第5話 逃避行
アバターの顔が現実のそれと一致している――
ネットリテラシーという概念を100年前に置き忘れてきたかのような現象に、俺は数秒、言葉を失った。
よくよく見れば顔の輪郭は全然違うし、パーツの配置もそれに合わせて調整されているけれど……、知り合いが見たら一発で分かるくらいには『烏野一矢』だった。
細い眉や、尖り気味の鼻なんてそのものだ。
左の手首を返し、Escボタンをタップ。
『ゲームを終了しますか?』
即座にYes。
『お疲れ様でした。またのお越しをお待ちしております』
暗転。
次の瞬間、俺は宇宙空間に浮かんでいた。
「ほんっとさぁあああ……、っ、はっははははは!!」
やり場のない感情を、誰にぶつけるでもなくわめきちらす。
声を上げて笑った。
笑うしかなかった。
なんでオンゲーってこういうトラップ用意するかなぁ!
しかも顔って、顔って!!
デフォルトでボイチャONの1億倍酷い。
というか、あの姿見の配置からして、わざと仕込んでそうな感じがする。
開発の悪意だ。
過去の名作ゲームに対するリスペクトやオマージュが激しいとは思ってたけどさぁ……。
「そんなとこまで真似しなくていいんだよ!!
ほんとにさぁ、アホじゃん!?
マジでさぁあ……、ははっ、……はははは、いやぁ……」
おかしなツボに入ったのか、いつまで経っても笑いの衝動が収まらない。
俺は腹を抱えて笑い転げた。
普通なら息が出来なくなって、肺やらお腹やらが痛くなるぐらいに……、あれだ、捧腹絶倒とか、そんな感じで。
未だに意識はアバターの中、そう、俺と同じ顔をしたデータの体。
だから、ほんとうに、いつまでもいつまでも笑い続けていられる。
いやぁ、バカだ。
俺も、こんなしょうもないところに即死トラップをしかけてきた開発も。
これちっちゃい子とかなんにも意識しないで始めちゃうだろうに……ってそういえば『Pilot』自体R15だったか。
『Journey to the El Dorado』も……、R15だなぁ……。
いやだからってそんなことして良いわけないだろバカ。
「はぁ……、いや、もう、ほんと……、いやぁ、笑ったなぁ……」
自分でもちょっと脳みそがバグってるんじゃないかと不安になるぐらい笑って、俺はぐぃっとのびをする。
意味ないけど。
あ、でもなんかパキポキいってる。
パキポキ、パキポキ、パキポキ、ぷちぷち。
「隠しサウンドついてる……」
まずい、このままだと無限に検証するコースだ。
朝まで帰ってこられないかもしれない。
危機感に迫られて、俺は周囲を見渡した。
これまた、絶景だ。
宇宙旅行に行けばこんな世界を直に見られるのだろうか。
最近は200万円くらいで行けるらしい。
『Pilot2 Deluxe』4台と考えれば、安いような、高いような。
ええ……っと、ログアウト、ログアウト……、ああ、これかな。
俺を取り囲む惑星の中に一つ、地球によく似た星が浮かんでいる。
青い海と、緑の大地。
中央に描かれた電源アイコン。
タップすると、ロードが挟まれるようなこともなく、すっとウィンドウが開かれる。
『Pilot2を停止します。
覚醒後は、ロックが解除され、停止音が聞こえるまで立ち上がらないでください』
おお、なんかそれっぽい。
画面が消える。
そのすぐ後に、すべての感覚が途絶する。
それこそ、宇宙空間に投げ出されたみたいに。
体感的には、1秒か2秒。
実際はたぶん、その半分くらい。
重力が、俺の体に帰ってくる。
「いやおっ……もっ、からだおっっも!!
なんだこれ!!」
声が響く。
真っ暗なヘルメットの中で、ぐわんぐわんと跳ね返る。
それらしい停止音はまだ聞こえない。
そんなことより、体が重い。
余分なお肉を実感できる。
特別太ってるってほどでもないはずなのに。
こんなだるんだるんの体で生きてきたのか、俺……。
父さんがやたらと運動を進めてくる理由も分かる気がする。
「いやぁ、これは……、凄いなぁ、ほんとうに」
あれは、ゲームだ。
データ上に構築された空間で、3Dモデルのアバターを動かしていただけ。
操作だって、実際は入力に従って決められたモーションが再生されている。
なのに、違和感なく動かせた。
まるで現実の体を動かすように。
もしかすると、それよりずっときめ細かに。
実際に自分が動いているという錯覚さえあったのだ。
……長期間ゲームをプレイしていると、そういうことはたまぁにある。
考えて、入力して、キャラクターが動くのではなく、考えたらキャラクターが動いているような……指と画面が連動するような……。
キャラクターと一体化して、その先にいる誰かの息づかいさえ感じ取れるようになる最高の時間。
何時間、何十時間、場合によっては何百時間もかけて辿り着くような操作感をあんな簡単に実現できるのだとしたら。
「流行るだろうなぁ、Pilot2」
しみじみと感慨深く、呟いた。
『Journey to the El Dorado』――いや長いな、エルドラドでいいか――特有のものだったのかもしれないけれど……、いや、最後にメニュー画面で動かした感じ、あれが標準なのだろう。
だとすれば、間違いなく流行る。
ゲームハードは全て淘汰され、大手もこぞって参入してくるだろう。
いわゆる覇権だ。
FPPがメインになるんだろうけど、TPPだとどんな感じになるんだろうなぁ……。
ぼぅっと、未来のゲームに思いを馳せる。
銃を撃ったり、剣を振ったり、スポーツをしたり、登山したり。
ホラゲが恐すぎて人が死んだりして……、そうなったら発禁だから勘弁してほしいなぁ、とか。
すごろく系のパーティーゲームでも、新しい楽しみがあるだろう。
大作MMOが発売された日には、どれだけ準備してもメンテバーストだ。
ああ、いいなぁ。
楽しみだなぁ。
……ゲームが、好きだ。
最初は、褒めてもらえるのが嬉しいだけだった。
いつの間にか、ゲームなしでは生きていけなくなっていた。
勝負を突き詰める道と、それ以外、楽しみ方がたくさんあるのは分かっていた。
分かっていたのに、気づけば混ざって、区別できなくなっていた。
1つに入れ込みすぎた、末路だった。
区別しなければ一人になるのだと気づいたのは、一人になったあとだ。
道の先に、プロの世界があることは知っていた。
それを目指して訓練すること自体は苦ではなかった。
けれど……俺は、その道を一人でしか歩けない。
入れ込みすぎて、振り払う。
自分で捨ててから、誰もいないことに気づいて、引き返す。
一人は、嫌いだ。
寂しくて、耐えられない。
だからゲームをしているのに、その中でさえ独りぼっちになるなんて。
溢れ出しそうな感情が、あった。
煮えて滾って、薬缶みたいにぴぃぴぃぴぃぴぃ鳴り喚くのだ。
……俺は、ゆっくりと目を閉じる。
呼吸を数える。
心臓の鼓動は、数えない。
いつの間にか、ヘルメットは背後に消えていた。
外れたのか、外したのか。
分からないまま、クッションから抜け出し立ち上がる。
机の上のAiDには、メッセージの通知が溜まっていた。
◇◆◇
父が帰宅したのは、午後6時過ぎのことだった。
晩ご飯はビーフシチュー、茶色いソースに浮かぶ、肉と野菜。
切って、フランスパンに乗っけて、一口でぱくり。
さっくり、ぽわぽわ、甘いのと酸っぱいのと苦いのが口の中で混ざり合う。
「高級な味がする」
「言ってもテイクアウトだから、そこまではしないけどね。
おいしいでしょ」
「うん」
デミグラスをスプーンですくって、口に含む。
複雑なのに、嫌味がなくて、やっぱり、高級な味がした。
お茶を飲む。
口の中を空っぽにする。
「神ゲーだったよ」
考えた挙げ句、出てきたのはそれだけだった。
脈絡なんてない。
父は目を細め、困り眉でふふふと笑う。
「どれ? 全部?」
「いや、エルドラドっていう」
「ああ」
納得した表情で、大きく頷く父。
「キャラデザ、子玉さんだからね」
「う゛ぇ゛」
「えっ」
自分でも聞いたことのない声が出て、俺は思わず父と顔を見合わせる。
蛙が潰されたような声、っていまのみたいな音なんだろうか。
実際に聞いたことがないから、知らないけど。
そんなことより。
「マジで!?」
「えっ、うん、そう聞いてるけど」
気づかなかったの、と父さん。
俺はむぐぐと口ごもる。
ファンとしてあまりにもだらしない。
くっ、キャラクリに手間取らなければ再ログインまでいけたのに……!
なんであんなにパーツ分けが細かいんだよ、神ハードめ。
「実は……」
俺は、恥を忍んで事の次第を説明した。
「それで物憂げな顔してたわけだ、はは、やるなぁ」
「物憂げって……、いやまぁ、うん」
「ははは……、まぁ、世の中にはなぜかゲーム内ボイチャで会話垂れ流してるカップルとかいるからね。
誰にも見られてないだけマシだよ」
「あぁー、いるよね。
なんでか分かんないけど」
鋭いんだか、鈍いんだか。
……それとも、そういうことにしてくれたのか。
ほろほろの肉を噛む。
解けて、散らばる。
飲み下す。
「それにしても、珍しいね」
「なにが?」
「きみが、キャラクリに時間かけるの。
基本初期アバターでスタートするタイプじゃない?」
――氷を飲み込んだような気分だった。
喉から転がり、食道を滑って、胃に落ちる。
「初期が、初期だったから。
いろいろ弄くってる内に楽しくなっちゃって」
「ふぅん。
ちなみに、満足いく出来にはなったの?」
「それがぜんっぜん。
美術2が出たね」
「出ちゃったか」
からからと笑う。
俺も、父さんも。
「もしちゃんとしたアバターが欲しかったら、うちの兄貴に頼むと良いよ。
プロだから」
「へ、どういう……?」
「いや、そのまんまの意味で。
あの人、自分で3Dモデル作ってVtuberやってるんだよ。
森野クマって名前で……知らない?」
「大手じゃん、え?
バラしていいやつなの、それ。
え、ほんとに?」
「ほんとほんと。
バラしたのは……まあいいでしょ、身内だし。
あ、さすがにネットにばら撒くのはやめてあげてね」
「しないけどさ……」
俺は、懐疑やら納得やら、もろもろがない交ぜになった感情を消化しきれず、目をぱちくりとさせた。
何の仕事してるか分かんないけど羽振りはやたらと良いから、株かFXで生活してるタイプのネオニートだとばかり……。
「趣味で作った未公開3Dモデル死蔵してるから、頼めばすぐ調整してもらえるよ。
ぼくも今回頼んだし」
「へぇ……」
「連絡先は知ってるでしょ?」
「知ってるけど、うーん、ええ?
そこまで付き合いあるでもない親戚相手におねだりするのはハードル高くない?」
というか、父さんがあんまりにも平然としているから流されそうになってるけど、まず叔父がYoutuberだったという現実を受け止め切れてない自分がいる。
俺、『森野クマ』さんの動画見たことあるけど、一切気づかなかったんだが?
いや……、確かに似た声ではあったような……、でも、えぇ、マジで?
「いけるいける、あの人知り合いをバ美肉させることに快感覚える変態だから」
真面目くさった顔で、父さんは言った。
自分の兄はそういう生き物であると、確信しきった表情だった。
俺は思考を放棄した。
マジかよあのおっさん、裏……裏?
ネットの世界でもどぎつい下ネタおじさんとして有名だけど、あれ演技じゃなかったのか……。
「なにその山の奥に住んでるバケモンみたいな性癖」
「だってこの年になってもエロゲ薦めてくるモンスターだし」
「聞きたくなかった……。
次会った時どういう顔しろと」
「ちなみに趣味は良いよ」
「う゛ぇ゛」
一日に二度もこんな声を出す日が来るとは……、癖になったらどうしてくれる。
聞きたくなかったなぁ、ほんとに。
パンの切れ端で、ソースを拭う。
一番美味しいところを、しっかりと味わう。
最後にもう一杯、お茶を飲み干す。
「ごちそうさまでした」
いつものように食器を食洗機に放り込む。
がごからら、自動で最適なポジションに配置してくれるやれるやつなのだ。
「あ、ちょっと」
そのままの流れでゲーム部屋に足を向けたところで、呼び止められる。
椅子に座れとジェスチャーサイン。
俺は首を傾げながら、席に戻る。
「どうしたの、改まって」
「ちょっとお話があります」
「えっ、なに、ほんとに」
テンションの落差に、凄まじいものがあった。
茶化すことも出来ないほどの、真剣な声音。
気分的には、叱られる直前だ。
心当たりもないというのに。
「見たよ、進路希望」
「ああ、なるほど」
俺は頷く。
態度と声音に相応しい話題だ。
とはいえ、気負うことは何もない。
半年ぐらい前にも、一度話したことなのだ。
「前にも言ったとおりだよ。
適度に働いて、がっつりゲームする。
俺にとっては、それが一番幸せなんだから」
「ほんとうに、それで満足なのかい」
「えぇ……、父さんだって分かってるでしょ。
俺は――」
「ゲームがあれば他に何もいらないって言うんだろう、分かってる」
父さんは微苦笑で俺の言葉を打ち切った。
「なら――」
思わず、声が高くなる。
咳払いをしてから、居住まいを正す。
鉄骨を渡るような心境で、俺は慎重に言葉を選ぶ。
「なら、話すこともないでしょ。
他のものにも目を向けろとか、学校の先生みたいなこと言わないよね?」
「まさか。
趣味に100万……ひゃくま、100万か。
冷静に考えると凄いことしたなぼく」
「今更!?」
「まあまあ、それはさておき」
俺はじっとりと父さんを見つめた。
正直、頭のおかしさで言えばこの人の方がよっぽどだ。
ここ最近は仕事で忙しくしていたから、その反動ではあるのだろうけれど……、一度に使う金額ではない。
だってそこらの軽自動車より高い買い物だぞ。
「ぼくが言いたいのはさ、それだけで満足できるのかってこと」
「どういう……」
「一矢、きみはぼくとは違うし、ぼくも、きみとは違う生き物なんだ。
人生の過ごし方を参考にしてくれるのは嬉しいけれど、でも、それがきみにとっての一番かはぼくにも分からない。
だから……、ちゃんと、自分がどうしたいのか、考えなさい」
俺は、呼吸を整えた。
父が何を言いたいのかは、分かっていた。
どうして、とつぜんそれを言い出したのかも。
「縫依ちゃんから、何があったのか、聞いたの?」
「いいや、聞かないって約束しただろう。
だいたいは分かってるつもりだけどね。
……僕だって、きみの倍は生きてるんだから」
俺は口を噤んだ。
ずるい。
年月を持ち出されたら、反論なんてできやしない。
「熱くなりすぎるからと、チームゲーから距離を置くのだって、選択肢のひとつだ。
対人から離れるのも、
嫌なものは嫌なんだから、目を背けたって誰も文句は言わないさ。
でも、きみは――」
「みんな、そうしてるじゃん。
父さんだって。
結局はゲームなんだから……、趣味として遊ぶのだって、楽しみ方のひとつだよ」
俺は、針を飲むような思いで言い切った。
体の中の臓器という臓器が萎縮していく。
きゅるきゅる、きゅるきゅる、締め付けられる。
「……そんな顔をしておいて……、自分だけを責めても辛いだけだって、分かるだろう」
「知らないよ、決めつけないでよ」
「好きに生きて良いんだよ、誰の言うことも、気にする必要はない」
「だから、好きにするんだって」
グラスを呷る。
空っぽだった。
一滴、滴り落ちてきた液体を飲み下す。
「……お茶、飲むかい」
「ううん、いらない」
「そっか」
寂しげに、父さん。
ごめん、ごめんなさい。
心配を掛けてるのは分かってる。
俺が幸せになれるよう、心を砕いてくれているのも。
その態度が、なおさら俺を引き留める。
「ねえ、父さん」
「どうしたんだい」
「俺がゲームを始めたのはね、父さんが、一緒に遊んでくれるからだったんだよ」
人間、無理なことはある。
出来ないことは、できないのだ。
人は一人では生きていけないし、……俺は、一度入り込むと戻ってこられなくなる。
なにかが起こるまで、他の一切を顧みることができなくなる。
この1年、何度も試して、思い知らされたのだ。
俺は席を立った。
話は終わりだ。
「一矢」
「……なに?」
ゲーム部屋のすぐ前で、もう一度、父さんに呼び止められる。
立ち止まったけれど、振り返りはしなかった。
これ以上見られたくなかったし、見ていられなかった。
「意思が固いのはよく分かった。
ぼくからはもう何も言わないけれど、最後にひとつだけ、聞いて欲しい」
「……わかったよ」
「何を選ぶにせよ、後悔だけはしないように。
決められるのは、きみだけなんだ。
もういいよ、……楽しんでおいで」
俺は唇を噛みながら、聞こえるかどうかも気にしないで「うん」とだけ呟いた。
そして、大きな筐体に体を横たえ、ヘルメットを頭に被る。
真っ暗な中で右手を動かし『Pilot2』を起動した。
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