第8話 スミレ

 私には自慢に兄が居る。

 兄は二人居て私よりもとても優秀なんだ。

 兄は私の事を物みたいに見ている。

 私には実績がないからそう見ていると言った。

 それは本当だ。

 兄二人は優秀だが私はまだどちらなのか分らない。

 私は兄側なのか、それ以外なのか。

 それを知られる日がもう近かった。

 兄は羨ましかったが、事業内容については何も言いたくはない。

 ヤバイ仕事ではけしてない。ただの会社員と自営業だから。

 それでも、自慢出来る兄だが畏怖しているのだ。

「いらっしゃいませー」

 そんな私には好きな物がある。

 お花だ。

 お花はいつも私に寄り添ってくれる。だから好きなのだ。

「こんにちは」

 そんな私には好きな人がいる。

 髪の長い女性客。

 この人を見た瞬間、雷鳴が私の頭上に落ちた。

 そんな衝撃波は私を愛情へと変化させて目で追う頃には彼女が好きと自覚させていた。

 とても不思議な出来事だ。

 私しか感じた事がないだろう。同性に心を奪われたなんて。

 初めてだった。恋をしたのも。

 だから初めて兄に相談した。

 好きな人を知るにはどうしたらいいのかと。

 やっぱり、兄二人の回答はゲスの極みだったが、参考になった。

 世間様からしたら、こんなのは間違っているのを自覚している。

 それでも行うこれは間違いなく彼女に対する好奇心と愛情だったから、嗚呼。盲目だなって笑って自覚を匿った。

 この人が杉本アイと言う女性である事、この人には旦那が居る事、その旦那が女子高生に手を出して職を失った事、その旦那にDVを受けている事。色々知った。

 それで思った言葉は燃えるのひとつだけ。

「あっアイさん!こんにちは!」

「こんにちは、バイトさん」

 だから、彼女が私に不審を抱くまで、小さな好意を秘めさせてもらった。

「オススメありますか?」

「薔薇なんてどうですか?綺麗でいい香りですよ」

「そうね。とっても良い香りがするね」

 横顔が麗しいその人には情熱的な薔薇が良く映える。

「どうですか?」

「一輪頂くわ」

「ありがとうございますっ!あ、棘取っておきますね」

「あら。ありがとう」

 この人の慈愛に満ちるこの笑みで私は幸福感でいっぱいになる。

「いえいえ!」

「ばいばい」

 手を振って去るその愛嬌に、また私は恋をする。

「はいっありがとうございましたー」

 この人と、仲良くなりたい。

 何時の間にか私の夢だったフラワーアレンジメントはゴミ箱に捨てられ、人妻とのコミュニケーションが為に下心を持ってバイトを続けるようになった。




「お名前、なんていうの?」

 バイトを始めて三ヵ月でやっと聞かれた。私の名前。

 この人から。私の高嶺の花から。

「はい、立花スミレです」

「お花の名前があるのね」

「はいっ!だから、ここは私の天職なんです」

「そうなの」

 半分そうだ。

 本当はフラワーアレンジメントになるのを目標に始めたバイトだったが、今現在では彼女、杉本アイさんに毎日声を掛けてもらうこの立場こそが、私の天職である。

「一人っ子なの?」

「いいえ。兄が二人程……」

「もしかして、お兄さんもお花の名前とかついているの?」

 小悪魔の微笑みに心がざわめく。

「…………。ご名答ですっ 由利雄と茨斗って、名前がついているんです」

「不思議ね」

「そうでしょうっでも花の漢字じゃないんですよ。私も兄も」

「そうなの。面白いわね」

「アイさんは、一人っ子なんですか?」

「正解。下も上もいないの」

 些細な会話がこんなにも心躍らす事があっただろうか。

 愛おしい人。

 顔から下の肌を見せない美しい人。

 私の薔薇。

「スミレちゃん、明日もまた来るね」

「アイさんが毎日来てくれるのなら、私はいつでもお待ちしています!例え、火の中、水の中、バイトのない日だって行きますよ!」

「嬉しいな。でも、過労は駄目よ」

「はい!」

 アナタが為なら。

 私はもう何だって出来る気がするのです。





「スミレ」

 アイさんに名前を呼ばれたのはその四ヵ月後。

「はいアイさん」

 いつもよりも随分穏やかな潜め声。それが私とアイさんの非日常の始まり。

「私ね。もう此処に来れそうにないの。だから、もし私に何かあったと思ったら、ここに電話して」

 好きな人から直接住所と固定電話の番号を渡される時の気持ちがこんなにも昂らないなんて思ってもみなかった。

 それは私が知っているからだ。

 このメモ用紙の異質な思いに。

 なんて素敵で狡い人でしょう。

「…………はい。気をつけてくださいね、アイさん」

 そっと笑えば、彼女も笑う。

「またね」

 ここからは、私の我慢というなの試練だ。









 まぁ、我慢なんて数週間しか持たなかったけれど、アイさんにとっては頃合なんだろうって私の直感が言っている。

「アイさん?お久しぶりです」

『スミレ。待ってた。私を連れ出してくれる?』

「モチロンです!この住所のところに、行けばデートしてくれるんですよね?」

 冗談で言った言葉にアイさんはクスクスと笑う。

 その声も愛おしい。

『ええ。海の見える場所へ連れてって。王子様』

 アイさんはきっと吃驚するだろう。

 だって、私がアイさんの部屋の玄関前にいるなんて流石にアイさんだって吃驚するでしょう。

「アイさん!」

 インターホンを押さないで玄関を開ければ、彼女は居た。

 お見通しだったみたい。

「早く行きましょう」

「はい!」








「アイさん、もしかして」

 アイさんが海に行こうと誘ってきた時から、そんな気がしていた。

 アイさんは死んでしまうんじゃないかって。

「スミレはもう帰って良いよ。後はつまらないから」

「………」

 本当にそのつもりみたい。

 私はアイさんともっとデートしたら、私のマンションに匿って、そして二人で新しい新居で暮らしたかった。

 でもそれは私の主張であって、アイさんにそれを強要するつもりはない。

「スミレ…」

 だけれど私はアイさんの死にただ黙って見ていたくはない。

「私はアイさんと一緒に居たいです。例え火の中、水の中、海の中でも」

「私、アイさんが好きなんです。変かもしれないですけど、気づいたらこう、好きになってたんです。ライクじゃないんです。マジの、ラブの方で好きなんです。愛してるんです」

 アイさんは無言だった。

「だから、アイさんのしたいこと、私は尊重して、一緒にしたいです」

「人生棒に振ってるよ?」

 これが私の人生なの。これこそが。

「アイさんの前では、みんなボウに見えます」

「ふふ、スミレが男の子だったら、私不倫してたかも」

「全然良いですよ!こんな小娘、いや、若造でよければ」

「あの人よりも沢山愛しちゃうかも」

「えへへー?それスゴイ楽しみです」

「もうすぐ死んじゃうのに?」

「死ぬ間際までアイさんに愛されるって幸せなんです」

「スミレは良い子だから、生かしちゃうな」

「一緒に死なせてくださいよ」

「………これから深くなるよ」

「お供します」

「……私も愛してたよ」

「私はその前から愛してました」

































 アイさんと冷たい海原を歩いたハズだった。

 気づいたら私は白い部屋に居た。

 一体どうして?

「……………」

 私だけ、生きた。

 私だけ。

 アイさんを置いて。

「いかなきゃ」

 幸いな事に歩ける。看護師さんには申し訳ないけれど、私は生きるわけにはいかない。

「………!?立花さん、いけません!あ、だれか……!」

 兄さんごめんなさい。私はどうかいない者と見てください。

 私はアイさんに会いに行きます。

 海の近くの診療所だったみたい。

 嗚呼、良かった!!!

 アイさん今行くよ!

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