を言ったら怒られるし迷惑をかける。
もう少し遊びたかったとしても……それは良くないことだ。
大人は、大人だから、とうぜん私よりも賢くて、正しい。
「えー!
もうちょっと、ちょっとだけだから!」
――そんな風に思い込んでいたものだから、彼の言葉には、ただただ驚かされた。
たぶん、人生で一番に。
驚いたり、笑ったり、泣いたり、楽しんだり、そういうことが少ない人生を送っていたから、当たり前と言えば当たり前だけど。
……同時に、胸の奥がじんとあたたかくなったのも、良く覚えている。
ずっと私一人が操作して、彼は後ろで見ているだけだったけれど、一緒に楽しんでくれていたのだと実感できて。
彼は看護師さん相手に一歩も引かず捲し立て、10分の延長を勝ち取って見せた。
堂々たる駄々だった。
「次のステージ、時間内に片付けちゃお。
こういうのをタイムアタックって言うんだ!」
「……うん」
石造りのお城の奥で待ち受けていたのは真っ青でぶっちょな王様だ。
主人公たるピンク玉は、国中のたべものをぜんぶ独り占めする悪い国王をこらしめるべく旅に出たのである。
そういう病気の人なのかと問いかけたときの彼は見物だった。
その発想はなかった、と目を丸くしてけたけた笑っていたっけ。
吸い込んだり、投げつけたり、柱を掴んでぐるぐる回ったり。
画面全体を使ってダイナミックに動き回る大王に翻弄されて、私は大いに苦戦した。
1度、2度、3度、タイムアタックと言うにはあまりにも無残な敗北を重ね、制限時間一杯のラストチャンス。
オトモが次々倒されて、それまで気にも留めていなかったHPゲージも爪先ほどに短くなって。
10分を少しすぎたところで、黄色い帽子を被ったピンク玉のブーメランが大王にトドメを刺したのだ。
「やった!!」
歓声を上げたのは彼だった。
私はといえば、本当に倒せたのか確信が持てなくて、呆然とスタップロールもどきが流れる画面を見つめていた。
なにしろ、青い王様は変身するタイプのボスだったから。
「ほら、手、出して」
ぱちん、と。
弱々しい音を鳴らしてハイタッチ。
それがそうだと分からないまま、促されるまま、言われるがまま。
初めての体験は、けれど、ただ、ただ、心地よかった。
「ボクはからすのかずや。
きみは?」
「私は……」
言われて初めて、名前も知らない相手だったことを思い出した。
出会ったばかり、自己紹介もしないまま、何時間も一緒に遊んでいたのだ。
母の言いつけなんていくつもいくつも破っている。
けれど――
「こまいぬい……です」
「よろしく、ぬいちゃん。
明日も一緒に遊ぼうね!」
「うん!」
――破り続けることに躊躇いはなかった。
嘘をつくことにも。
明日が来るのが、その瞬間から楽しみだった。
夜。
「あら、何か楽しいことでもあったの?」
微笑みとともにされた問いかけに、「ううん、なんにも」と首を振ったのは……知られたら、きっと、怒られると思ったからだ。
私が、ではない。
連れ出してくれた看護師さんと、一緒に遊んでくれた一矢君が、だ。
そして、私は二度と出られなくなる。
病院を変えられてしまうかも知れない。
ちゃんと話せば分かってもらえただろうけれど、あの頃の私にとって、母ははあれこれ行動に制限をかけてくる人だったのだ。
心配されている、愛されている、だからこそ、疎ましかった。
疲れていた私は、母の前で眠りについた。
起きたとき、部屋には誰もいなかった。
……そのことに、はじめて、寂寥を感じた。
「ね、今日も」
朝食を持ってきてくれた看護師さんにした慣れないおねだりは……焦るあまり言葉足らずだったことだろう。
けれど、「もちろん」と頷いてくれて……、一日前よりもずっと早くにお邪魔した『こどもべや』には、あたりまえのように彼がいた。
「おはよう」
なにか別のゲームに熱中していた彼の背後に忍び寄り、ちょんとつついて声をかけた。
一矢君はたいして驚いた様子もなく、どころかこちらを見ようともせず、ああ、とか、うん、とか、そんな感じの気のない返事を返してきた。
むっと唇を尖らせて、けれどそれ以上の表現方法を持たなかった私は、すぐ後ろに座って彼の操作する画面をのぞき込んだ。
82体のキャラクターが登場する対戦ゲームだ。
その中で、彼は例のピンク玉を自由自在に操っていた。
敵に張り付いてくるくるくるくる、何もさせず奈落に叩き落とすのだ。
違う作品ではあるけれど、何というか、同じ顔をした別人のような動きをしていて……そう、狐に化かされたような気分だった。
たっぷり5分ほどで対戦を終えて、そこでようやく、一矢君は私に気づいた。
「あれ、縫依ちゃん、今日は早いんだね」なんて、さっき挨拶したことも覚えていないかのように。
本当に空返事だったんだなあと、いっそ感心して、私はもう一度、やり直した。
「おはよう、一矢君」
「うん。
昨日の続きやる?」
「……それ、やってみたい」
「わかった。
はい、どうぞ!」
その日の先生は、前日よりもずっと丁寧で熱心だった。
ひとは、自分が大好きなものについては饒舌になるのだと、そのとき学んだ。
どれだけ説明されても、難しいものは難しいのだということも。
また、日が落ちて、昇る。
「今日はどうする?」
「ほかにも、あるの?」
「もちろん。
たっくさん」
「どのくらい?」
「さあ?
分かんないぐらい!」
そうして、時間は矢のように過ぎていった。
2日、3日、1週間、それまでがなんだったのかと思われるほどに。
嘘をついていることを忘れてしまうぐらい。
――終わりが来たのは唐突で、当然のことだった。
「どういうことですか!!!!
娘は……!
娘は手術を終えたばかりなんですよ!!」
「お母さん、落ち着いて、落ち着いてお話をしましょう。
……あまり言いたくはありませんが――娘さんを思うのなら、どうか、声を荒げずに、話し合いを――」
「どの口で――」
ベッドに寝た私の前に立ち、守るように、立ち塞がるように、母は怒り狂っていた。
……否定しなければならなかった。
お医者さんも、看護師さんも、お母さんだって、誰も悪いわけじゃなかったのに。
私には……背中から飛び出すことができなかった。
本当のことを話す勇気が無かった。
……嫌われることが、恐ろしかった。
母の怒りが、嘘を吐いた自分に向けられるのが。
――もしもここで勇気を出せていれば、あのとき、本当のことを言えたのだろうか。
「……あっ、ここだ。
縫依ちゃん、いるー?」
場違いな甲高い声に、ふたりはぴたりと動きを止めた。
病室に緊張が走る。
ここでも、私は声を発することができなかった。
魚みたいに口をパクパクさせて、音を立てることすら出来ず、ベッドの上に貼り付いていた。
口火を切ったのは、母だった。
「あら、縫依のお友達?
こんにちは、誘いに来てくれてありがとう。
でも、ごめんなさいね、縫依はもう、一緒に遊べないの」
「どうして?」
「ほら……、体が弱いのよ。
あなたも……わかるでしょう?」
卑怯なやり口だったと、お母さんは後に述懐した。
そう言えば反論は出来ないだろうと大上段に構えた言葉だった、と。
けれど――一矢君はそんなものには囚われなかった。
びっくりしたように眉を持ち上げ、難しそうに眉間に皺を寄せ。
おずおずと、しかし誤解の余地無く鮮明に。
「どのくらい悪いの?」
果敢に踏み込み。
「出歩いたらダメなくらい?
楽しくなったらダメなくらい?」
清々しいほど端的に、言い募る。
母は気圧されたように言葉を詰まらせ、恐れるように後ずさった。
母だって分かっていたのだ。
私の手術は完璧だった。
術後の経過も順調すぎるくらいで、寝たきりの状態はとうに脱していた。
もう少し、もう少しと先延ばしにしていたのは、母だった。
ひゅ、ひゅう、と乱れた母の呼吸音が罪悪感を証明していた。
答えを得られなかった一矢君は、お医者さんに向かって聞き直す。
「ねえ、知ってるんでしょう、お父さん」
と。
――かくして、騒動は終結した。
「縫依ちゃん、遊ぼ」
「……うん」
そうして差し伸べられた手を、私は握った。
何一つ、やるべきことを、やることなく。
それから、私と一矢君、駒井家と烏野家の交流は長く続いた。
5年後、母の仕事の都合で引っ越しが決まるまで――一矢君のお父さんと私のお母さんに限っては、それからも。
◇◆◇
出会いから、4年。
一矢君は小学4年生で、私はその1つ下。
あと1ヶ月生まれるのが早ければ同じ学年にいられたのにと悔やまれたけれど、こればかりは誰が悪いということもなく、仕方のないことだ。
放課後や休日はずっと一緒にいられたから、学校にいる間くらいは我慢できた。
……たまぁに寂しくなって教室を訪ねたぐらいで。
「うわあ……!!」
夏祭りの日、運び込まれてきた一本のマグロに私たちは黄色い声を上げた。
なにしろマグロだ。
こどもからすれば飛行機や新幹線に並ぶ憧れの対象である。
……自分で言っておいてなんだけど、それで良いんだろうか。
いやいや、1メートルあるマグロだ。
誰だって食べてみたいはず。
「おっきいなあ」
「おいしそうだねぇ」
この町の夏祭りはとにかく規模が大きいことが特徴で、町全体が一丸となって、複数ある温泉旅館を中心に渡り歩くようにして数日間かけて開催される。
それが普通だと思っていたから引っ越した後は驚いたものだ。
マグロは、祭りの最終日に実施されるゲーム大会の優勝賞品だった。
それがあるということは、私も、一矢君も、もちろん知っていた。
夏祭りは毎年一緒に巡っていたし、ゲーム大会だって毎年恒例、括りとなるイベントのひとつだ。
観戦したことだってあった。
ただ、不思議なもので、毎日のように二人でゲームをしていたのに、そうした場に出場してみようとなることは一度もなかった。
私はともかく、一矢君はその頃から私では相手にならないぐらい上手だったし、より強い相手との対戦こそを楽しんでいるきらいすらあった。
いつその言葉を口にしてもおかしくなかったのに……、どうしてだったのだろう。
それはさておき、7月25日。
『ボクが獲ってくるよ』と不特定多数が参加するゲーム大会にエントリーし、烏野一矢(9)は初出場ながら優勝を果たした。
インタビューの席で、彼は恥ずかしげに頬を染めながら、『……マグロが食べたかったので』と出場の動機を語ることになる。
私は、壇上に立つ彼を見上げ、無邪気に喜び、お母さんと手を合わせていた。
彼の勝利が、自分のこと以上に嬉しかった。
おこぼれにあやかれるという思いがないわけではなかったけれど、大人からも、友達からも、とりどりの賞賛を受け、誇らしげに鼻を擦る一矢君が……。
ああ、そうだ。
私は白湯を飲むように納得する。
きっと、このときだ。
あの夕暮れ、私の中にあった彼への思いが、濡羽色の慕情へと
自分でもそうと分からないまま。
変わっていないと思ったまま。
変わらなければならないと、気づけないまま。
――彼の学校生活は激変した。
私たちの住む町は、ゲームイベントが夏祭りの大トリを務めているところから分かるようにe-sportsを使って町興しをしようと長年励んできた。
それが功を奏したかは分からないが、住人たちの競技としてのゲームに対する熱量は他の競技と比べずっと強い。
結果、こども達の間で流行する遊びも競技性の高いゲームがほとんどで――
「先週、見たぜ!
烏野ってゲーム無茶苦茶ウマかったんだな!」
「カッコよかったよ!」
「ねえ、今日の昼休み、パソコン室の予約取れてるんだけど烏野君も来ない?」
「マグロ美味しかった?」
いつ会いに行っても私の場所があった彼の周りには、名前も知らない大きな人たちが押し合いへし合い集まっていて。
彼の視線はその人垣に遮られ、私のところまで届かない。
いつも、扉の前まで来れば見つけてくれていたのに、今は、教室の中に入っても気づいてもらえない。
口の中がざらざらして、胸の奥がぞわぞわした。
とっくの昔に完治しているのに、心臓がきゅうきゅう痛かった。
訳も分からず、ひたすらに恐ろしくって、私は上級生の教室から逃げ出した。
わざわざ階を間違えた振りをして。
どうせ誰にも見咎められはしないのに。
醜い独占欲から、目を背けたのだ。
それが醜いものだと分かっていたから。
一矢君に、そんな自分を見られたくなかったから。
それからしばらくは、そうしていられた。
教室に近づきさえしなければ、学校が終わるまで大人しく待ってさえいれば、一矢君は私を迎えに来てくれたから。
『縫依ちゃん、一緒に帰ろう』と、にっこり笑って、手を差し伸べてくれるから。
……それに甘え続けていたから、私は手酷く間違えたのだ。
「クラスメイトと一緒に公式大会に出ることになっちゃってさー……」
口調だけは面倒臭そうに、彼はそう切り出した。
だから、メンバーが完全に決まったら放課後に遊べる時間が短くなる。
だから、一緒に帰れなくなる。
「友達から頼られちゃったら……まあ、せっかくだし、頑張りたいじゃん?」
同意を求めるように、なんでもないことのように。
けれど、口は喜びに緩み、真っ黒な瞳は高揚に輝いていた。
本人はあれで照れ隠しをしているつもりなのだ。
――その笑顔が、好きだ。
私は問いかけていた。
「最後のひとり、私じゃだめ?」と。
母が、かつてそうしたように。
練習は学校のパソコン室で行われた。
放課後のパソコン室はクラブ活動で使われるため部外者は利用禁止だったのだけれど、メンバーの2人がクラブ員だったことで私たちにも許可が下りた。
実際は……たぶん、一矢君に便宜を図っただけなのだろうけれど。
市の内外問わず高校や大学のe-sports部も参加するような大会で優勝したことで、彼の実力は耳目を集めた。
彼はそのすべてを断っていたけれど、市内の少年チームからも引く手数多で、強豪中学からの推薦入学の話だってあった。
この町を拠点にしているとはいえ、『Delta』から下部チームへの入団を打診されたほどだ。
彼のパーティーにクラブ員がいなくたって、一矢君の利用は認められていただろう。
大人達からすれば『学校の生徒が結果を出した』ということが重要で、クラブ員かどうかなんて大した問題ではないのだから。
一矢君を誘った2人の腕前は散々なものだった。
おそらく同世代としては標準以上なのだろうけれど、4年生というのはクラブ活動が解禁される学年で、彼らはゲームを競技としてプレイし始めてたかだか半年の新米だった。
私も……彼らと比べれば上手い方ではあったけれど、五十歩百歩、一人前未満だったのは変わりない。
そもそも、勝ち負けすらどうだって良かったのだ。
一矢君と一緒に楽しく遊べていれば、それで――
足手まといを3人抱え、それでも勝とうと一矢君は奮闘した。
一人三役どころではない八面六臂の活躍で、クラブ内でのカスタムマッチなら優勝できるほどにチームの総合力を引き上げて見せたのだ。
すべて、彼の技量に依るものだった。
他2人も、私だって、何か特別なことをしたわけではない。
特別なのは、彼だけだった。
一矢君は、誰が見てもそれと分かるだけの輝きを放っていた。
結果として、彼は孤立しつつあった。
学校のクラブ員からは反感を買い、チームメイト2人は校内の対戦で勝っただけで満足し。
私も一矢君と同じ練習をこなしてこそいたけれど、彼の上達についていくことはできなかった。
それまでと同じように、手を引かれていただけだった。
――奮起する最後のチャンスだとも知らないで。
「烏野のヤツ、上手いのは分かるけどエッラそうだよなあ」
「指示に従ってれば勝てるけど……なんかつまんないんですよね、ははは」
「な。
駒井ちゃんもそう思うだろ」
彼が掃除当番で遅れた練習日、箍が外れたように不満が噴出した。
止める隙も、怒る暇も無く、それが当然のように口汚い罵倒が宙を飛び交う。
上級生から始まって、チームメイトの2人が同調し、私にも同意を求められた。
――怒鳴りつけてやろうと息を吸い込んだそのときだった。
私の中の、いっとう醜い部分が囁いたのは。
どちらにせよ、彼は孤立する。
それならば、いっそ煽って、その孤立を深く、完全なものに変えてしまえば。
もう二度と彼が隠されてしまうようなこともなくなって。
ずっと、2人きり、小さな楽園で遊んでいられる――
馬鹿な子供の独占欲だ。
もっとうまいやり方なんていくらでもあっただろうに、よりにもよって、一番最初に思い浮かんだのがそれだった。
そして。
間違え続けてきた私は、ここでもやっぱり間違えたのだ。
「そうですね、もうちょっと周りのことも考えてくれればいいんですが」
――彼がどんな思いで頑張ってきたのか考えようともしないで踏み躙り。
「みんな、一矢くんとゲームするのつまんないって」
――それが彼を縛り付ける行いであるという事実から目を背け。
「……それじゃあね」
――謝りもしないで、背を向けた。
どれほど彼を傷つけただろう。
間違いに気づいたのは手が届かなくなる前だったのに、手を伸ばすことなく、恐怖心に身を縮めた。
後悔に苛まれない時間はなかった。
その度に彼の痛みを思い、決定的な言葉をぶつけられることに怯え、彼のことを遠ざけた。
別れのときですら、押し黙る彼になんの言葉もかけられなかった。
なぜ間違えたのか分からないほどに、愚かだった。
それが幼い恋心だったと気づけたのも、最近になってからだ。
彼の強さ、彼の優しさ、彼の勇気。
今の私よりずっとこどもだったはずの彼が、どれほど心を砕いてくれていたのかを知ったのも。
――謝りなさい。
――許してもらえないのだとしても、まずは謝るところから始めるのよ。
6年前、私が何をやったのか。
どうして急に遊ばなくなったのか。
すべてを聞いて、お母さんは言った。
「あの町への転勤が決まったわ。
ついてくるか、こっちに残るか、あなたが自分で決めなさい」
私は決断した。
どれだけ嫌われるのだとしても、洗いざらい打ち明け、頭を下げよう。
母の言う通り、許してもらえはしないだろうけれど。
結局、自分のためでしかないのかもしれないけれど。
そうせずには、いられなかった。
◇◆◇
それが――
「どうしてああなっちゃうかな……」
4月11日、学校から帰り、落ち込む私に、冷たい瞳で母は言った。
「うすうす気づいてたけど、縫依、あなた馬鹿でしょう」
「うぐ」
「なんでお礼を言いに行くこともできないのよ。
あれだけ大胆なことをやっておいて……」
「昨日のは……違うもん」
「はいはいそうね。
それで?
いつまで可愛い縫依ちゃんでいるつもり?」
「明日は、明日……、明日行くから!
ちゃんと渡すから!!」
「……受け取ってくれると良いわね」
「……うん」
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