暴れ牛と夜明けの唄 22『魔力の暴走』

 わたしは、ここで死ぬんだろう。

 抵抗もしなかった。高々と振りあげられた剣を見ることもなく、目をつぶったまま、その時を待つ。


 刃が皮膚に届くか、届かないか。首筋に微かな風圧を感じ、ピリッとした痛みが走る。

 ──────その瞬間。


 カキイィ──ンッ!



 ザクッ


 金属音が響き、ペンダントによって発動した魔障壁で弾き飛ばされた剣が、離れたところに突き刺さった。

 

「クソ!!」


 首の代わりに落ちた髪が、ほほをくすぐり、支持を失って地面にヘタリ込む。だが、危機はまだ通り過ぎたわけではない。


「コイツか!!」


 否応いやおうなく出された手が、ペンダントを掴み、今度は持ち上げられて、わたしの首を吊るしあげた。


 苦し……

 喉を掻く。


「なんで、こんなものを持ってる?! はっ、どうせ盗んだものなんだろうがな!」


 男の鎖を握る手に力が入り、ついに、ブチッ! という音とともに鎖が切れた。地面に打ちつけられた衝撃でうずくまる。それでも、逃げる、という思考など、持ち合わせる余裕は、自身が与えてくれない。


「死んで詫びろ!!」


 魔石が地面に叩きつけられ、カンカンとした音が鼓膜に呼びかける。わたしは、魔術を使うために向けられた男の手には、見向きもしなかった。


 ドクン……

 ドクン……


 急に耳が遠くなった気がした。

 相手が何かを言っているようだが、それも聞こえない。無音の中に、魔石が落ちた音と、脈動がうごめく。


 これが怒り? 

 かつてこんなにたかぶらせたことはあっただろうか。


 くすぶり始めたそれは、落ちた魔石を視界に入れる事により、せきが外れてしまった奔流ほんりゅうの如く、強烈な怒りへと変化し、一気に溢れ出した!




 ゆるせない、ゆるせない、ゆるせない、ゆるせない、ゆるせない、ゆるせない、ゆるせない、ゆるせない、ゆるせない、ゆるせない、ゆるせない、ゆるせない、ゆるせない、ゆるせない、ゆるせない……




 その言葉が、体中を埋めつくしていく。シュルルル……という音を立てながら、自分を丸く囲うように魔力が地面を這い始めると、不穏を感じ取った男が、焦って魔術を構築し始めた。


 許さない!


 目の前が真っ赤に塗り潰されていく。



 ドン!!!!



 心臓が一際大きく収縮した。同時にボコボコと地面を変形させるほど、魔力の圧が強まる。もちろん、男によってではない。


 ゆらり。

 と、サファがよろめきながら立ち上がった。


「こ、このっ、虫ケラがぁ!!!!」


 だけど、狼狽えて放った、男の魔術が届くことはない。何の魔術だったのか、なぜ、自分はこんなにも怒りが込み上げているのか。なにが起きようとしているのか。それすらも、もう、どうでもいい。


 思考を停止させる。

 どうせ、この体はもう、自分ではどうすることもできない。


 サファを取り込み作られた立体型魔法陣は、まるで怒りを表すようにぐるぐると渦巻き、異様なほど急激に魔力を溜めていく。彼女はまだ、俯いたままでいた。


 バチバチと何度か火花が飛び散り、ようやく閉じられていた目がゆっくり開かれる。


 その瞳は、輝くことはなく、ただ純粋に、ただ深く、紅玉のように真っ赤に染まっていた。



         ※


「ガウッ」

「なにかあったのか? セレネ」


 アシェル達が野営地に戻ろうとしていた頃。いち早くそれに気づいたのは、アシェルの召喚獣である白虎だった。そこからまた少し進んだところで、3人は異変に気づいた。


「……ウソだろ」

「これ、暴走?」

「こりゃまた、随分溜め込んでるな、わはは」


 笑い事じゃない!

 サファを残してきたテントまでは少しある。だが、この場でもはっきりわかるほど、巨大な魔力が覆ってきた。こんな力を発するのは彼女以外あり得ない。

 緊張が神経を巡った。


「これ、ヤバくない?」

「エリュシオン! テントまでの転移陣を出してくれ!」

「それは、さすがに危なくないか?」


 アシェルは首を振った。


 10歳からの彷徨ほうこうの時期(思春期)は、精神的にも、肉体的にも不安定になる。過度なストレスがかかると、魔力の『暴走』が起きることがあり、そのために修学院で保護され、魔力の使い方を学ぶ。


 だが、サファは孤児。本人も、魔術は独学であると言っていた。


 普通その年齢なら、暴走しても魔力が少なく、大事になる事はない。だが、大量の魔力を所持する彼女ならどうなるのか。一大事といえよう。


「やむ終えないだろ、早く!」

「仕方ないね」


 同じことを思っていたのか、エリュシオンが転移陣を解放すると、その中に3人は飛び込んでいった。


 テントに移動してすぐさま外に飛び出す。そこには食べ物を抱えたフィリズが、目に涙を溜めて腰を抜かしている。近くにいた騎士が何人も失神して倒れており酷い有様だ。


「アシェル! あそこ!!」


 なるほど、なかなか激しいな。


 噴き出た魔力で起こった突風が土を含み、近づくことを拒むように視界を塞ぐ。腕で顔を覆って無理やり見やると、凄まじい魔力の塊の中に、思った通り、サファの姿はある。横には威圧によって既に気を失っている男が倒れていた。


 あれは、アイヴァンか?


「圧が強くてこれ以上近づけないよ!」

「ふぉぉぉぉ!」


 アレクシスがよく分からない声をあげている。

 こうなると、彼女の次に魔力のある自分がやるしかないだろう。しかし、エリュシオンが近づけないとは珍しい。アシェルは、魔力の圧を感じていたが、動けないほどじゃなかった。


 どうする?


 何があったか、詳しく聞こうにもそんな人物はいない。推測するしかないだろう。なにか、引き金となる物があったはずだ。


「首に、ペンダントがない!」


 エリュシオンが叫んだ。


 ペンダント……?

 そうか! 確かにつけていた。自分もつけている身を守るためのペンダントは、大抵親から贈られている大事なものである。

 どこだ。


「探すぞ!」

「そこだよ!」


 エリュシオンはアシェルの向こう側を指差した。

 意外にも、それはすぐそこに転がっていた。魔石を拾うと、圧は完全に感じなくなった。こんな中でも平然と立っている自分が不思議だ。アシェルは石を前に差し出して彼女のもとへ近づき、足を止めた。


「落ち着け!」


 頼む、おさまってくれ!


 真っ赤な瞳が魔石を捉え、じっと眺めている。やがて、サファが小さな両手を前に出した。そこに、魔石を置いてやると、魔力は鎮まっていき、彼女はペタリと地面にくずれていく。


 アシェルが顔を覗き込んだ時には、もう、彼女の瞳は瑠璃色に戻っていた。


「大丈夫?」


 エリュシオンがサファに駆け寄って腕を伸ばす。


「すみません」


 だが、真っ白な顔をして、震えているのに、彼女は申し訳なさそうに首を横に振り、ずるずると後ろに後退ったのだった。

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