暴れ牛と夜明けの唄 14『暴れ牛⑤ 戦場の雨』

 厚みのある雲のおかげで、いつもよりも空が近く感じる。いまにも降りそうな気配が、悲しさをただよわせる。


 何気なく過ごしてきた日々は、きっと、彼らのこうした行いで、ずっと……昔からずっと、守られてきた。ここに連れて来られなかったら、分からなかっただろう。



 滑稽こっけいだなぁ……


 わたしは、自分の存在に対して思った。


 もしかしたら、今後、孤児院にいられなくなる事だってある。


 分かってる。だけど……


 体が自然と動いた、祈念式の時と、気持ちが似ている。そこには、これといった理由なんてなくて、放っておけないと思う、わたしの”小さな正義”



 怒るだろうな、エミュリエール様。



 サファは口許に笑みを浮かべて、愛おしそうに手の中の魔法陣を眺めた。




 こめる感情は、一つだけでいい。どうか、彼らに打ち勝つ力を……

 

 乗り切れる勇敢さを、お与えください。




 旋律が流れはじめる。サファは深く息を吐きだすと、ゆっくり空気を取り込んで、唄い始めた。



           ※



 詩は少なく、この国の言葉ではない。あとは、気の向くままに口ずさんでいるように見えた。目の前の異常な光景に、アシェルは全身に寒気が走った。


 とても、優しい。


 鋭くて、冷たくて。天の高いところに呼びかけている。それなのに、まるでオルゴールを開けた時のような、可愛らしさと、つつましやかさを感じる声が、確かに、空気に浸透していった。



 こんな主張しない、唄は初めてだ。どうやって声を出しているのかは分からない。体を揺らすこともなく、息を吸う時だけ、肩が少しだけあがる。


 それは、まるで、眠る子どもに聴かせているような、そんな唄だった。







 スィスィと攻撃をかわして、軌道きどうを変える。素早くファクナスの真正面に移動したエリュシオンは、片手に魔法陣をつくった。


「フォスエクリクスィ!」




 バアァァァァ────ンッ!!


 ブフォォォォォ!!!!




 光がつよく顔面に命中して、ファクナスが暴れ出す。その拍子に、バリンっと縛っていた鎖が切れた。


『ちょっと……早くしてくんない?』

『ていうか、お前、攻撃しない方が良くないか?』


 待機しているアレクシスが言った。


 アレクシスとセドオアは、まだ攻撃には加わっていない。的が他へ移ってしまうと、面倒だからだ。あれだけの攻撃をしている。エリュシオンへの意識は、そうそうれたりしないのだが。


『こんな、ちまちま鎖使ってたら、恨みが蓄積して、いつ的が外れるか分からないでしょ? というかさぁ』

『あぁ、厳しそうだ』

『いくら僕でも、魔力は無限じゃないよ?』


 もう、だいぶ時間がたった。珍しく、かなりエリュシオンは頑張っている。だが、いつまでもこのままじゃ、いくら彼でも、痛手を追うことになりかねない。


 鋭く突きが出される。


「アミナフルリオ!」



 ゴキィィィ──ンッ!


 角が障壁にあたり、激しい硬質音が鳴り響いた。


『どうする? ねぇ、アシェル?』

『…………』

『ほほほ、殿下は、居眠りでもしているのでしょうかね』

『おい! アシェル! お仕事、だぞ!! 志気が下がってる。特攻していいのか?!』


 アレクシスの声が、鼓膜を打ち鳴らした。


『……そのまま。続けてくれ、アレクシス達はまだ、待機だ』

『えぇ……僕もうそろそろムリなんだけど』

『エリュシオン、抑制時間はあとどれくらいある?』

『あぁ、抑制時間?』


 抑制時間は、使った本人しか分からない。感覚のみでともる、炎の個数。


『あと、2つだよ。言っとくけど、そこまでまでは絶対もたないから』

『うん……』


 うんって……


 上の空な返事に、3人はアシェルの方をあげた。彼を乗せた白い虎が、見晴らしの良い場所に佇んでいる。


 何かが起きている? 


 微かに感じる魔力の流れ。これは、アシェルのじゃない。


 まさか……!


『唄ってるの……?』

『ああ……』

『何も聞こえないぞ?! それより、斬りかかっていいのか?』


 正体不明の魔力の波があるとすれば、恐らく彼女で間違いない。だけど……


 聴こえないってどういう事?


 エリュシオンの背後に、ファクナス姿がおおい被さった。障壁を展開すると、衝突音がまた響いた。


 たぶん、もう少しは持つかな。


 彼は空を見あげた。空には厚い雲。その中で、断続的に光が点滅していた。


「ブモ────! ブモ────!!」

「ちょっと、うるさいよ。静かにして!」

「ブルルル……」

「あははっ。静かになった」

 


 広大な空に、大蛇がうず巻かれていく。




『アレクシス!』

アリスィダの援助をしてくれ……』


 エリュシオンが呼びかけると、アシェルが続きを答える。


 熱をさらっていくように風が、強く、強く背中を押した。サファの体を守るように、アシェルの外套マント棚引たなびいた。




 もうすぐ、来る……!



『早く!』


 エリュシオンが叫んだ。


『お?! おぉ!』


 唄っているから、近くで指示を出す事ができないんだろう。



 やがて、降り出した雨は、最初は、アシェル達にだけ降っていた。そしてそれは、風のおかげで、一粒一粒に光をはらんで、あまりにも、静かに戦場にやさしさをいていく。




「あはははっ、あははは!!」


 そうだよ! 正しい判断だ。


 エリュシオンの抑制のひとつの炎が灯った。


『なんだぁ? エリュシオン。気持ち悪りぃ』

『今、最っ高な気分なんだから、水差さないでよ』


 アレクシスは言われた通り、ファクナスの体に縛りつけた鎖を引っ張っている。


 もうすぐだ。早く


 バリンッ バリンッ


 ファクナスが暴れるたびに切れていく。その度に、砕かれる気力。鎖ごと振り回され、人が飛んでいった。それでも、ファクナスは止まらない。


「ソーピラス」


 魔術を唱える。今度こそ、エリュシオンには見えた。


 アシェルの前で、一切の揺らぎのない、煌々こうこうとした瞳。孤児らしかぬ、空間をべるような力強い表情で彼女は唄っていた。


 雨は降り続ける。




 あと少し。





 …………


 …………


 さん、に、いち……


 …… ついた!


『力が湧いてくる……! どういう事だ?』

『アレクシス、仕上げをするよ!』


 エリュシオンが魔法陣の構築をしはじめた。それは、しばらく前に、討伐で使ったきり見てなかったもの。そして、今回、挑発をする為に使うことを諦めたものだ。



「────?!!」


 アレクシスや他の騎士達は、不思議なこの状況に、驚き、俯いていた気持ちは、だんだん、期待という文字に変化していくのだった。

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