とぎれた唄 8『自分への罰 前』

 時は少し巻き戻って6の刻半1時ころ


 食事をした後、サファは部屋の中で、ポツンと座っていた。ぼんやりと、視界の端に入ったピアノを眺める。


 そろそろ、弾いてもいいのかな?


 少しだけ迷い、じっとピアノを見たまま、立ちあがった。


 ちょっとなら。気づかれないように小さく弾けば。きっと大丈夫……


 こういう時、人は、自分のいいようにもらえがちだ。わたしにも、人並みの感情があるという事なんだろうか。


 サファは首を傾げた。


 ただでさえ、ここ最近は、人の出入りが多かった。だから、サファは音楽というものにえていた。


 ピアノの椅子に座り、ぶらぶらと足を揺らして、鍵盤けんばんに手をかける。


 悲しく澄んだ弦の音が響く。もうちょっと弾くと、音は段々と軽くなり、部屋に色をつけ始めた。


 あと、もう少しだけ……


 と、思っていたのに、楽しくなり……わたしは、知らぬ間に唄っていた。


 部屋に近づいてくる足音にも気づかず、突然扉が開いた。かなりの音量だった事に、気づいた時には、もう、遅かった。


「あっ!」


 エミュリエールだった。サファは急いで椅子から降りる。


 彼は、荒く足音をたててピアノの所まで来ると、わたしの両手を掴んで、鍵盤蓋けんばんがいを強く閉めた。


 ガタン! っと不機嫌な音があがり、手首を掴まれる。


「今日はダメだと言ったはずだ! なんで弾いてるんだ?!」


 エミュリエールが、もの凄い形相ぎょうそうでサファを睨みつけた。締めつけた手に力を込められる。


 痛い!


 だけど、彼が、怒鳴る、なんて事、今までなかったから、重たい物がのしかかっきて、恐ろしくて、サファは声も出せなかった。


「これくらいの我慢は出来るとおもったのに……暫くピアノは弾くな! これは命令だ!!」


 きっと、まだ外部の人が帰ってなかったんだろう。それに、わたしが言うことを聞かなかったから。


 扉が閉められると、大きな音の衝撃しょうげきで目をつぶった。


「…………」


 悪いことをしてしまった。


 赤くなった手首をさすり、悲しくて、眉を寄せ、目を伏せた。


 わたしは……悪い子だ。


 サファは、エミュリエールの足音が聞こえなくなってからも、扉を見ることも出来ず、しばらくそのまま、立ち尽くしていた。


           ※



 言いつけたことを、簡単に破られ、エミュリエールは腹を立てていた。だが、王子殿下達を送り出し、片付けをしていると、頭が冷えてきた。


 わたしは、本当にこらええ性が無い……


 執務室で椅子に座り、頭を抱えて深くため息をつく。羽ペンから落ちたインクが、紙ににじみ、それが後悔の念のように広がった。


 祈念式が終わってからずっと、行動を制限されれば、いくら彼女でも、我慢ができなくなるのは当たり前だ。


 エミュリエールは首を振った。


 唯一の楽しみだっただろうに。それを、取り上げるようなことをしてしまった。下手すれば、口もきいてくれなくなるかも知れない。

 分かっていたのに……


 今回の事で彼女との距離がまた離れてしまったらと思うと、と不安になった。


 ピアノの上に、何曲もをつづった紙が置いてあった事を、思い出し、もう一度、深くため息をつく。


 黒くにじんだ紙が、だいだい色に染まる。振り替えると、窓の外に、不安そうに揺れている夕陽が見えた。


 3の6時を知らせる鐘が鳴る。


 陽が長くなったな。もう、こんな時間か……どちらにせよ、夕飯の時にもう一度話をしなくてはいけないな。


 エミュリエールは窓辺に立ち、陽が沈んでいく様子を見守った後、静かに部屋を後にした。

 



 


 レイモンドとハーミットは外食らしく、エミュリエールと2人で、夕飯を摂ることになった。


 給仕はメイドのルアンナさんがしてくれる。彼女は、普通の平民の女性らしい。だけど、とても上品で、声が温かくて”お母さん”みたいな人。わたしにも、とてもよくしてくれる。


 怒られた事は落ち込んでいるけど。ルアンナさんが怒られたらやだな。


 サファはそれだけが気がかりだった。手首に結んだ不自然なリボン。昼のことを思い出すと怖くて、不安でたまらなかった。


「昼間の事なんだが……」

「すみません」

「すみませんじゃ分からない。なぜ、弾いたんだ?」

「…………」


 どうしよう……


 言い訳を考えていた時だった。

 ルアンナが血相を変え、何かを言おうとするのを見て、サファはとにかく止めなきゃ、と思った。


 ぞわっ、と。


 エミュリエールは、背中に氷水をかけられた様な感覚がはしった。


「ヒュッ」


 ルアンナは声が出せなくなり、胸を押さえて真っ青な顔で床にうずくまる。


「サファ、やめなさい」


 普段、誰かの魔力に気圧けおされる事のないエミュリエールでさえ、畏怖いふを覚え、微かに指先が震える。


「罰は受けます。だから、この話はもう終りにしてください」


 全く、なんて魔力の量なんだ。このままでは、ルアンナが危険だろう。


 エミュリエールは立ち上がり、彼女に保護の魔術をかけようとした。


「ルアンナさん、ごめんなさい。言わないで……」


 サファは顔をしかめていた。そして、ルアンナがうなずくのを見ると、表情を和らげて、放出していた魔力をしまい、圧は消えた。


「なるほど……そういうことか」


 最初は怒ってるのかと思っていた。だが、その言葉を聞いて、恐らくルアンナを守るためなのだとエミュリエールは察した。


 ルアンナが咳き込む。エミュリエールは、彼女を支え、立ち上がるのを助けていた。


「なんのことでしょう?」

「いや、分かったという事だ。私も言い過ぎたな。罰はなくてもいいと思っている」

「いいえ! 罰は受けます」


 普通だったら喜ぶというのに、サファはふるふると、かたくなに首を振った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る