第10話 過去に焦がれる



「それじゃあ、ボクらは教室戻るんで」


「……失礼します」


 なんと言うべきか分からなくて、俺は決まり文句とともに頭を下げる。

 ――控えめに注がれる視線が、あった。


 震える瞳、落ち込んだ肩。

 無理をしているのだと、まざまざと語る口だけの笑顔。


 何を言うべきだろう。

 何が言えるだろう。


 何も思いつかないまま、時間は過ぎた。


 スピーカーがノイズを吐き出す。

 一瞬遅れて、鐘が鳴る。

 授業の終わりを告げる音。


 俺は、


「じゃあ……、また」


 また、なんだろう。

 誤魔化すように右手を振る。

 鐘が鳴らなかったら、俺は何をしていたのだろう。

 俺は、何がしたかったのだろう。


「ありがとうございました、先輩方」


 固い声で、縫依ちゃんが言う。

 酸化しきったコーヒーを飲んだかのような口で、「どういたしまして」と、返事する。


 ――そして、俺は背を向けた。








◇◆◇







「もう6時か……」


 今日一日は準備に当てるということで、俺とトラオは意見を一致させた。

 トラオは明日の始動に向けた配信サムネイルと告知動画の制作。

 俺は、叔父さんへの連絡と、各種アカウントの取得に加えて、情報収集環境の構築。


 ゲームにおける情報収集手段は大きく分けて2つ、自分で検証するか、他人に聞くか、だ。

 情報収集環境の構築というのは、つまり、後者の効率化である。

 上位プレイヤーの動画や生放送を視聴したり、wikiを読んだり攻略記事を漁ったり、どこかの誰かが作り上げた知識の結晶を、横からごっそり頂いていく。

 時間のかかる作業を自分の代わりにやってくれる人間を確保するのだ。


 ――と表現するとどうにも風聞が悪いけれど、やること自体は単純で全うなものだ。

 共通の趣味を持つ相手とSNS上の繋がりを持つだけなのだから。

 リリース直後から情報を発信しているような熱心かつ善良なユーザーに声をかけておけば、後は自然と輪が広がっていく。

 彼らは有用な情報を拡散してくれるから、最終的にはSNS1つで必要な情報を手に入れられるようになるのである。


 小学生の頃、父さんに教わったインターネット活用術だ。

 ガキに何を教えてるんだろう。

 おかげで、変な依存やバカッター的失敗はせずに済んだけれど。


「ありがとうございます、っと」


 AiDに打ち込み、俺はアプリを終了させた。

 Twitterというのは面倒臭いSNSで、いきなり使いすぎるとアカウントをBAN凍結されてしまうのだ。

 bot対策の仕様だろうから、まあ仕方ない。


 ウォーターサーバーから水を汲んで、飲む。

 ミルクキャンディを1粒、口に放る。


 この部屋、この家、なにもかも。

 自分の力で手に入れたものなど何一つない。

 俺は、恵まれている。


「……頑張らないと」


 集中はできていた。

 雑念を混ぜ込むことなく、一心不乱。

 トラオの知識や父の教えがあってこそというのは否定しきれないが、2時間弱で一通りの手配を済ませられたのだから上々だろう。


 ここからは作り上げた環境を駆使して実際に知識を得る段階――の時間だ。


 知は力なり、どこかの哲学者の言葉だが、ゲームに限らず、あらゆる分野領域において変わらない真理である。

 やらなくても楽しめるが――やらなければ、絶対に勝てない。

 知識量の差こそが、初級者と中級者の間に聳え立つ壁なのだ。


 最近はきちんと座学をしてまで強くなろうと思わなくなっていた。

 それまでの経験だけでもある程度の相手なら押し切れるし……、必然的に、競技シーンの情報が目に入るから。

 そして、プレイ時間を重ねていけば、必要な知識は自然と身につく。

 普通にランクマッチを戦う程度なら支障ないレベルにまで到達できてしまう。


 座学というのは、その過程の効率化だ。

 効率、効率、ああ麗しくも憎たらしい言の葉の響き。


 本気でプロを目指すのなら避けては通れない問題だ。

 、チームの専門家に頼れば良い分ある程度は誤魔化しが利くけれど……自分でできるに越したことはない。

 専門家の存在こそが情報収集の重要性や難易度を担保しているとも言えるかもしれない。


 実際問題、真正面から挑むには時間が足りなすぎるのだ。

 1日、24時間、フルに使えたとしても不十分なぐらいに。

 ……まわりのことを斟酌していられなくなるほどに。


 ――ここで、現行の競技シーンがどういった仕組みになっているか説明しよう。

 草野球のような市民が競技として楽しむレベルではなく、トラオが属する高校生カテゴリとも違う、本当の最前線、突き詰めることがスタートラインとなるプロの世界の話だ。


 まず、この日本においてプロゲーマーとは、『国際プロゲーミング連合IPGU』が後援する『日本e-sports協会JeA』が公認した『プロチーム』に選手として登録されたプレイヤーを指す言葉だ。

 両手の指では数え切れないほどに存在する『プロチーム』が、毎年夏と冬に開催される『国内リーグ』で覇を競うのである。

 その先に待つアジア大会、世界大会への切符を手に入れるために。


 この『国内リーグ』だが、プレイされるゲームは合計5種類、IPGUがそのシーズンの『競技タイトル』に認定した作品たちだ。

 そして、2ヶ月に渡って5つの競技を戦い、総合得点で順位を決定するのだ。

 

 『プロチーム』は指定された人数の選手を代表として試合に送り込むのだが、ここで問題となるのがチーム人数の上限である。

 規定として、『競技タイトル』やルールは必要人数がチーム上限の二倍を越えるように決定されるのだ。

 これはかつてのプロゲーマーがプロストリーマーでもあったことの名残らしく、今もなおプロゲーマーが人気商売であるとされる所以でもあるのだが、細かいところは置いておこう。


 重要なのは、『プロゲーマー』は基本的に2つ以上のゲームでプロフェッショナルに相応しい実力を保持していなければならないという点だ。

 それも、半年ごとに『競技タイトル』が変更される中で。

 さすがに毎シーズン全てが入れ替わるということはないが、プロになるだけならともかく、その肩書きを維持していくのなら、早く、広く、上達しことが求められる――


『~~~~~~~~♪』


 ひとつの動画を見終わって、気になった部分を補完すべく検索をかけていたときだった。

 突然、女性の歌声がヘッドフォンに流れ込む。

 停止をかけていなかったから、見ていない間に広告が終わり、次の動画に遷移させられていたのだ。


 倍速再生でも耳心地の良い、落ち着いたアルトボイス。

 誰のものかは画面を見るまでもなくすぐに知れた。

 どっかの誰かがことあるごとに聞かせてくるのだ、分からないはずがない。


 『現環境最強構成でレジェマッチを破壊してみた【Journey to the El Dorado】【KAGAch】』、数分前に投稿されたばかりのできたてほやほやだ。

 それでも再生数が4桁を軽く上回り5000に届きそうなあたり、ゲームの注目度と投稿者の人気が良く現れている。


 ……それにしても歌上手かったな。

 ワンフレーズだけのオープニングだ。

 2倍速なのもあってほんの数秒で終わってしまったけれど、それが申し訳なくなるぐらいのクオリティ。


 ……。

 まあ? 

 たかだか10秒のことだし?

 迷うだけ時間の無駄だし? 


 誰にともなく言い訳しながら、俺は画面右下の歯車マークをクリックした。

 再生速度を×1.0に戻して、シークバーを左端へ。

 そして、スペースキーをパチリ。


『~~~~~~~~~~~~~~~~♪』


 ……後で元動画探そ。


 それはさておき、本編の内容素晴らしいものだった。

 いやあ、SRスナイパーライフルに低倍率スコープとは。

 床に落ちている装備を広い集めるバトロワなんかでは頻繁に発生しうる状況だが、事前に設定した装備を使えるゲームでは滅多に見ない組み合わせだ。

 胴抜きグレジャン斬撃刺突で、ほぼ勝ち確まで持って行けるのか……はー、なるほど。

 ヘッドショットからならワンコンボで倒せるのも芸術点が高い。


「理論値出してんなぁ……、さすがプロ」


 濃密な15分だった。

 迷うことなく『いいね』をクリックしてから、ふと気になって、画面を更新してみる。

 17,857回視聴。

 増加ペースに衰えの影はない。


 俺は、数秒考えてから、そんな自分に喉を鳴らした。


 マウスを動かす。

 そして、次の動画を再生した。


『~~~~~~~~~~~~~~~~♪』


「やっぱり良い声してんなぁ」


 凄いものは、単純に凄い。

 それだけのことだ。


 ――と。

 肩の力を抜いた瞬間、凄まじい大音量に耳を破壊されるとは思いもしなかった。


『WT!!!!????』


「うおっ!?」


 それは悲鳴だった。

 肩がびくっと跳ねるほどの強烈なシャウト。


 ……動画タイトル『新作バトロワは近接メイン! 上に飛ぶ変態と遭遇した件【Journey to the El Dorado】【KAGAch】』。

 まあ、そういうことだった。


「ッスゥーーー……」


 心臓がバクバクと跳ねていた。

 痛いぐらいだ。

 耳が幸せになる歌声を聞かせた後にホラーゲームも顔負けな絶叫を差し込んでくるなんて――ただただひたすらに性格が悪い。

 もちろん、良い意味で。

 ゲーマー的には褒め言葉だ。

 対人戦は相手の嫌がることをやってこそなのだから。


 ……低評価押しちゃおっかな。


『HAHA、一発も当たんないんだけどこの銃、銃身曲がってなーい?』


 そんな気分も吹き飛ばす、陽気な声。

 リロード、そして乱射。

 たった一回の試行で明確に変化するリコイルコントロール、しかし一向に当たらない産業廃棄物。

 単発銃を使おうとなるのも納得だ。


 諦めたように、白い髪のアバターが銃をしまう。

 そう言えば、当たり前に三人称視点で見ているけれど、どうやって録画しているのだろう。

 ゲーム側に機能があるのだろうけれど……、その辺りの設定も調べておかないと。


 パルクール、窓を突き抜け飛び降りて。

 可愛らしい女の子が、屈伸しながらくねくねくねくね駆けていく。

 実に気持ち悪い、理想的な走りだ。


「職業病だなぁ」


 どんなゲームでも狙撃を警戒したステップを入力せずにはいられないし、角を曲がる時はとりあえず足音でフェイントを仕掛けてみる。

 それがFPSゲーマーの生態である。


 んー……、エルドラドの場合なにも考えないで走った方が強いんじゃないかとも思ってたけど、スナ流行るんならやらないといけないよなぁ。

 実際にラダー――ランクマッチを長時間プレイすること――して調整するべき案件だ。


『あんなところにHな窓が!!』


 おおセンシティブセンシティブ。

 家の構造にコピペが少ないのも難しいところだ。

 ゲームとしては素晴らしい特徴でも、競技として考えると煩雑――まあ、良くある話ではある。

 一応、マップや街ごとに建築様式とでも呼ぶべき規則性が存在しているらしいので、検証勢がそのうち見やすく纏めてくれるだろう。


『はいドーン』


 いやぁ、情けない。

 逃げ場なら他にもあったのに良いように狩り出されて、恥ずかしいったらない。

 10秒スキップしたくなるような失態を、だからこそ脳に焼き付ける。


『WT!!??』


 音量を調整してくれたらしく、ちょっと控えめな叫び声。

 同時に悪ふざけだったことが確定して、口の端が渋くなる。


『やるなあ、絶妙だ。

 やっぱり重課金兵は違うね、AhHa』


 自分の金じゃないから喜びきれないけれど、褒められるとそれだけで諸々がどうでも良くなってくる。

 俺、ちょろい。

 いつか騙されて絵画とか買わされそう。


『Ah……、距離取ったね、じゃあ普通に上がろうか』


 足音聞かれてるなぁ。

 たぶん、ここだよなぁ、完全に負け筋に入ったの。

 ここで位置を錯覚させられていれば、まだあった。

 近くにいると思わせてマジック・ボトルグレネードを投げさせると……カスダメで死ぬか。

 じゃあ、逆だ。

 離れたと思わせて端で待機して、階段を登っている途中で仕掛けていれば、3割ぐらいの確率で勝てただろう。


『SHIT……! 

 格ゲーみたいなステップしやがってこんの、マジで上手いな君!』


 実を言うと、間合い管理に命をかけるようなゲームの方が得意なのだ、俺は。

 それでもトッププロ相手では勝てない辺り、実力不足が甚だしい。

 まずはそこからだなぁ……、苦手を潰すよりも得意を伸ばす方が効率的だから。


『――!!』


 渾身の仕掛けも、まるで通用しなかった。

 緩んだ笑みがきりりと引き締まり、しかしそれだけ。

 すれすれで見切ってカウンター。

 配信映えのする芸術的な魅せプレイ。


 スローになる映像、強烈なヒットエフェクト、俺の体が青い結晶に転じて飛散する。

 ひらひらと花吹雪のように舞い落ちる結晶片の中、見目麗しい女の子が立っている。

 能面のような無表情が――はらりとほどける。


『nice fight』


 音の消えた廃屋に、低い呟きが浸みて、消えた。


 ……俺は、次の動画を再生した。

 もちろん、高評価ボタンを押した後で。








◇◆◇








 食事休憩を挟みつつも座学と実践のサイクルを回し続け、あっという間に午前0時。

 脳が重い。

 情報の圧力でパンクしそうだ。

 眠い。

 なのに、体が止まらない。

 止めようとも思えない。


「寝ない、と……、明日は、……」


 口が上手く回らない。

 独り言さえ億劫だ。


 画面を見る。

 情報を仕入れる。

 頭の中にゲームの世界を組み上げる。


 瓦礫の街、深い森、流木の海岸、灰の荒野。

 見える場所と、見えない場所。

 ゲームの中なのか、夢の中なのか、区別がつかないぐらい精巧に。


 時間が飛ぶ。

 気づけば3時、叔父さんからもらったアバターの中。

 無感動にリザルト画面を見つめている。


 ランクアップ。

 Legend 76位。

 最高位の称号だ。


 Exit。

 Ready。

 Match Making……。


 予想時間25分30秒。


 その数字に、正気を取り戻す。

 ランクマッチ、つまり、戦績によって評価された実力を利用し同レベル帯のプレイヤーと対戦するモードでは広範に見られる現象だ。

 高ランクになればなるほどプレイヤー層が薄くなり、試合に要求される人数が集まりにくくなる。

 そもそもの人口が限られている今のエルドラドでは尚更だろう。


 いままで気にならない程度の待ち時間だったのが凄い……いや、違うか。

 思い返せば、かなりの間『マイルーム』のベッドに座っていた。

 それで……そう、左腕の端末からインターネットにアクセスして、wikiや動画を見ながらシミュレートを繰り返している内に、パソコンの前に座っていると錯覚していたのだ。


 ダメだな。

 俺は無言で首を振る。

 ゲームを楽しんではいるけれど、練習としては非効率なこと甚だしい。

 勝てる動きを反復しているだけだ。

 熟練は上がっても、発展がない。


 昨日も徹夜したのだから、さっさとログアウトして、現実のベッドに飛び込むべき――頭では分かっているのに、動けない。

 繰り返す内に、こんなところまで来てしまった。


 ぼぅっと、さっきのマッチを追想する。

 考えがあってのことではない。

 癖のようなものだ。

 勝てた理由と負けなかった理由を、帰納的に導き出す。


 なんとなくをなんとなくのままにしていたせいで……、小4のあのとき、非論理的に喚くことしかできなかったから。


 頭が霞む。

 1つ前に、2つ前が混ざり込む。

 打ち消して繋ぎ直そうとしても、合間が消えて飛び飛びになる。

 点が線で繋がることなく、霧の中へ離散する。


 思考回路が真っ新になる。


『みんな、一矢くんとゲームするのつまんないって』


『好きです。

 ずっと、好きでした』


 声が聞こえる。

 過去の縫依ちゃんと今の縫依ちゃん、二人の像が目の前に浮かぶ。

 小さいのに大きかったり、大きいのに小さかったり、服装も背格好もぐちゃぐちゃだ。

 しまいには声すらも二重に響く。


 重なって、弾ける。


『ねえ、一緒に遊ぼう』


 舌っ足らずな誘いが、遠く、高く、飛翔した。















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