暴れ牛と夜明けの唄 23『水涸れ 前』
なんだろう、すごく気持ち悪い。
伸ばされた手から逃げるようにサファは身を離した。
ひどい仕打ちを受けたのだ。人、それも貴族に怯えるのも無理はない。もしかしたら、人間そのものに対しての強い不信感が植え付けられてしまったのではないか。それは、サファ自身もよく分からなかった。
お腹の奥底をジリジリと炎で炙られているような感覚。ムカムカして胃からなにかが込上げる。だけど、その事を伝えるのにも、恐怖と怒りの反動で上手くはいかない。
素直に気分が悪いと言えばいいのに。
「大丈夫……です」
ああ、気持ち悪い。でも、ここで吐いてしまったら粗相になってしまう。苦しむ表情もせず、俯いたままサファは口を押さえた。
我慢は、できなそうだ。早く誰もいないところに行かなくちゃ。気持ち悪くなった事は何回かある。そもそも、体調不良のときは、その症状の事しか考えられず、体のいう事をきかなさが本当に腹立たしい。
そして、今もそうなりつつある。地面に手をつき、立ちあがろうとして、猛烈な痛みと吐き気がサファを襲った。
まずい、出る……
もう片方の手は口を押さえてたまま。ゴボッという音と共に、口から赤いものを吐き出し、受け止めきれなかった血が手を伝って服と地面に溢れる。
「水涸れ……」
エリュシオンだろうか、誰かが呟いた。
どう見ても大丈夫ではない。というよりも、3人の顔からはザァッと血の気がひいた。青い顔でいながらも、いち早く動いたのはアレクシス。彼は自分の赤い外套でサファ包むと、冷や汗を吹き出して見下ろした。
ボタボタと滴るそれは、自分にも降っているに違いない。
「……汚れますよ」
「もともと赤い。これで口を押えてろ」
ほぼ、考えることなく口から出る言葉に自分自身もびっくりだ。この時はもう苦痛に支配され、気持ち悪いと、痛いの2つしか考えられなくなっていた。
安心させようとしているのだろう。アレクシスはニカッと笑って、サファにタオルを持たせた。その手は震えており、ようやく自分が良くない状態なのだという真実を受け入れざるを得ない。
「すみま、ゴホッゴホッ!」
「しゃべんな!」
フカっとした肌触り。口にタオルを当ててるだけでも少しは安心する。ようは、人の血を吐く姿なんて見たくないし、見せたくない、という事だ。他の2人はどんな顔で見ているのか。それは『水涸れ』の症状に追いやられ、サファはいよいよ目を閉じることにした。
このまま、気を失ってしまおうか。
「ごめん、辛いだろうけど、がんばって意識を保って!」
この状態でそうきますか。だけど、エリュシオン様が、考えなしにそんな事を言うはずがないのも察した。
うーん。痛いし、気持ち悪い、けど。
さっきから、血を吐き、痛みと闘っている。だけど、それも、しばらく経つと慣れてきたような。
パッ、と目を開けてみると、眉間に皺を寄せたアレクシス様と目があった。少し安心した様子だ。
「お? もしかして薬、食えそうか?」
いや流石に。口に含む事は出来ても、体に吸収させる自信はない。ふるふると首を振った。
今気づいたけど、どうも、空を飛んでいるらしい。血液がなくなっているからか、手足は冷え、顔に受ける風が真冬のように寒さを刺す。
本人はそんな事を感じる余裕はないのだが。
「もうすぐ、エーヴリルのとこにつく。がんばれ」
そう言われて、頷くように瞬きをした。
魔術を使えばいいのに。
本当ならそれが一番早い。だが、失神者続出で、頼りのエリュシオンは先の戦闘によって魔力を多く消費している。城までは決して近くはなく、それ相応の魔力を使うため、転移魔術を使える該当者はいなかった。
「ゴホッ」
「急ごう!」
そうこうしている間にも、また血が吐き出される。とんでもなく苦痛のはずなのだ。しかし、サファは顔色は悪いものの、吐いた後は目だけ開けて、まるで、アシェル達の様子を伺っているようだった。
何を考えているのか。その瞳は、吐血と共に出た涙で濡れており、珍しく罪悪感を露わにしているエリュシオンの姿を映していた。
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