第3話 ゲーム・アディクト



「一矢くん、かーえーろっ」


 いつまでも甘受できるものではないことぐらい、分かっていた。

 だって、ボクには母がいない。

 当たり前のものを、持っていない。


 だからこそ、彼女との時間は何にも代えがたい宝物だった。


 ――への誘惑は無数にあった。

 そういう時代で、そういう街だ。

 大作ゲームには軒並みオンライン要素が実装されていたし、のゲームと言えば対人に重きをおいた作品だった。

 地元を拠点とする国内最強と名高いプロゲーミングチーム『Delta』。

 多くの大人がその敗北に声を荒げ、勝利に狂喜する街だから――


 地元について学ぶ授業で、社会科見学として、『Delta』の施設を訪ねた日。

 プロの技、プロの言葉、勝負にかける人の心。

 触れて、焦がれた。


 この先にある世界を、見てみたい。

 自分は弱く、道は険しく、果ては遠い。

 それでも、いつか。


 ――踏みとどまれたのは、こどもだったからだ。

 好奇心を掻き立てる物なんていくらでもある。

 飛行機になりたかったり、国家公務員になりたかったり、魚になりたかった……のは縫依ちゃんだったっけ。

 情報の海に翻弄されて、なにもかもが希釈される。

 毎日が楽しくて仕方なくて、その楽しさを手放せなかった――


「おっきいなあ」


「美味しそうだねえ」


 小学4年生の夏祭り、いつものように、ふたり、手を繋いで近場の神社を参拝した。

 いつもと違ったのは、晴れ着だったこと。

 ハーフ成人式だとかで着物を着せられたボクと、それに合わせた縫依ちゃんは、下駄をカッポカッポ鳴らして歩き回り。

 巨大な冷凍マグロを、発見したのだ。


「これなにこれなに?」


 目を輝かせ、頬を上気させ、縫依ちゃんが率先して聞いて回った結果、その正体はすぐに知れた。

 祭りの最終日に開催されるゲーム大会の優勝賞品だった。

 『Delta』が協賛する一発勝負のトーナメントだ。

 プロが参加するようなことはなくても、大学や高校のe-sports部でトップを張るような強豪プレイヤーが顔を揃えるそんな場所。


 だから、ボクたちには手が届かない。


 そう言って宥めるのがボクの役割のはずだった。


「ボクが獲ってくるよ」


 気づけば、そう口にしていた。

 胸が高鳴っていた。

 ほっぺたが風邪でも引いたみたいに熱かった。

 言わずには、いられなかった。


 その期待に、応えたかった。


 ――俺はまだ、その思いに名前を付けられないままでいる。








◇◆◇








 体感できるほどのロード時間はなかった。

 暗転した次の瞬間、俺はぼろっちい小部屋の中、固い板のようなものの上に座っていた。

 正面には朽ちた戸棚、左の壁には人一人が通り抜けられるぐらいの小さな窓。

 舞い散った埃が差し込む光を反射して、きらきらと輝いていた。


『まずはアイテムを拾いましょう』


 メッセージが視界の真ん中に浮かび上がる。

 なんとも言えない場違いさに、俺は思わず吹き出した。

 さすがにその息にまでは物理演算の手が回らないらしく、無尽蔵に湧き出す塵はただまっすぐに落ちていく。


「すげぇなぁ」


 ああ、凄くゲーム的で、FPS的だ。

 同時に、ゲームとは思えないほどの映像美。

 俺は溜息をついて、じっくりとこの小部屋を観察した。


 天井はボロボロで、さびた鉄骨が剥き出しだ。

 それどころか、拳大の穴が空いていて、青い空が見通せる有様。

 あー……なるほどね? 

 つまり、屋根上に登って、そこから弾を通せるわけだ。


 それでそれで? 


 正面の戸棚には、アイテムですと主張する、金色の光を纏ったガラス瓶や赤くハイライトされたスプレー缶。

 ざらついたコンクリートの床は、荒れているようで真っ平ら。

 部屋の扉も、木製なのに原型を保っている。


 いいなあ! 

 ゲーマーなら気づくゲームらしさ、お約束。

 慣れ親しんだ、見知らぬ場所。


 俺は、ゆっくりと息を吸い込んだ。

 味はしない。

 胸が上下するようなこともない。

 それでも、俺はここにいる。

 ゲームのプレイヤーとして、座っている。


 まずは――

 俺は一番にやるべきことを思い浮かべ、停止した。

 ……Escエスケープキーってどうやって押すんだろう。


 その時だった。


 左の手首が青白く光る。

 見ると、そこには腕輪のようなものが嵌まっていた。

 磁器のように白く、金属のような光沢を持つ、異質な物質だ。

 この小部屋から形成される世界観にまるでそぐわない、奇怪で綺麗なリング。

 表面には『Inv』『Med』など、3文字1組のアルファベットがぐるりと彫り込まれている。


 光っていたのは『Opt』の文字だった。


 なるほどなぁ。

 俺は薄く笑って、そのボタンを押下した。

 途端、振動音と共に投影されるオプション画面。

 現実でもおなじみのホロディスプレイだ。

 『Inv』はインベントリで……『Med』は回復用のショートカットなのだろう。


「さーて、視野角と感度はー……って、なんだこれ?」


 画面構成自体は、まあよくあるものだ。

 『ゲームプレイ』、『グラフィック』、『サウンド』、『アバターコントロール』とタブが並び、その下に調整スライドや選択項目が配置されている。

 文字化けが起きているわけでも、表示言語が違うわけでもない。

 けれど、何を書いてあるのか、つまり、それぞれがどういった意味を持つものなのか、俺にはいっさい、まったく、ちっとも理解できなかった。


 いやまじでどこだよ視野角。

 カタカナやアルファベットの専門用語が多すぎて、完全に埋もれてしまっている。

 うーん、んんー? 

 えーっと、ああ、FOVって表記してるタイプなのか。

 とりあえず102にしておいて……良かった、グラフィック周りには知ってる名前がある……! 

 サウンドもそんなに複雑なことはないかな……よし、よし、SEだけ100にしてっと。

 アバターコントロール君は……、うん、ダメだこれ。


 諦めて、俺はもう一度オプションボタンを押した。

 ブンッと音を立ててウィンドウが消える。

 あそこまで複雑だと、攻略サイトの設定を丸コピして調整する方がよっぽど早い。

 企業系wikiは最近のAAAタイトルに限って有能なのだ。

 感度設定を見つけられなかったのが心残りだけど……まあ初期設定で動かせないようなゲームはそうそうないだろう、きっと。


 気を取り直して、インベントリ画面を呼び出してみる。


「あれっ、武器持ってるのか」


 画面中央を占領しているのはシンプルな金属剣と非実在銃のグラフィック。

 添えられた『リーティオ【片手剣】』、『エスカレッタ【AR】』というのが、名前と武器種なのだろう。

 で、所持アイテムは左右に分かれて表示される……のかな、たぶん。

 ちょっと不思議なUIだけど、使っていけば慣れるだろう。


 画面を消して、立ち上がる。

 とりあえずはチュートリアルに従って進めていこう。

 こちとら武器の構え方も分からない正真正銘の赤ちゃんなのだ。

 そもそもどこに装備してるんだろうか、やっぱり背中? 


 頭を回す。

 違和感なく、視界が動く。

 限界まで動かしたところで、画面左端に、さっき見た剣の柄が映り込んだ。


 ……可動域ってなんだよ。

 でも、これ以上はほんとに動かない。

 ゲーム的に表現するのなら、見えない壁にぶつかっているような感覚だった。


 なるほどね。

 何度目かの納得に首を振ると、顎先が胸襟に触れた。

 従来のFPP一人称視点のゲームの場合、大抵はカメラを動かすとキャラクターの向きも自動で変わってしまう。

 けれどiVRならば首だけを動かすことができるのだ。


 WASD移動とマウスによるエイム合わせが、移動と首振りに変換されるような感覚だ。

 慣れるまでは、諸々のアクションにワンテンポ遅れが出るだろう。

 ちょっと面倒くさいけれど、それはつまり、これまでのゲームと比べ『側面や背後を取る』という行動がより強いということで――


「おもしろいな、これ」


 リアルなゲームだからこそ生じる弱点がある。

 その気づきが、脳の回転を加速させる。

 ヘッドショットはダメージ以上の強さを発揮するだろう。

 大抵のFPSではダメージが減衰されるハズレ的な意味しか持たなかった腕や足への攻撃も、違った表情を見せてくれるはずだ。

 近接攻撃、右手で握ったショートソードだって――


 俺はいつの間にか『構えて』いた剣を『しまった』。

 一般人が一発でできるはずのない難しい動きは、やろうと考えるだけで勝手にしてくれる、と。


 俺は画面の指示に従い、アイテムを『拾ってインベントリにしまう』。

 二回繰り返したところで、文言は変わった。


『手に入れたアイテムを調合し、『マジック・ボトル(火)』を制作しろ』


 ああ、楽しみだ。








◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆








 俺は考え得る最高速でチュートリアルをこなしていった。


『近接武器を装備し、指定方向に構えを取れ 1/8』


『補助線をなぞるように剣を振れ 1/8』


『近接武器を装備し、指定方向に構えを取れ 1/8』


『補助線をなぞるように剣を振れ 2/8』


「いや多いな!? ……ってスキップできるわ」


『窓から部屋を出ろ』


『魔法銃を装備し、腰だめでターゲットを射撃しろ』


「銃持つとレティクル出てくるのか。それで……けっこうリコイル激しいな」


『魔法銃をリロードし、スコープを覗いて射撃しろ』


「……あっこれ覗いて外して繰り返すと強制的にウィンクさせられるっ、気持ち悪っ」


『『マジック・ボトル(火)』を投擲しろ』


『『マジック・ボトル』を作成し、投擲しろ 2/6』


 そして――


『敵を倒せ』


 はじめての てきが あらわれた! 

 なんて。








◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆








「うーん、かったいなぁ……」


 一通り試した感想が、これだ。

 キャラクターの最大HP200に対し、マジック・ボトルグレネードとアサルトライフルはあまりに貧弱だった。

 一番瞬間ダメージが大きいグレネードをきっちり当てても表示されるダメージは90前後。

 アサルトライフルに至っては、他のゲームで言うマークスマンライフル並にブレる上、ヘッドショットでも20ダメージだ。

 おまえはもうARやめてSMGを名乗ってくれ……それにしては発射レートが遅すぎるか。


「bot相手なら全然戦えるけど、これたぶん、使い方が違うな」


 多くのFPSゲームにおいて――なにせファースト・パーソン・シューティングだ――、武器の花形を務めるのは遠距離武器である。

 グレネードがサブで、近接武器は弾切れしたときの緊急手段……という認識を、このゲームでは改めるべきなのだろう。


 回復アイテムの使用速度に対し、秒間ダメージ量DPSがあまりにも低いのだ。

 遠くから弾をばらまき、マジック・ボトルグレネードを投げつけているだけでは、の敵を削りきれない。


 となると……ある程度近づいてから撃ち始めて、相手が逃げたところを追いかけて、グレネードで遮蔽からあぶり出し、最後の詰めに剣を使う、というのが理想的な戦闘の流れになるのだろうか。

 実際にやってみないと分からない部分が多いけれど、なんというか……うーん、これ、バランスが死んでそうな気配がある。

 だって、撃たれたらとりあえず逃げてしまえば良いのだ。

 見る限りマップには遮蔽物が豊富だし、一度視線を切ってしまえば、待ち伏せを警戒せざるをえない追跡側の足も鈍るだろう。

 このゲーム、公式サイトによれば『バトルロワイアル』らしいのだけれど、これじゃあ『隠れん坊』か『鬼ごっこ』が良いところだ。


「いやいや、まだチュートリアルも終わってないんだから」


 萎みかけた気分を奮い立たせて、俺は次の指示を確認した。


『ミニマップ上の指定地点にまで移動しろ』


 ――それと同時、視界左上に出現するミニマップ。

 呼応するように、左手首の腕輪――正式名称は『ジェネラル・ターミナル』らしいけど、たぶん誰も使わない――に刻まれた『Map』のボタンが光を宿す。

 押してみると、当然、全体マップが表示されるわけだ。


 全体的に、砂漠のようなクリーム色の地形だった。

 建物はほとんどが灰色で、これはおそらくすべてが老朽化しているという意味なのだろう。

 水場は海がマップ端にあるぐらいで、このゲームでは泳げないということを示している。


「それで、この線が安置のラインかな」


 地図は綺麗な四角形だが、北から東にかけて走る一本の赤い曲線で二分されていた。

 北側の領域はいかにもそれらしい蛍光色の赤で塗りつぶされていて、侵入するとダメージを受けるのだと察するに余りあるわかりやすさだ。

 どれぐらいのダメージを受けるのかしらべてみたい気持ちはあるけれど、そのうち機会はあるだろうから今回は後回しにする。

 ようやく終わりが見えてきたのだ。

 このくっそ長いチュートリアルを終わらせてしまおう。


 俺はマップ南西、海岸線に向かって駆けだした。

 地図によると、指定されたポイントはここから500メートルほど離れた場所にある。

 現実では間違いなく途中で息切れするかゲロ吐くかだけど、この世界にはスタミナの概念がないから全力疾走でも楽勝だ。


 風を切って、俺は走る。

 ああ、これ、いいなぁ。

 肺が苦しかったり、足が痛かったり、体が重かったり。

 そうした現実のしがらみから全て解放されて、ジョギングの楽しさだけを満喫できる。

 ゲームの醍醐味、その究極系だ。


 走りながら、首を回す。

 速度が落ちることはない。

 リアリティを追求してかダッシュ中にカメラを動かすと減速する仕様の作品も多いけれど……俺としてはこっちの方が好ましい。

 せっかくのグラフィックなんだから。


 赤茶けた丘を駆け下りる。

 向かう先には蒼い海がこれでもかと煌めいて、点在する灰色の街が寂寥を煽る。

 真っ青な空もまた、滅びた国という印象を引き立てていた。


 絶景だった。

 視界全てに、見るべきものがある。

 街の形、家の崩れ方、なだらかな起伏、どこを取っても唯一無二。

 めんどっちいチュートリアルを投げ出さなかったプレイヤーへのご褒美に相応しい、完成された一枚絵。

 古典的と言えば古典的で、使い古された手法ではあるけれど、使われ続けるのにはわけがあるのだ。


「すっげぇなぁ……」


 走る、走る。

 その景色の中に飛び込んでいく。

 バランスへの不安なんて吹き飛んでいた。

 このゲームの開発は、『分かってる』。

 随所に折り込まれた工夫やリスペクト、そしてこの演出。

 信頼するにはじゅうぶんだろう。

 近距離戦闘を作り込んだバトロワなのに、遠距離から近距離を繋ぐ手段がないなんてありえない。

 必ず、なにかがあるはずだ。

 まだ俺が気づけていないだけで。


 山を下り、荒れた街道を通り、放棄された港町に到着する。

 瓦礫が散乱するメインストリートを踏破した先に、目的地はあった。


 かつて広場だった場所だ。

 中央には顔のない天使の像と枯れた噴水。

 石畳は風化して、隆起でも起きたのだろう、路面は激しく波打っている。

 かつて巷を賑わしていたであろう周囲の建物も、もはや何の店だったかは判別できない。

 看板や造りから、かろうじて店だったことがわかるだけ。


 良い雰囲気だ。

 まるで――最終安置みたいな地形じゃないか。


 メッセージが更新される。


『古き竜が舞い降りる。生き延びろ』


「えっ」


 てっきり、そこそこ強いbotが物陰から飛び出してくるものだと……。

 呆気にとられつつ、俺は空を見上げた。

 舞い降りるというからには、空から飛んでくるのだろう、と。


 しかし、海の方面には何も見えない。

 雲ひとつない晴天だ。

 それじゃあ――


 振り返ろうとしたそのときだった。


 暗い影が、大地に落ちる。

 ばさりばさりと、空気が砲弾のように叩きつけられる。


 銃は……さすがに通らないかな。

 俺は、右手に『リーティオ【片手剣】』を『構え』、左手で『マジック・ボトル(氷)』を『取り出した』。


 どこからか現れた怪物は悠々と舞い降りて――着地点の何もかもを粉砕する。

 噴水も、天使像も、砕けて散って、瓦礫と塵の仲間入り。


 その怪物は、正しくドラゴンだった。

 二本の足と、一対の翼、刺々しい尻尾に爬虫類の瞳。

 赤黒い甲殻に守られた全身と、白く柔らかそうなお腹や翼膜。

 翼爪や足の爪はもちろんのこと、牙だって鋭くぎらついている。


 そして、なにより――


――GRUUUUUOOOOOOOOO!!!!


 肌が震えるほどの雄叫びに、体の動きを固められる。

 まあ、お約束だ。

 ドラゴンの咆吼に状態異常が付いてるのも、私は炎を吹きますよと、呼吸の度に口から火の粉が飛び散るのも。


「露骨に負けイベ臭えけどやったらァアッ!!」


 俺は負けじと声を張り上げて、タンクローリーもかくやという大きさのドラゴンに飛びかかった。

 同時、画面上端にUIが追加される。

 『赤竜グラナダカルメッシ』、赤く細いHPゲージ。


 ……いやこれ何ゲーだよ。















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