第7話 ROUND 1
「やっべぇ――っぐい」
俺は呆然と、再開までの1秒を浪費した。
まずい、まずい、まずい。
手が見えない。
どうすればこの戦況を覆せる――?
玄関はひとつだけ。
そこを塞ぐように、白髪赤目のキャラクターが陣取っている。
逃走は不可能――いや、ほんとうにそうか?
『構え』、牽制。
同時に腰に手を伸ばして――再びの気づき。
これはゲームだ。
自分に出来ることは、相手にも出来る。
『マジック・ボトル』の攻撃範囲が廃屋全域に及ぶことは実証済みで、俺のHPは残り僅か。
じっくり策を練る時間はなかった。
ままよと『ジャンプ』、隙と見た相手は踏み込んでくる。
俺は、最速で『投擲』した。
炸裂。
真下で解き放たれた風が、俺を押し上げ、敵を吹き飛ばす。
決死の思いで、俺は二階の塀に手を伸ばした。
指先が――縁に掛かる。
『パルクール』。
固い床に、転がり込む。
遅れて、廃屋がずんと揺れた。
さあ、ここから。
回復か、潜伏か、逃走か。
窓は――ない。
分かり易いポジションを取れば、また例の焼夷弾が飛んでくるだろう。
立ち上がりざま、俺は『Med』をタップした。
祈りを込めて、階段を監視しながらHPゲージをちらちらと。
せめて、110を越えてくれれば――
85、100。
しかし無情にも、彼女は来る。
足音が変わった瞬間、俺は剣を引き抜いた。
回復が止まる。
HPは、片手剣の最大火力に届かない。
『構え』るのと、彼女が頭を出すのは同時だった。
赤い瞳が、残像を引くように輝いていた。
錯覚か、エフェクトか。
じっと我慢し、観察する。
対面。
遠距離を使えるほどの遠間ではなく、さりとて触れられるほどの近間でもない。
俺は右下、相手は上。
射程ぎりぎりの位置では先手が不利、密着距離なら先手が有利。
あと一歩、ほんの少しでも近づけば、そこで始まり、終わりまで続く。
リスクを取るか、取らせるか。
表情からは読めない。
見とれてしまいそうなほどの笑顔だった。
いやこっわ。
詰めれば引かれる。
引けば詰めてくる。
近寄られたくない?
一定の距離から、一気に踏み込んでくるつもり?
読み切れない。
タイミングも、掴めない。
緊張感に内臓がぎりぎりと絞られる。
心臓の鼓動が聞こえてくる。
歯を、食いしばる。
前……、後ろ、前。
移動に移動を合わせて距離を維持する。
それだけのことにすら、培ってきた全てを駆使しなければならなかった。
攻めるべき立場なのに、攻められない。
俺が、決めないと。
さっきとは状況が違う。
相手は冷静だ。
明らかに、このゲームに慣れている。
どうする。
どこで切り出せば有利になる?
視線誘導、フェイント……いや、何か違う行動を取った瞬間、斬撃からの刺突ヘッドで殺されるだろう。
ひとつ前で避けられたのは、相手が外しただけなのだから――
必要なのは反射と読み、そして直感。
極めて単純化された、対人戦の形。
つまりは、ゲーマーとしての力勝負。
前、前、っ後ろ。
ダメだ。
考えが纏まらない。
脳みそはキャラクターコントロールで手一杯、先を考える余裕などない。
その時は着々と迫っていた。
もう、いつ間違えてもおかしくない。
それなのに俺は、攻めるタイミングを決められない。
ああ、クソ。
こんなだから俺は。
このままだから、進めない。
だから。
だから――
俺は、動くべきタイミングで足を止めた。
あるべき距離が足りなくなって、剣を振れば届くほどに近づいて。
俺は攻撃モーションに移った。
相手は、動きを止めなかった。
――勝敗が決した。
ここから先は、ただの確認作業。
『刺突』。
対して、バックステップ。
狙ったのは頭だ。
右下から突き上げる。
しかし――、あぁ……、ああ。
固定されたレティクルから、白い頭が逃げていく。
十字の先には、焼け焦げた壁が映るのみ。
何もかもが早すぎて、遠すぎる。
ぶん、と反動。
伸びきった腕は、そこで固まる。
足も、頭も、動かなくなる。
また、鋼が振り下ろされる。
『50』
おなじ片手剣だけどデザインが違うなぁ、とか。
ダメージは同じだから武器スキンなのかなぁ、とか。
そういえば『斬撃』にはヘッド判定ないんだなぁ、とか。
バクステの判断はっやいなぁ読み切られてたなあ、とか。
苦し紛れで頭を振りはしたけれど、心はもう、受け入れていた。
敗北の味を、噛みしめていた。
自分の弱さ、自分の無知、自分の愚かさ。
変われない、出来上がってしまった俺自身。
その上に積み上げるべき、無数のもの。
『Critical』『60』
「
聞こえない言葉を、囁いた。
対戦相手のアバターも、何事かを口にする。
爆散。
画面が、赤く砕けて黒になる。
『You were killed by KAGAch』
暗転。
硬貨がばら撒かれるようなサウンドとともに、リザルトが精算されていく。
どうでもいい。
「あぁぁああぁああああぁくっっっっっっっっっっそ負けたぁあああああああああああああああ――」
誰にも聞こえないのをいいことに、俺は叫んだ。
叫び続けた。
息も切れないから、声はいつまでも途切れない。
叫喚。
金切り声。
デスボイス。
さすがに10秒くらいで正気に返る。
「いやぁ負けたなぁ、完全に負けた。
くっそ。
超悔しいんだが、ああ、くっそ、なんだこれ、くっそ」
なんだよあのグレネード、当たり所が悪すぎる。
潜伏ポジから追い出されるにせよ、あのダメージがもうすこし小さければまだ戦え……戦えてもたぶん勝てなかったよなぁ。
知識でも、技術でも、思考力でも、心量でも、なにもかもで遅れを取った。
なんなんだアイツ、意味分からん。
この短時間であの練度ってなんだそれ、バケモノかよ。
そりゃあ全体的に直感で操作できるハードだけどさぁ……。
「世の中にはとんでもない天才がいるんだなぁ……」
いやまぁ、知ってたけど。
どっかのバカとか。
中級者ぐらいから数ヶ月で高校生最強とか、もう、アホかと。
『10 / 41』
『120 + 72 + 120 - 0 = 312pt』
『【Death Camera】【Exit】』
いつの間にか画面は切り替わり、最終結果が表示されていた。
数字はどうでもいいにせよ、デスカメ、うぅん、見たいような、見たくないような。
こんな低レベルで相手視点の動画見ても……、いや、相手のKAGAchさんだかKAGAさんだかは上手だったんだよなぁ。
……見るかぁ。
人差し指で【Death Camera】の文字を触る。
接続、読み込み。
少し長めの待ち時間。
完膚なきまでに負かされた。
何が勝ちに繋がるのか分からない、霧の中を進むような勝負だった。
向こう側的には、勝負になってなかったんだろうけど。
気分が沈む。
沈んで、底に触れて、熱を持つ。
……映像が流れる。
真っ白いポニーテールを後ろから追いかける、三人称視点。
彼女は走っていた。
熟練者特有の、安定した気持ち悪い動き。
小刻みにしゃがんで、立ち上がって、ジグザグ、ジグザグ。
これカメラ……動かせるな。
拡大縮小、360度思うがままだ。
もうちょっと寄せて、真横について……、と。
試行錯誤している間に、彼女は例の廃屋に到着する。
んー……、読みか、音か、追いかけられてたか。
後ろから撃ってきた相手もKAGAchさんだったのだろうか。
独り言か、通話でもしているのか、アバターの口をぱくぱくさせながら、廃屋を通り過ぎて、戻って足音を立てて……、
ガラス窓は当たっても爆発せずに通り抜けるんだなぁ。
『5』、『5』、断続的なダメージ表示。
足音を聞きつつ前に出て攻撃、と。
相手が困ってるのは見えてる……そういえば、自然にやってたけど表情から情報取れるのも新しい要素だ。
グレ持とうとしたから即詰めて、ああ、風グレの使い方は想定外だったのかな、目ぇ見開いてら。
ちょっとは楽しんでもらえたみたいで、良かった。
俺だけが満喫するのは、うん、悪い、から。
「なんだこいつ、クッソ笑ってんじゃん、ッハハ」
茶髪の俺は、深くだらしない笑みを浮かべていた。
楽しくて楽しくて仕方ない顔。
次を期待する、こどもの顔。
うん。
……うん。
動画が終わる。
画面中央、渦を巻くリプレイボタンと、画面下のExit。
今度は迷わず、下を押す。
勝ちたい。
また、戦いたい。
こんなに面白いものから身を退くなんてとんでもない。
叶うことなら、いつまでも、ずっと、これだけをやる人生にしたい。
これがないと、生きていけない。
あーあ。
もう、ダメだ。
分かってたことじゃないか。
一番バカなのは、自分だって。
――俺はこの日、諦めた。
◇◆◇
「おはよ。
あれ、烏野がこんな時間にいるの珍しくね?」
「うー……っす」
「死ぬほど眠そうじゃん、徹夜明け?」
「……ん、家いたらそのまま……あー、寝ちゃいそうで」
「アホじゃん。
まぁおやすー」
「おぉおー……」
朝練上がりのバスケ部に死にそうになりながら返事をして、俺はまた机につっぷす。
昨日はあれから狂ったようにエルドラドを攻略し続け、気がついたら朝になっていたのだ。
父さんは、息子の不摂生を諫めるでもなく、ただ笑って熱いコーヒーを淹れてくれた。
……恵まれていると、強く思う。
少し前までとは、違った意味で。
頭がくらくらする。
瞼が重い。
眠たい。
でも、寝付けない。
バスケ部のヤツに言った台詞は嘘だ。
朝礼の1時間以上前から学校に来たのは、家にいるとあの座席に座り込んで立ち上がれなくなりそうだったからだ。
12時間近く同じ姿勢でいたのに肩こりや筋肉痛などの不調はあらわれていない。
やろうと思えば、脳がぶっ壊れて気絶するまで連続でプレイすることもできるだろう。
……そのまえに強制ログアウトとか食らうかな?
……、武器は片手練習で良いかなぁ……。
両手には不利だけど全体的に速いしグレ使いやすいし……、うん、鎚矛の判定が強かったら使ったんだけどバトロワで相手依存の理論値武器使う気になれないしなぁ……。
モーションスキップの精度上げて、エイム練考えて、ガラス瓶の湧き場固定っぽいから後で調べて……、みつかんなかったらどうしよ、自分でマップ作ろうかな。
あとは環境作んないといけないからトラオに教えてもらって、叔父さんにも連絡して……。
思考が巡る。
既に終えたものの焼き直しだ。
なんの意味も無い。
こんなことに時間を使うならさっさと寝た方がマシなはずなのに……、頭が勝手に動き続ける。
でもFPS止められないんだけど、だ。
寝てるんだか起きてるんだかも曖昧な無限ループの中で、俺はたっぷりと時間を費やした。
夢の中でゲームをしていたような、頭の中でシミュレートしていたような……、まぁ、本気で嵌まると良くあることだ。
どのぐらいの間そうしていたかは……、体感的には数時間、でもそんなはずはないから2、30分くらいだろうか。
ぱつん、と。
学ランの背中にぶつかった感触に、俺はむっくり起き上がる。
「山が動いたぁ!!」
「うるせぇエロガキ」
「いや当たり強くない!?」
悲鳴を上げるトラオに、どっと沸き立つ周りの連中。
テレビ見たぞ、とか、我が校の誇りにして屑、とか。
「いやいやおまえら、それを言うなら埃だろ」
「は?」
え、これアウト?
割と上手いこと言ったつもりだったんだけど……。
世間様の目は冷たかった。
「ほ……、ほら、寝起きだから……」
怯えて見せるが、『センスがない』だの『寒すぎ』『シンプルにつまらん』『頭悪そう』だの散々な言われようだ。
「うるせえおまえらよりは成績良いわ!!」
「うっわマウンテンゴリラ」
「はっ、ゴリラ舐めんなよ学年最下位。
貴様はゴリラより知能が高いのか?」
「負けてそう」
しれっと、なんてことなさそうに、トラオは深く頷いた。
いや頷かないでほしい。
試験の度に教えるのもいい加減めんどくさいんだけど。
真面目にやればできる癖に人のノートばっか当てにしやがって。
一頻り笑って、雑談が始まる。
競技勢ではないにせよ、ゲーマーが集まったグループだ。
自然、話題は発売されたばかりの『Pilot2』に帰結する。
正確には、デラックス版を手に入れた動画投稿者やストリーマーについてだ。
「グラすっげぇよなぁ、VRって結構画質悪いイメージだったんだけど」
「分かる。ギャルゲやってる動画見たんだけどさ……、もうね、ヤバい」
「あ、センシティブフィルターに消されると噂の」
「あれマジなん?」
「マジマジ。森のおっさんが動画上げたらしいんだけど、俺見れなかったもん」
「っ、ぐ、げほっ、ごほっ!」
「どしたん、道間違えたか?」
「そうそう、あー……、げほ、うん、大丈夫」
叔父さんめ……、水を飲んだタイミングで出てこなくてもいいだろうに。
ぼんやりしながら、俺はわいわい騒いでいる連中の声を聞き流す。
暖かくて、眠たくなってくる。
「ところでさー」
トラオが切り出した。
「みんなに見て欲しい動画があるんだけど」
「でたでた」
「どうせカガチタツミだろ」
「いやソフィア・スミスかも」
「同一人物やんけ!」
笑い声が広がる。
うつら、うつら。
『カガチタツミ』=『ソフィア・スミス』はトラオの推しだ。
要するに、いつもの発作である。
……寝よ。
「まぁ待ってよみんな。
確かにカガチちゃんの動画だけどさ、本題はそこじゃなくってさ。
おら起きろ烏野ぉ!
おまえの話だぞ!!」
「うるせえぞクソオタぁ!!」
「よし起きたね。
さて、それじゃあ皆さんごちゅーもくー」
ホロディスプレイが拡大される。
再生されているのは、ゲームの実況動画だ。
画面右下に表示された白い髪の3Dモデルが、ころころと表情を変えながら楽しげにプレイしている。
思わずこちらも笑ってしまいそうなぐらいの、満面の笑顔だった。
……うん?
白い、髪?
ゲーム画面の方も、なんだか、朝方まで見ていたものと似ているような……。
いやいや、エルドラドは
動画は
まさか、まさか。
……うん。
『新作バトロワは近接メイン! 上に飛ぶ変態と遭遇した件【Journey to the El Dorado】【KAGAch】』
俺は、後の展開を察して頭を抱えた。
上に飛ぶ変態、ねぇ……。
なんでいつも使ってる名前そのまま使っちゃったかなぁ。
銃弾をばら撒いて『当たんないんだけどぉ!?』と喚き、破裂音を聞きつけ『漁夫行こっかぁ』とやらしく笑うKAGAchさん。
Journey to the El Dradoは神ゲーだ。
神ゲーだから対戦履歴から過去20試合の動画を再生できるし、デスカメラと同じように視点を動かせるのである。
白い女の子が、黒く焼け焦げた街を駆け抜ける。
そして……、問題のシーン。
金髪の男がジャンプするなり画面外に消えていった。
そして、これは動画である。
制作者が面白いと思ったシーンは、面白おかしく使い倒される。
おぉおー……、さすが240FPS、0.25倍速でもしっかり顔が確認できる。
結局、髪を染めてカラコンを入れただけの……、俺によく似たアバターの顔が。
「んん?」
「いまなんか」
傍目から見ると、なんというか、大学デビューに失敗してそうな面だなぁ。
知らないけど。
動画は流れ続ける。
変態扱いされたプレイヤーは一分ほどで討伐されて……、そして。
「はいここー」
トラオが示したのは画面右上。
試合中のメッセージログが表示されるそこには、当然、自分が誰を倒したかも記録されている。
『You killed MieCro』
「なーんか知ってる名前が書いてあるんだけど、どう思う、ミエクロー君」
「……名前被りなんて、良くあるじゃん?」
「嘘へったくそだなおまえ」
えぇ……。
トラオだけじゃなく、全員がどっと笑う。
そんなに分かり易いかなぁ。
俺は溜息をついて、抵抗を放棄した。
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