第九話

 もうすっかり顔なじみの警備員に失礼しますと告げて門を出た。後ろを振り返ると、建屋から続々と従業員が流れ出してくるのが見えた。彼女が言ったコンビニはこのイグナイトの敷地と隣り合っていて、駐車スペースが広くとられているせいか、営業車で溢れかえっていた。そこには、あらかじめジェレーナが言っていたように、確かに白い丸っこいデザインのコンパクトカーが止まっていた。見ると中から彼女が手を振っている。


 「もう、何も買わなくて大丈夫ですか?」そう言う彼女自身はちゃっかりと何か飲み物を買ってきていたみたいだった。


 「ああ、私はいいです。もう行きましょう」


 そう言うと、ジェレーナは助手席を軽く手で払って、どうぞと言った。車内は芳香剤の香りに満ちていた。それは強くもなく、また弱くもない優しい香りがした。ついつい中を見渡そうとすると、彼女は恥ずかしそうに、ちょっと、と言った。


 「このままこの道をまっすぐ行けばいいんですよね?小道を入ったところと言いましたか、見えたら教えてくださいね」


 頬にふくんでいた飲み物をごくりと飲み込むと、彼女はそう言った。


 「まだあのザルファーのポステさんが引っ掛かりますか?」がたりと段差を越えた時に彼女が聞いた。


 「ええ、言っていなかったですかね?実は課長の持ち物がローデック駅で発見されたみたいなんです。変なことに、そこへ行く予定はなかったんですよ。それで…。そう、まあ有名なハブステーションですから、何とも言えませんが、その近くにザルファーがあるんですからね…」


 なるほど、と言って、彼女は私がポステ氏に拘る理由にようやく納得したとでもいう風に、浅く息を吐いた。


 辺りはゆっくりと忙しかった時を終えようとしていると見えた。このあてもなく奔放に広がった平野のどこかへとひたすらに続いている道には、その日の慌ただしさから我先に逃げ去ろうと、執拗なくらい車間を詰めた車列がずらりと並んでいる。


 そろそろ先の会話から空いた隙間を埋めなければ、と無意味な焦燥の昂りが始まる予感がした。


 「あの、レドムさん。休日はいつも何をされるんですか?」


 「え?ああ、そうですね、家で映画とか見ることが多くて、これと言って特には…。あ、でも、たまにドライブくらいはしますね。」


 「へえ、一人でですか?」


 「うん、一人の時もあれば、友達と行くときもあるし、でも結局そんなに遠くへ行かずに買い物して終わっちゃいますね。女同士ですから…。ウッドさんは何をします?」


 「うんと、そうですね、私も家に居ること多いかな…。ドライブはもう随分としていませんね。だから、私も部屋でのんびりする週末がほとんどですね」


 「ふうん、一人で…、ですか?」ジェレーナはちょうど私が言ったのをまねて返すようにそう言った。


 「はは、ええ一人ですとも」


 そう言ったところでちょうど信号が赤になった。その赤が強く滲んでいることにようやく気が付いた。これは昨日ここへ来た時とおおよそ同じ時刻を意味していた。日はルーティーンを果たすべく、私たちの裏側へと向かったようであった。


 私は何気なく、シールドに映りこんでいるジェレーナ・レドムの瞳を見つめていた。同時に、その視線も何かを強く訴えるためにじっとこちらへ向けられている風に見えた。 


 その後は信号が青に変わるまで、二人は一言も発しなかった。それはまるで鏡の中に映りこんだ像が実像を追うような光景だった。首を回すとそこにはこちらを向いたジェレーナ・レドムがむき出しのまま両目を震わせていて、何かを考える間もなく二人はキスをした。


 結局のところ、最後にはしびれを切らした誰かがホーンで二人を無理矢理に引き離したという訳だった。いつから青が車内を照らすようになっていたのかは分からない。とにかく一つだけ確かなことは、対話によるコミュニケーションという段階をすっ飛ばして、私たちは全く言葉抜きで新たな関係へと移行したということだった。


 「…不思議ですね。言葉の方は、…ただ言葉だけがまだ少し遠くにいるようです…」と彼女は言った。それは二人が一つとなったことを認めたことの証明でもあった。

 

 彼女は〝見えたら言ってください〟と、そう言ったのだけれど、私が指示する随分と前から赤青ランプが目的地へ我々を誘導するようにそこで瞬いているものだから、私は簡単に、あそこですと言って、ちょこんと指をさすだけで済んだ。どうやら、私達の初デートはオメガ産業へのドライブという訳らしい。


 昨日はあれだけ不気味に佇んで居たその廃墟のような建物は、今はもう相当不細工に飾り付けられたイルミネーションスポットとでもいうような様相でこの白いコンパクトカーを待ち受けていた。間もなく警官の一人に誘導されて、小道に入った。ジェレーナはこの狭い道にどうしても文句を言いたいという風な顔でハンドルを握っていたが、それでも何とかこれを堪えて見せたのだった。


 そこでは、さながらロベルトン中の警察から車両をかき集めて来たかというような賑やかさが、昨日の空虚を埋めようとしていた。その上、昨日のあの時間からは想像もし難いほどの照明が辺り一面に放射されて、全てをそこへ掻き出そうと躍起になっているのだ。この時点で、私は、もう今日は怖い思いはしなくて済みそうだなどと、助手席で一人安堵していた。


 辛うじて線が残っていたスペースに彼女が車を止めると二人して外へ出た。そこはもうある種のお祭りのような光景が一面に広がっているのだった。目をぱちくりさせていると、どうやら一人の人物がこちらへ向かって歩いてくるらしいことが分かった。


 「ロベルトン署のギルモです。現時点から会話の録音を開始しますから、ご了承ください」


 ランプが周回するごとに、そう告げた男性の詳細が明らかになっていった。右手にはバッジを持っているようで、それを我々の方へ向けていることは何となくでもわかった。


 「先ほど電話で話したウッドです。それとこちらが―」刑事と握手した私がそこまで言うと、今度は彼女が自分からぐいと前へ出た。


 「私はイグナイトのレドムです。どうも」と言って同じように軽く握手した。私たちは玄関の方へ歩きながら、刑事の質問に答えていった。


 「―ええ、私が昨日話したのはポステさんという方でした。五〇代くらいに見えましたね。白衣を着た痩せた男性でしたけど…。他の人は皆もう帰られたと…」


 「その方は、他の従業員はもう退社したと言ったんですね?…それがですね、実はこの会社は営業していた記録が全くないのです。全くというのは、開業の届けすら出されていませんでした。ですから、つまり、従業員とされる方は一人も居ないわけです。要は存在しない。このオメガ産業と言われる企業は、一度たりとも政府の何かしらの認可を得た形跡がないのですよ。全く信じられないことですが…。それは我々もです。我々もね、この建物内を捜索しているんですが、施錠されている部屋も多く、まだ関係者を誰も発見できていないのが現状なのです」


 「え?そんなこと…」


 私はもしかしたら、幽霊でも見たんじゃないか、おかしなことに、おまけにそいつと、うっかり会話までしてしまったのではないかと思った。


 「私が見た男は地下へ私を招き入れました。そこで私は、持参したユニット…。そう彼が呼んでいたんですが、黒い長方形の箱状のバッテリーのようなものを手渡して、それから、その部屋でそれを搭載するらしい装置…。とにかく、よく分からない機械を見ました。電話でのお話の通り、そもそもこれを私に届けさせたのが、今失踪中の上司なんです」


 私が一息で流れるようにこう話すと、ギルモ刑事はしばらく考え込んだ。それが終わらないうちに、さらに続ける。


 「どうやらこのユニットというのは私が持っていたものだけではなかったようなんです。昨日、私を含めた、ザルファーグループの数社から、イグナイトさんに訪問者がいたらしく、少なくとも、まだ私の他に二人はこのオメガ産業に来た可能性があるんです。そのうちの一人が、行方不明になっているランダーさんという方です。そして、私がさっき電話で話したときに名前を出した人物が、もう一人の方の、ザルファー購買部のポステさん。少し混乱すると思いますが、とにかく私は二人のポステさんと会ったんです!」


 「なるほど、確かに地下に施錠された扉がいくつかあるんですが…。これで許可が下りそうですね」


 ギルモ刑事は合点がいったようにそう言って、「それでは国有地不法占拠ということで強制開錠許可願います」建屋の方を見上げながら、無線で誰かにそう話した。


 数人の警官によっていくつかの大型工具が地下へと運ばれていく。その後をついて我々も昨日の階段を下へ下へと降りて行った。


 「ここです。これが私が昨日入った部屋です。たしか…、試験課とその男は呼んでいましたけど」私は少々声を潜めたように刑事にそう言った。


 「それじゃあ、ちょっとばかり作業がありますから、ドアから離れて下さい」


 そう言ってギルモ刑事は私たちに向かって両手を広げた。そして、始終どこかから連絡を受けて、それについて熟考しているというように、時折、少し隅の方に寄って、神妙な面持ちでそこに立っているのだった。


 しばらくすると、突然どこかで、小さくがりがりといった音がする。しばらくすると複数個所から同じような音がして、それぞれはまたすぐに消えていった。私たちがそれをただ見ていると、ギルモ刑事がこちらの方へ戻って来て、そこに待機していた警官たちに、何やら手で合図した。


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