恋人

第7話 アイ

 夫の好きな所は真面目だった所。

 夫の嫌いな所は私にぶつける所。

 夫の好きな顔は笑顔。

 夫の嫌いな顔も笑顔。

 夫の職業は教諭だった。

 夫の現在の職業は保険会社の社員さん。

 夫の名前は杉本勉(まなぶ)さん。

 私の名前は杉本アイ。

 旧姓は水野。

 幸せな結婚生活だったの。

 夫は子供が好きだった。

 夫は私と違って頭が良かったから、何時も私に勉強を教えてくれた。

 夫は勉強を教えるのがとても好きな人なの。

 だから、高等学校で教諭として幸せそうに働いていた。

 夫が変ったのは夏の日だった。

 夫が担任として生徒を持ったその夏の日に、二人の生徒が自殺した。

 生徒は女の子で、双子の女の子だったらしい。

 夫はその女子生徒のよからぬ噂を立てられて教諭という役職を剥奪された。保険会社に就職出来たのは、私の親のツテ。

 夫は、必死に仕事をしている。

 仕事をしているから、私は夫のサポートを必死にしなくてはいけない。

 これは義務なの。

 妻は如何なる事にも夫に対して目を瞑る。

 痛みはシカトする。それが最善なの。

 私はこの痛みに耐えられる。

 だから、今日も町を歩けるの。

 だって、私よりも散々な人は数多と居るもの。

 その人達を前に私が痛がってたら、可笑しいじゃない。

 それに、あの子を見ていると元気が出るから。

「あっアイさん!こんにちは!」

「こんにちは、バイトさん」

 あの子の名前はまだ分らない。

 けれども、あの子の健気で明るい笑顔は私は知っている。

 あの子はとても働き者なの。

 私と違う、素晴らしい子。

「オススメありますか?」

「薔薇なんてどうですか?綺麗でいい香りですよ」

「そうね。とっても良い香りがするね」

「どうですか?」

「一輪頂くわ」

「ありがとうございますっ!あ、棘取っておきますね」

「あら。ありがとう」

「いえいえ!」

 この子と夫が居るから、私は無敵なの。

「ばいばい」

「はいっありがとうございましたー」

 変な話でしょう。













「…………。おい、花なんてどうした」

「近くの花屋さんで買ったの。薔薇の香りでリラックスするかなって」

「無駄な金を使うな。俺はお前とメシさえあれば充分だ」

「そうですか…」

 この人はよく隠したがる。

 過去の事も、今の事も、仕事の事も、自分の事も、私についても。

「私を頼ってくれませんか?」

「メシ」

 不器用だから、私はまだ愛せる。

 それが拗れたら、私はきっと愛さないだろうけど。



「お名前、なんていうの?」

「はい、立花スミレです」

「お花の名前があるのね」

「はいっ!だから、ここは私の天職なんです」

「そうなの」


「おい、また花を買ったな」

「いけない?私の好きなのひとつくらい許してくれてもいいじゃない」

「…………」



「スミレちゃん、明日もまた来るね」

「アイさんが毎日来てくれるのなら、私はいつでもお待ちしています!例え、火の中、水の中、バイトのない日だって行きますよ!」

「嬉しいな。でも、過労は駄目よ」

「はい!」


「そんなに花が好きなのか?」

「はい」

「俺のことは………?」

「同じくらいに好きです」

「嘘を吐け」

「そう言うなら、アナタの好きな事を私にしてくださいな」

「違うんだ」



「スミレ」

「はいアイさん」

「私ね。もう此処に来れそうにないの。だから、もし私に何かあったと思ったら、ここに電話して」

「…………はい。気をつけてくださいね、アイさん」

「またね」





「おかえりなさいアナタ」

「ただいま」

「今日は何を買って来てくれたんですか?」

「今日は鍋をしよう。もつ鍋だ」

「ニンニクまで。明日のお仕事に支障を来すんじゃあないですか?」

「そんなことはさせないさ。薔薇も買ってきた」

「ロマンティックな赤ですね」

「アイ」

「なんですか?」

「愛してる」

「私もですよ。勉さん」

 はぁ。壊れてしまった。





















 電話が鳴ったのは、夫に不満を抱えた頃だった。

『アイさん?お久しぶりです』

「スミレ。待ってた。私を連れ出してくれる?」

『モチロンです!この住所のところに、行けばデートしてくれるんですよね?』

「ええ。海の見える場所へ連れてって。王子様」

 照れた様子の声が受話器から聞こえる。

 彼女は私の本物の王子様。

 本当に私を連れ出してくれるの。

「アイさん!」

「早く行きましょう」

「はい!」

 外気はとても心地が良い。

 まるで日光浴する植物みたいに、私をワクワクさせるの。

「スミレは電車に乗ったことあるの?」

「はい。専門学校の通学路で良くここの路線を使います。そういうアイさんは?」

「実はね、数回しかないの」

「ダンナさんとですか?」

「そうね。デートと旅行でね」

「………素敵なダンナさんだったんですね」

「そうね。素敵な人だったの。人生って、不思議よね」



「アイさん、もしかして」

「スミレはもう帰って良いよ。後はつまらないから」

「………」

「スミレ…」

「私はアイさんと一緒に居たいです。例え火の中、水の中、海の中でも」

「私、アイさんが好きなんです。変かもしれないですけど、気づいたらこう、好きになってたんです。ライクじゃないんです。マジの、ラブの方で好きなんです。愛してるんです」

「………」

「だから、アイさんのしたいこと、私は尊重して、一緒にしたいです」

「人生棒に振ってるよ?」

「アイさんの前では、みんなボウに見えます」

「ふふ、スミレが男の子だったら、私不倫してたかも」

「全然良いですよ!こんな小娘、いや、若造でよければ」

「あの人よりも沢山愛しちゃうかも」

「えへへー?それスゴイ楽しみです」

「もうすぐ死んじゃうのに?」

「死ぬ間際までアイさんに愛されるって幸せなんです」

「スミレは良い子だから、生かしちゃうな」

「一緒に死なせてくださいよ」

「………これから深くなるよ」

「お供します」

「……私も愛してたよ」

「私はその前から愛してました」

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