暴れ牛と夜明けの唄 13『暴れ牛④』

 口を開けたままだ、と思ったら、アシェル殿下は、わたしの両肩を掴んだ。


 ちょっと、びっくりする。


「何言ってるんだ!! そんな事させられる訳ないだろ!」


 それに、ちょっと、こわいデス……


「ここに来てから、もう半刻(1時間)くらいは経ちますね」

「あぁ……」


 サファは、近づけられた顔を離すために、横を向いた。


 鎖でファクナスの動きをとめる事は、まだ成功していない。標的になっているエリュシオン様だって、今は器用に攻撃を受けているけど、いつまでも持つわけじゃないだろうし。


 このまま、総攻撃をかける?

 ううん。そんなことをしたら、人の被害が多くなる。闘いというものは知らないけど、そのわたしにだって、このままじゃダメなことくらい分かる。


 今、必要なのは……


「姿を隠されてるといっても、完璧じゃない。今、トラヴギマギアなんて使ったら、お前自身が危険にさらされるかも知れないんだぞ?!」


 揺すられて、首がガクガクと音を立てる。肩の手を掴み、サファはキッと眉をつりあげた。


 必要なのは、唄。


「確かに、わたしは、静かに過ごしていたいと思ってます! だけど、それが出来るのは、こういうことを! あなた方が! してくださっているからでしょう?!」


 豹変ひょうへんしたようにさえ思えた、たかだか孤児の言った言葉。それは、正論だった。確かに、ここで、こんなデカい魔獣を野放しにすれば、アクティナにだって被害が及ぶ。


「だが……」

「エミュリエール様には、わたしが泣きつけばいいらしいです」


 エリュシオン様が、そう言ってたし。


「は?」

「それに、ただ大っぴらに唄ったりしません」

「はぁ……」


 アシェル殿下が呆然としている。自分でも驚いていた。こんなに激しく何かを言ったことなんてあったっけ?


「いやいや、なんでそこで首を傾げるんだ?! いい方法があるんじゃないのか?」


 あ……話の途中だった。


「わたしには、唄うことしかできないと思います。だけど、それを少し工夫するのです」


 サファは空を見あげた。大地が熱せられて出来た蒸気で、空は厚い雲でおおわれている。


「トラヴギマギアの規模は、声の大きさや、魔法陣の大きさでは無く、言霊ことだまと注ぐ魔力の多なんです。それに」


 魔法陣にも、色々な方法がある。それと、この状況をうまく利用すれば、たぶん……大丈夫、なはず。


 その方法について話すと、アシェル殿下は真剣な眼差しで、わたしの目に視線を落とした。


「お前……なんでそんな事知ってるんだ」

「それは、本で」


 これは、本当のこと。わたしは、大聖堂に保護されていた間、ずっと本を読んでいたから、その時に知った事だ。


「出来るのか?」


 やったことなんてない。だけど、この崩れそうな戦況で、わたしにやれる事があるなら、やっておきたい。エミュリエール様だってそう言ってたし。


「分かりません。だけど! 今ここでやらなかったら、わたしは……きっと後悔します!」


 目の前の小柄な少女が、一端いっぱしの騎士のようなことを言い、訴えかける。アシェルはその必死な姿に、目の奥がじわじわと、火傷やけどしたように熱かった。


「……分かった」


 しかし、今後の彼女の安全を考えると、すんなりとは納得していなかった。


「身の安全は、一応保証してくれるのですよね?」


 柔らかな涼しい風が吹き抜ける。ほどけてしまった髪が、気持ちよさそうに舞った。太陽の匂いがして、日向にいるような安堵あんどただよわせる。


 確か、そんなことを言っていた。前を向いて座ったサファが振り向いて、その時のように、フワッと笑っていた。


 ストン、とつかえが落ちていく。


「いい度胸だ」


 アシェルはその笑顔を見て、ニッ、と歯を見せた。

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