第11話 道の続き



『ねえ、一緒に遊ぼう』


 柔らかい床の上、ぺたんと座った病衣の女の子。

 義務感と使命感もあったけれど、お姉さんと一緒に積み木を積む背中が、どことなく退屈そうで、見ていられなくて。

 はその子に声をかけた。


『……?』


 女の子はゆっくりと振り向き、こてん、とさも不思議そうに首を傾げる。

 何を言われたのかも理解できていないような、鈍い反応だった。

 お姉さんが、『一緒に遊ぼうって、ほら、あっちで』と噛んで含めるように言い換える。


 しかし、女の子は何も言わない。

 立ち上がろうともしなかった。

 確認を取ると、お姉さんは満面の笑みで頷いた。

 好きにしても大丈夫だといういつもの合図。


 だから、ボクはジョイントマットに膝をつき、有無を言わせず、女の子を抱き上げた。


『っ!? 

 !!??』


 目を白黒させて、年下の女の子がじたばた暴れる。

 でも、慣れたものだ。

 GOサインは出ていることだし、何も気にすることはない。


 すたすた運んでひょいっと下ろす。

 女の子はチンアナゴでも見るような目をしていた。


 まあるい瞳に笑いかけて、ボクはどこからとなく取り出したを押しつける。

 彼女はこどもの手には余るつるつるとした物体を、取り落とさないよう握りしめる。


 ――それが、出会いの日だった。








◇◆◇








『あっ、ずるい!』


『そう思わせた方が勝ちなんだって!』


『知らない、嫌い!!』








◇◆◇








『縫依ちゃん、遊ぼ』


『……うん』








◇◆◇








『いいね、うまいよ、そうそう』


『なんで当たんないの!?』


『当てられるタイミングじゃないからだよ』


『あっ!?』








◇◆◇








『やってない、やってないって!!』


『やったぁ!!』


『……もう一回!!』


『えぇー、どうしよっかな、私、もう満足しちゃったしー』


『むぐぐぐぐ』


『……ふふ。

 ほら、一矢君、ボタン押して?』








◇◆◇








 ――積み重なる時間に埋もれてしまった、消毒液香る日々の思い出だった。


 うたた寝から目覚めた俺は、そっとヘルメットを持ち上げる。

 途端、LEDのギラつきが網膜に刺さる。

 ウォウォウォウォウォ、ファンの駆動音が鼓膜を震わす。


 寝落ちしたのはいつぶりだろう。

 時間が溶けていく感覚も久しくなかった。

 寝る間を惜しんでゲームをプレイすることはあっても、それはというだけで、今回のように体の限界を無視して遊び続けたのは……。


 俺は首を振って、再び記憶を辿る旅に出ようとしていた意識を引き戻す。

 今が何時かは知らないけれど、疲労も眠気も感じられない。

 充分な休養を取れたのだからなにかしらの行動を始めるべきだ。


 惑い迷って、制限時間を使い果たした。

 もはや立ち止まってなどいられない。


 ひたすらに、前へ。

 振り返ることなく、直向きに。

 力尽き果てくずおれるまで。


 ……本当に進めているのかな。

 ……成長できているのかな。


 どれだけ鋭い刃があったとて、担い手が愚図ではどうにもならない。

 自分を斬りつけるだけならいざ知らず、あたりかまわず振り回し、触れる物全てを傷つけるようなあり方を、はたして強いと呼べるのか。

 そんなの、6年前と変わらない――


 いいや、違う。

 何もかもが違っている。


 自分と他人。

 人格と技能。

 どちらも既に分化した。

 俺はもう、分別が付かないような歳じゃない。 


「ろ、っげほ、6時……」


 シャワーを浴びて、夜の間に蓄積された情報を仕入れて、それから朝ご飯を食べればちょうど良い時間だろう。

 ……喉が痛い。

 ぱりぱりに乾いて張り付いている。


 大丈夫、大丈夫。

 俺は前に進めている。

 目指すべき場所が見えているのだから、迷いようもないじゃないか。


 立ち上がる。

 ――と、同時。


 真横から、がさごそと、布が擦れるような音が聞こえてきて――


「おはよう……、どうしたの、幽霊でも見たような顔して」


「――――っくりしたぁ……」


 ……なんだろう、そういう日なのかな。

 とっくに日付は変わってるけど。

 内心ぼやきつつ、俺は言った。


「おはよう、父さん」








◇◆◇







「ベーコン何枚?」


「8枚」


「多くない????」


 1パック4枚入りなんだけど……。


「徹夜すると肉食べたくなるんだよね」


「えー……」


 シールで束ねられた3連パックのスライスベーコンをじっと見つめる。

 ……まあいいや。

 全部バラして引っぺがす。


 べりべりぽい、べりべりぽい、べりべりぽい。

 ぱちぱちぱちぱち、油が跳ねる。

 ピンクの絨毯の真ん中に、卵を2つ、割り入れる。

 甘いような、しょっぱいような、えもいわれぬ良い匂いが肺を満たす。


 トマトを切る。

 レタスを千切る。

 ざっと盛り付けて焼き上がりを待つ。


 そうする内に、シナモンのようにツンとした匂いが香ってくる。

 父さんの淹れるコーヒーだ。


「マンデリン?」


「あたり」


 やるね、と父さんが微笑む。

 俺は無言でフライパンに視線を落とした。

 ……もう少しかな。


 じりりりり、ちん。

 トースターが止まる。

 焼けた食パンを指先で摘まんで、野菜の隣に合計3枚ほっぽった。


 それから火を止め、ベーコンと卵の塊をこそいでは乗せて、こそいでは乗せて。

 モーニングプレートの完成だ。

 洗い物は全自動食洗機に任せ、右手に一枚、左手に一枚、手のひらに乗せてテーブルへ。


「やるねぇ」


 心底感心した風に、瞠目する父さん。

 「おしゃれでしょ」、今度は笑って、4人掛けのテーブルへ。


「「いただきます」」


 同時に呟き、食べ始める。

 朝食の席に会話はない。

 父は半分眠っているし、俺はこのあと上げる線香をどれにするか考えていた。

 ラベンダーか、普通のか。

 ……ラベンダーかな。


「ご馳走様」


 マグのコーヒーを飲み干して、俺はこっそり立ち上がる。

 父はまだまだ食事の途中、一枚目のトーストすら終わっていない。


 上背はあってもひょろがりで、そのくせ人の倍は食べるのだから人間という生き物は分からない。

 体が資本だからーとか、夜の分まで体力残さないといけないからーとか、それらしいことを言ってはいるけれど……。

 単純に美味しいものを食べるのが好きだというだけなのは暗黙の了解だ。


 薄紫の筒から黒く長細い棒を引き抜き、桜のお香立てに挿す。

 火を灯す。

 白い煙がすうぅっと立ちのぼって、天井に消える。


 見送って、黙祷。

 黙想。


 ……。


 ……。


 ……。


 瞼をそっと持ち上げる。

 それから振り返り、父をみやる。


 父さんは、俺と俺の向こう側、二人を見据えて穏やかな微笑みを湛えていた。 


「どうしたんだい」


 俺は自分の椅子に浅く腰掛け、父さんに語った。

 自分が何を考え、何をしているのか。

 これからどうしようと考えているのか。


 父さんは、うん、うん、と相槌を打ちながら、表情を動かすことなく聞いてくれた。


「――これで全部……、です」


 どう結ぶか迷った挙げ句、何も思いつかず、俺は下手くそに笑いかける。

 ほんの少しだけ笑みを深めて、それから父さんは頷いた。

 深い頷きだった。


「高校は卒業してね」


 第一声がそれだった。

 俺は面食らって「え……、ああ、それは、うん」と曖昧に答える。


「……ちなみに、どうして?」


「中卒はさすがにどうなんだろうっていうのと、健康のためだね。

 あぁ、後ろがメインだから」


「逆じゃなく?」


「いやだって……、きみ頭良いし、最低限の教養は身についてるし、友達も……学校なくたって作れるから。

 あと大事だよ、健康」


「健康……、うんまあ、分かるけど、えぇ……?」


 あまりにも反応が淡泊すぎるし、高校卒業と健康の間に何の関係があるのかも分からない。

 春の陽気そのままの空気が、あった。

 ラベンダーの香りが消えてしまうくらい充満している。


「2年近くあれば、まあ、生活リズムも固められるでしょ。

 ずっとそれでやっていくなら、ちゃんと朝起きて夜寝るようにしなくっちゃ。

 徹夜っていうのはたまにやるから意味があるんだよ」


「はあ」


 合点がゆくような、そうでないような。

 やはり曖昧に、溜息なのか何なのか、自分でも分からない息を吐く。


「やりたいようにやりなさい。

 好きなことを好きなように、ね。

 一矢なら、それで大丈夫さ。

 じゃ、シャワー浴びてくるから」


「え、うん」


「おさきー」


 ひらひらふわふわ、食器も片さず、父は食卓を去っていく。

 その背中を、俺は声もかけられず見送った。


「……ありがとう」


 見えなくなった後、水音が聞こえだしてから、そう呟くのがせいいっぱいだった。








◇◆◇







 学校。

 授業は、なんだかんだ、面白い。

 発想の違いだ。

 昔の人たちは何を思って発明を重ねてきたのか、遠い過去の営みが垣間見えるようで。


 教壇では、太っちょ先生がピタゴラス派の崩壊について語っていた。

 後援者が失脚したことで伝説的数学者が作った集団も消滅した。

 みんなも何かをやる時はちゃんとバックアップを取ろうな、と。

 ……先生、PCのデータ吹っ飛んだことあるんだろうか。


 ちなみに、数学の時間である。


『昨日上げた告知動画、見た?』


 机の下に投影したホロディスプレイに通知バナーが表示される。

 授業中だぞ、おい。


 とはいえ、内容が内容だ。

 重要な連絡だったら困るのは俺。


 ちらりと先生を確認する。

 熱が入ってきた様子で、今度は『試験に落ちて逆恨みしたアホが市民を扇動し滅ぼした』という説を披露している。

 ああなると長いから、気にしなくても安泰だ。


『見てない。

 そもそもおまえのチャンネル登録してないし』


『じゃあいいや』


『???』


 腹が立ったので、全力でスタンプを連打する。

 通知ラッシュに苦しむが良い。


 謎の火の玉、不細工な兎、YesNo枕を抱えた青いパンダ、歌うゴリラに撃たれた鳥。

 次はどれがいいだろう、考えに指を止めたところで、ふと思い出す。

 昨日、なんやかんやでなあなあになったけれど、こいつは何かを隠している。


『昨日言いかけてたヤツって結局なんだったの?』


 返信は返ってこない。


 先生曰く、ピタゴラスは輪廻転生を信じていたらしい。

 その時代でもあった概念なのだから、昨今の転生と言えば『Isekai』『なろう系』という固定観念は理解しがたい。

 第一、転生名乗ってるやつの半分くらいは転移だよね。


『おいこら』


『こっちは動画見に行ってもいいんだぞ』


『それはやめて』


『???』


『真面目な話、知らないまんまの方が絶対面白いから』


『それつまり知らないと問題が発生するってことなんだが???』


 帰ってきたのは『ムキムキマッチョが笑顔で叫んでいる』スタンプだった。

 なんだこれ。


 馬鹿らしくなって画面を戻したところで、また通知。

 なんやねんと確認すれば、トラオじゃないどころか見慣れないアプリからのもの。

 新しく複数のアカウントを取り直したからメールアドレスを増やす必要があって、一括管理用のアプリを導入したのだ。

 『気に入ったツイートをいいねしませんか』ってやかましいわ。


 新規ユーザー向けの連絡、色々来るんだろうなぁ……。

 しばらくはアドレス指定で通知を切っておこうか。

 そもそもそういうことできるのかな。

 ……ふむふむ、アドレス帳から必要な連絡先だけVIPに登録ってこれキャリアメールの設定じゃねえか! 

 でもまあ、似たような機能はあるだろう、たぶん。


 あったあった。

 友達と父さんと親戚と……。


 メールアドレス、かあ。

 俺は、ある名前を見つけて、その上で指を止めた。


 『駒井 縫依』。

 ちょっと大人ぶって、フルネームを打ち込んで、それっきり。


 引っ越して以来、メールなんて一通も来なかった。

 ほんとうにだったと言うのなら――


『好きです。

 ずっと、好きでした』


 ……俺はホロディスプレイを消した。

 数学教師による哲学講釈が佳境に入って、終わりへと向かいつつあったから。















  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る