第8話 ゲームスタート
質問攻めから解放されたのは昼休みの前だった。
散々うらやましがられて……、正直、トラウマが刺激されるような注目のされ方だったけれど、思いのほか、嫌な気分にはならなかった。
成長が感じられて、ちょっぴり嬉しい。
好きなゲームのことを好きなように語れるのは、きっと、幸せなことだ。
「あとで話あるから部室貸してな」
「ゆ、指だけは勘弁してください……!」
「誰がヤクザモンだこら。
……あ、新入部員来る感じ?」
「んーや、放課後から」
「じゃ飯の後で」
「食べながらでいいじゃん。
パン買ってきなよ」
「おけ」
ということで、e-sports部部室にて。
トラオはスポンサーに提供してもらったゲーミングチェア、俺はその辺のパイプ椅子。
デスクを挟んで向かい合い、二人きりで飯を食う。
「カラスノだだ甘いの好きだよね」
「糖分ないと頭回んないし」
「エナドリでいいじゃん」
「いや不味くない?」
「は?」
広いわりにガラガラだったはずの部室は、知らないうちに様変わりしていた。
長机の上にデスクトップPCが8台、モニターが10枚。
部室というよりは、授業で使うパソコン室の方がよっぽど近いだろう。
しかし、なにより――
「4台って、もうバカじゃん。
220万だぞ、宇宙行けるぞ」
「宇宙、安くない?」
壁際に4台、新幹線の座席みたいに向かい合わせで鎮座する『Pilot2 Deluxe』。
こんな田舎の、無駄に校舎が広いのだけが取り柄の高校を一躍有名にした立役者だ。
優遇されるのは順当なことだけれど、PC周りと合わせて最低でも400万、高校生への投資金額ではないだろう。
ウチのゲーム部屋より金かかってるよなぁこれ。
比べられる父さんがアレなのか、トラオが頭おかしいのか。
「どっちにしろ問題発言なそれ。
はい炎上」
「もう慣れたよ。
ぶっちゃけ取材と配信で稼げるからあまってるんだよね、お金。
他に使い道ないし」
「えっ、まさか自腹?」
「この部屋全部自腹。
電気代は学校が持ってくれてるけどね」
「はー……」
スゲぇなスーパー高校生。
立ち上げを手伝っただけのことを恩に着せるつもりなんて元々なかったけれど、ここまで凄いと自慢するだけ恥ずかしくなりそうだ。
こいつはもう、バカとか以前に頭がおかしい。
「……iVRが競技シーンに入ってくるって話、噂じゃなくって確定情報だったんだな」
驚くだけ驚いて、満足して。
俺は、そう切り出した。
トラオは名前に似合わないクリクリした目を見開いて、それから、ほんのりと笑った。
「調べたんだ」
「いや、さすがにこの部屋見たら調べてなくても分かるけど……、まあ、そう。
調べた」
「ふーん……?」
訳知り顔で緩く俯き、親友は前髪をくるくる弄る。
俺はあまりのむず痒さに身震いした。
「じゃぁ、話って」
「……悪いけど、たぶん、期待には応えられないよ」
ふと、気づく。
熱に浮かされ、勢いに任せ、自分なりの最適解を実行しようとしていたけれど……、それは、俺の都合でしかない。
そういうところなんだろうな、と。
ガキだなぁ。
ずっと、厚意を無碍にしてきた。
頼ることに抵抗があるわけじゃないけれど、ああ、良い言葉があった。
親しき仲にも礼儀あり、だ。
「おまえさ、なんでずっと誘ってくれるんだ?
ぶっちゃけもう、だいたいのゲームでトラオの方が強いだろ。
1対1で10先とかしたら絶対勝てないぐらい。
こないだ1回勝ったけど、あれ死ぬほどメタっただけだし」
「ゲームによるけど、3割くらいは負けるんじゃないかなぁ……。
でもまあ、うん、トップ層での経験値が違いすぎるから、そういう意味ならボクの方が強いよ」
はっきりと、トラオは断言した。
強さと言っても様々だ。
エイムが良い、キャラコンがうまい、メンタルが強い、読みが正確、知識が豊富、操作量が多い、性格が悪い、メタ張りが丁寧、上手くなるのが早い、などなど。
結果を出せている人は間違いなく強いけれど、出せていないからと言って弱いわけでもない。
「でも……、ああ、そうだ、経験値、経験値が一番しっくりくる。
もしも、きみがボクで、ボクがきみでも、この部室は――」
トラオは首をぐるりと回す。
芝居がかった動きが妙に似合う。
どっかの国の王子様みたいな顔立ちのせいだろうか。
「いまの形でここにあるんだろうって、ボクは確信してるよ」
穏やかな声音だった。
淡々と、なんでもないように。
「いやぁ、それはないって」
「ちょっと、ボク結構真面目な話してるんだけど?」
笑い飛ばす俺に、心外そうに、トラオ。
「だからだよっ」
半笑いで俺は答える。
そんな風に思えないから――思えなかったから、今の今まで、ずっとじめじめうだうだやってきたのに。
「だいたい答えになってないんだよ、ばーか。
そんなだから国語で赤点取るんだろ」
「あ゛?」
「こっわ」
笑い飛ばして、俺はもう一度問いかけた。
「なんで誘ってくれるのかって聞いてんだよ。
答えたくないんなら、それでもいいけど」
「そういうわけじゃないけど――」
「じゃああくしろや。
そーれイッキイッキ、ちょっと良いとこ見てみたい!」
「くっそ雑なコールやめい」
だって昔はそんなこともあったって知ってるだけだし。
ようやく肩の力が抜けた様子で、トラオは大きく息をはく。
「だってさぁ、情けないじゃん」
「なにが?」
「恥ずかしいんだよ、最強、最強、って持ち上げられてさ。
本気でやったら絶対自分より強くなれるって分かってるヤツがすぐ側にいるのに」
唇を尖らせ、ぶぅたれた顔だった。
いやぁ……、本人としては深刻な問題なんだろうけど、ダメだな、笑っちゃう。
見た目がもう、拗ねた小学生でしかない。
「やかましい」
「いやなんも言ってないんだけど」
「顔がな、うん、悪い」
デザートに買っておいた杏仁豆腐を差し出すと、無言で奪われた。
目にも留まらぬ早業だった。
「いいからさっさと競技シーン来いって言いたかったけどさー、なんか真剣に嫌がってたから無理強いはできないしさぁ」
「あー、まぁ」
「そういう情報、意識的に遮断してたでしょ」
「してたなぁ……昨日調べてびっくりしたよ。
思ったよりちゃんと競技として運営されてるんだな」
「そのレベル!?」
「いやさすがにちょっと盛った」
「……」
「だいたい、去年は俺が教える側だっただろ」
「そう、うん、そうだよ。
あのときデュオ大会でガチキャリーされて、ほら実績できたぞってほっぽり出されてさぁ……こいつアホなんちゃうかと。
当時のボクいいとこ上の下だからね?」
「もともとそういう話だったじゃん」
「なし崩しで一緒にやる流れだったじゃん!」
「あ、自分流れとか信じないタイプなんで」
「ギャンブルの話じゃないから!!」
「ギャンブルの話じゃない?」
「そうかな……そうかも……」
こいついつか幸せになれる壺買わされそうだな。
可哀想な生き物を眺めていると、そいつは幸せが逃げていきそうな溜息をひとつ。
「で?」
じっとりした瞳で、頬杖をつき、杏仁豆腐をすくいながら、トラオは言った。
「誘い続けてたのはまだ証明できてないのに持て囃されるのがいたたまれなかったから。
答えなら、これで満足でしょ」
「要するに、道連れが欲しかった、と」
「あー、もうそれでいいや。
で、今日はいったい何のご用で寄り付かないようにしてた部室に来たわけ?
いい加減前置きが長いんだよ」
「いやぁ……」
俺は頬を掻いた。
どうにも、意気地なしが治らない。
「ずっと、おまえの頼みはよく聞こうともせずに断ってきたのに、自分の頼みだけ通そうとするのは人間としてどうなんだろうなぁ、と」
「今更だね」
「……今更だなぁ」
ばっさりと切り捨てられて、俺は苦い味を噛みしめる。
虫が良いにも程があるというものだ。
「……別に構わないよ、それぐらい」
トラオは言った。
見下げ果てた愚か者を見る目だった。
「友達の頼みなんだから、何もなくたって、聞くよ」
「おまえ、良いやつだなぁ……」
しみじみと呟く。
ほんとに、俺とは大違いだ。
ちょっと煽てられたらすーぐ調子乗って、なぁ?
「連帯保証人になって破滅しそうだよな、トラオって」
「喧嘩売ってる?
もしかして要件ってそれ?
いいよ、買うよ?」
「冗談冗談、イッツァジョーク」
HAHAHAHAHA。
と、場を和ませて、俺はようやく、今日の本題を口にした。
伝えることが、できた。
「トラオ、俺に――配信のやり方を教えて欲しい」
◇◆◇
『Pilot2』の環境構築だけならなにも難しいことはないというのがトラオの話だった。
「目的は5月頭の合同トライアウトまでに突破できるだけのステータスと実績を確保すること、これでいいんだよね」
一通りの話を終わらせたところで、冗談めかしてトラオは言った。
とはいえ、軽いのは言葉だけで、瞳は完全にガチモード、眼光鋭く俺を見つめている。
いやぁ、友達甲斐のあるやつだよ、なんだかんだ。
「ああ。
ステータスの方は自力で仕上げるけど、実績が若干運ゲー入ってくるからサブプランとして知名度を確保しときたい。
エルドラド筆頭にiVRカテゴリに採用されるタイトルの練習風景垂れ流してるだけでも、今ならそれなりに需要あると思ってるんだけど……」
「新規も少ないタイミングだから需要は間違いなくあるだろうね。
それに、プロは結局人気商売でもあるから……、トライアウトは建前上実力だけを見ることになってるけど、なんだかんだ、人を集められるかどうかも結果に影響してくるってさ」
言いつつ、トラオはAiDをチラ見する。
伝聞系の言葉だ。
そう言えば、トラオがストリーマーとして所属するチームも合同トライアウトの主催側だったか。
「ぶっちゃけトライアウトの形じゃなくっても良くない?
たぶん、頼めば直接見てもらえると思うけど」
「あー……」
魅力的な提案では、あった。
複数人の中から選出してもらうという形だと、どうしてもリスクが生じる。
他の候補者の影に隠れてしまったり、なにかしらの噛み合いが悪く実力を発揮しきれなかったり。
ただ――
「それはさすがに貰いすぎじゃないか?」
「そう?
どうせコネは活用するんだし、学生区分全部スキップしてさっさとプロになりたいっていうのが本音でしょ。
実績稼ぐのも、個人としての強度を高めるのも、後からだって……というか後ろ盾があった方がよっぽど簡単じゃん」
「うぅん……しょうもない炎上案件抱えるような気が……」
難色を示す俺に、トラオは一言。
「先に結果さえ確保しちゃえば後はどうとでもごまかせる――カラスノが教えてくれたやり方だろ」
――その一言に、決断した。
「いや、やっぱりいいや。
トラオとは、違うチームの方が絶対良い」
俺は結局、自己満足のために生きている。
それなしには生きて行かれないから、そういう生き方をするべく、心を固めた。
だから、一番楽しい道を選ぶのだ。
道の険しさなど、もはや問題にはなりえない。
行くと決めたのだから――進み続けるか、道半ばに倒れるか、だ。
……親孝行は、できないかもなぁ。
「……」
トラオは、数秒、考え込むように瞑目していた。
俺はじっと、返事を待つ。
「カッコつけてるとこ悪いんだけど、なんか反応くれない?」
「やめろよそういうの!」
さきにカッコつけはじめたのそっちだろ、いやいや知らんし、自覚ない方が恥ずかしくない?
ふたり笑って、立ち上がる。
「卒業後になっちゃうかなぁ」
「ソロならわりかしどうとでもできるだろ」
「しばらくは団体の方に専念しようと思ってたから……掛け持ちしない?
高校レベルならキャラパでゴリ押せるでしょ」
「キャラパて。
掛け持ちとかできるような性格だったら、最初からこんなことなってないよ」
「それはそう」
予鈴が鳴る。
昼休みはあと10分。
「初手コラボは良いとして……、ボクの枠切った後レイドするのは?」
「やり過ぎじゃね?」
「カラスノさぁ、それは配信舐めてるよ。
初動は燃やしてでも稼がなきゃ……あっ、犯罪系は論外だけどね?」
「知っとるわ!」
部室の戸を閉め、鍵をかける。
『e-sports部』と書かれた真新しいネームプレートを握って、トラオに手渡す。
「ありがとう」ヤツは無感情に礼を述べてから、はっとしたように太ももを叩く。
ぱちん。
痛そう。
「やっべ忘れてた。
……伸びるかどうかは気にしなくてすむかも」
「うん?」
顔を合わせても、目線が合わない。
目玉を全力で泳がせて、たっぷり躊躇ってから、トラオは切り出す。
「実はさぁ、キミがそういう情報ぜんぜん調べてないから黙ってたんだけど……」
「何を?」
「そのぉ……」
「はよ言えや怒んないから」
「えぇっと……」
「面倒くせえ!!」
「怒んないって言ったじゃん!」
「すぐ言えばの話に決まってんだろバカ!」
「もうちょっと心の準備する時間くれてもいいじゃん、導火線短すぎでしょ!!」
「もうすぐ授業始まるんだけど!?」
「しょうがねーなー」
「こっちの台詞!!!!」
「っち、ハンセイしてまーす」
「茶番が長い!!」
そんなこんなで騒ぎ騒がれ、教室棟に入ってなお粘るトラオ。
俺が言うのもなんだけど意気地なしが過ぎる。
初々しい一年生たちがキャーキャーしてる中を、それ以上に声を張り上げ階段へ。
「あの、」
――通り過ぎる直前、絶対近寄りたくないであろう先輩ふたりに声がかかる。
「あっごめんね、そこのデカいのがうるさくて」
「おまえのせいだろ!?」
黒髪を肩の辺りで切りそろえた、小柄な女の子だった。
トラオよりも背が低い。
どれほどの勇気を振り絞ったのだろうか、彼女は血の気が引いたような、真っ白な顔をしていた。
「あー……、ごめんね、すぐ行くから」
言ってから、逡巡。
いくらなんでも顔色が悪すぎる。
初対面の人にしていい表現かは分からないけれど、まるで病人みたいじゃないか。
父の職場で見たような――
そうだな、うん。
やらない後悔より、やる後悔だ。
「体調悪そうだけど、だいじょうぶ?
保健室の場所分からないんなら案内しようか」
トラオは口を挟まず、俺に任せるとばかりに一歩下がる。
女の子は、伏し目がちに俯いていた。
俺が無駄にデカいのもあって、ほんとうに小さく見える。
150、ないんじゃないだろうか。
「あの、私……」
「うん、ゆっくりでいいよ、どうしたの?」
自然と膝を折っていた。
高さを合わせて、ゆるく微笑む。
年下の相手なら慣れたものだ。
なんだかちょっと、懐かしい。
女の子の顔が、持ち上がる。
すぐ前にいた俺に、驚いた彼女が目を丸くする。
そして。
ぱっ、と。
その頬に紅がさした。
花が咲くように。
息を吹き返すように。
長い眠りから目覚めるように。
「えっ――」
変貌を、俺は呆然と見送った。
錆び付かせていたはずの扉が、滑らかに開く。
遠く懐かしんでいた記憶が、色を宿す。
刺すような痛みと、染み渡るような喜びが、あった。
けれど。
「――」
言葉が出てこなかった。
『久しぶり』の一言すら。
本当に、トラオのことを笑えない。
ぐっと大人びた姿の縫依ちゃんが、思いを馳せるようにしみじみと笑う。
俺はどうだろう。
どんな顔をしているだろう。
唇がゆっくりと動き出す。
俺は、ぴくりとも動けない。
「一矢くん」
親しみの籠もった呼び声だった。
時間がハチミツのようなとろみを宿していた。
なにか言わないと、動かないと、考えばかりが先行して、混線したあげく破綻する。
縫依ちゃんが一歩、歩み寄ってくる。
俺はフリーズしたまま何もできない。
縫依ちゃんが両手を広げる。
小さいはずの彼女が、大きく見えた。
そして、縫依ちゃんは、――小さく、やわらかなからだで俺を抱きしめ、言った。
惜しむように、けれど、惜しみなく。
囁くように、けれど、明朗に。
「好きです。
ずっと、好きでした」
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