暴れ牛と夜明けの唄 21『ここでの存在』

「うぅ……ん」


 意識が浮上する。目を開けて、覗き込んでいる人物にぎょっとし、そのまま見つめていた。


「気分は悪くないですか?」


 ええっと……確か彼女の名前は。

 紅紫色の真っ直ぐな髪が、肩からパラパラと落ちて、鼻先で揺れている。


「少し怠いくらいです。フィリズ様」

「様なんて、鳥肌がたつのでやめてください!」


 彼女は首を振った。


「そしたら、なんとお呼びしたら?」

「フィリズでいいですよ」


 いや……ダメでしょ。

 確かにここに来てからというもの、偉い人にだいぶ不敬なことをしている自覚はある。


 胸ぐら掴んじゃったし。


 だけど、本人が、いい、と言ったからといって、おいそれと、呼び捨てするのは遠慮させて欲しい。


「じゃあ、フィリズさん」

「はい」


 儀式が終わって、安心したのか、すっかり顔色も良くなり、にこにこと笑っている。思った通り、元気な人のようだ。体を起こし、見覚えのある場所を見渡す。相変わらず適温に保たれているテント内には、他に誰もいなかった。


「殿下たちは、街の視察に行っています。もうすぐ帰ってきますよ」

「わたしを見ているように言われたのですか?」

「はい。私がお願いしたんです。だって、女の子に男性3人じゃ不便でしょう?」


 とんでもない、とでも言いたげだ。

 わたし自身、そうでもなかったけど、確かにアシェル殿下たちは、子供ひとりを見ていられるほど、暇ではないはず。それに、フィリズさんは、わたしに全く嫌悪を抱いていないから、その点は安心できた。


 ちゃんとした位の貴族は、権力を振りかざしたりしないのかな?


 そう思いながら、サファはふぅーっと息を吐き出した。


「そうだ! お腹空いてませんか?」

「あまり……空いてないです」


「ダメ、ダメですよ! あんなすごい音術トラヴギマギア使ってるんですから食べないと! 待っててください。すぐ持ってきます!」


 視点が合わないほど、指を突きつけられ、サファは目を寄せていた。


 話を聞かないというか、押しが強いのは、性格なのだろうか。頷かされてしまったわたしは、彼女がテントを出ていくのを、敷布から体を起こしたままの状態で黙って眺めていた。


 ポツン、と1人取り残されてしまった。急に心細くなり、重たいと思いながらも立ちあがる。


 ……早く帰ってこないかな。


「よくお前生きてたな、わはは」


 突然聞こえた笑い声に、ビクリとした肩も、その明るさに力が抜ける。


「オレ、マジで死んだと思ったわ。んで、コレ」

「ん? なんだ、アーネスト」

「細かいのなくて借りてただろ? そんとき、思い出したんだよな。コレが」

「走馬灯かぁ? ヤベェな。わははは」


 エミュリエール様に叱られてから、言いつけを安易に破るようなことはしないはずだったのに。淋しい気持ちと、儀式を終えて気が緩んでいたのと半分。

 外から聞こえる喧騒に、引き寄せられた足は出口に向いていた。


 外を覗いてみると、話していた騎士だろうか? キラッとなにかを投げて受け取っているところだった。その他には包帯を巻いている人もいるけど、みんな達成感に満ちた表情をして、撤退する準備をしていた。


 よかった、と目を細める。


 それで、足は止まらなかった。知ってる人を探して歩き回っても、エリュシオン様の魔術のお陰か、話しかけてくる人はいない。


 煌々こうこうと炊かれた火にたかる羽蟻。陽が昇るに連れ、蒸し暑さが増している。ウロウロし始めると、人に何度もぶつかりそうになって飛び退き、そこで、ようやく気づく。


 あ……そっか。わたし、いない人なんだ。


 最初はそれでよかったと思ったのに、今はそれが、酷くむなしくて、悲しい。自分はいつから、こんなに欲張りになったのだろう。誰かに知って欲しいだなんて。


 こんなの、しまっておかなきゃ。


 肩にかけていた水筒から飲む水すら、冷たく、苦く、喉を通り過ぎる。サファは胸もとをつかんで、その風景を眺めることしかできなかった。


 もう帰ろうと、とぼとぼと歩いていた足を止める。同じようなテントが並んでいて、どれがさっきの場所なのかが分かはなくなってしまっていた。


 ……どうしよう


 不安に襲われ立ち尽くし、近づく人物に全く気がつかなかった。突然、髪を引っ張られ、テントの影に引きり込まれていく。


「痛い!」


 三つ編みの根元を押さえながら転んだ後も相手はまだ、髪を掴んだままでいる。その人は、わたしをはっきり睨みつけ、更に顔を歪めた。


 この人は……わたしの姿が、見えている。

 でも、そのことに嬉しさなんてなくて、感じたのは身の危険。


 だれ?


 紫色の少しクセのある髪。血走った紅紫色の目に見下され、わたしは追い詰められた小動物のように、体を硬直させていた。


 何でいきなりこんな扱いをされるのか? 考えても答えは出ない。それもそのはず。だって、彼とは今初めて会ったのだから。


 なんで……?


 その質問で思い出したのは、祈念式で殴られた事だ。


 違う。あの時は、わたしが飾りを壊してしまったから。


「聞いたぞ。お前、孤児なんだってな? そんな虫ケラがこんな所にいて……汚らしい」


 だったら、さっさと手を離せばいいのに、なんて思い浮かべる余裕すらない。

 だけど、引く力が強くなり、ブチブチと髪が切れる音に、禿げてしまうのではないかと、瞬間的に思いが過った。


「痛い!」

「フンっ! 何が痛いだ。『やめて下さい』だろう? あぁ、地面に這いつくばって命乞いをするのか? ちょうどいい、見せてくれよ。得意なんだろ」


 得意なわけ……


 相手が嫌な笑みを浮かべると、前に会った誰かと重なった。


「平民にもなれないこの下等生物め!! どうやって取り入ったんだ? 貴族にたかる虫が!」


 靴先で顔をつつかれ、逃げようとしても、身動きはできず、頭の上から、とても人に向けられたものではない視線が、手足から自由を奪っていく。


「なあ? 虫の血は、何色なんだろうな?」


 何でこんなことをするんだろう。


 理由を探していた。でも、違う……わたしが何をしたとかじゃない。じゃあ、わたしがこの場に、彼の視界に入っている事が、気に入らない?


 それもある、と思う。けど、これは……

 これは、おそらくただの気晴らしにすぎない。


 なんて……


「……鬼畜」


 ここに来てから位の高い人と話し、やっぱり気が緩んでいたのだ。いけない、と思い口を押さえた時には、もう遅かった。


「なんだと?! 生意気な!!」


 男は腰に下げた剣をスラリと抜いた。


「青か緑……だったら面白い」


 振り上げた剣が、炎の光を反射して鈍く光り、ニヤリと歪む口許を映した。やけに焼き付くそれを、振り払うように、ぎゅうっと、力いっぱい目を閉じる。


 もう……これは。諦めるしかないと思った。

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