モノセイズム

「先生、ヒマ?」


 開け放たれた窓からひょっこりと中を覗き込んだ竜平は、のんびりと煙草をふかしているだけの高槻を見て首を傾げた。

 目の前の花壇で土と戯れる竜平を見ながらほわんと休憩していた高槻は苦笑しながら「まあね」と答える。今やらなければいけない仕事はもう終えてしまった。探そうと思えば仕事はたくさんあるけれど、そんなものは授業のない時間にやればいい。部活動の顧問もれっきとした仕事だなんて自分に言い訳をしながら、竜平との時間を楽しみたい自分を肯定する。


「だったらさ、一緒に買い出し行かない?今度まく種も欲しいしさ、じょうろの先っぽ折れちゃったからさ、買って?」

「あっ、おまえ、壊したな」

「ごめんなさい。ちょっと手が滑ってがつんと落としちゃったらポキッと…」

「しょうがないな」


 煙草の火を灰皿に押し付けて高槻は立ち上がる。白衣を脱いで財布を尻ポケットに突っ込むと上天気の屋外に出た。


「その前に竜平、顔を洗った方がいいんじゃないかな」

「あっ、うん、ちょっと待ってて」


 どうしてそうなってしまうのか、いつも竜平は顔まで土で真っ黒にする。きっと幼い子供みたいにただ目の前の事に必死なんだろう。そんな真っ直ぐに純真なところが可愛くて仕方がない。


「先生、タオル~」

「おま…、ほんと後先考えないんだから」


 顔を洗いにいったはずなのになぜだか頭からびっしょりと水をかぶっている。暑かったからつい、なんて言うんだろうなと思いながらタオルを取りに戻り、濡れた頭を拭いてやった。


「もう真夏じゃないんだから、風邪ひくぞ」

「だって気持ちよかったんだもん」


 竜平は高槻の手を取って、その手のひらを自分の頬に触れさせる。


「先生の手、あったかーい」


 ひんやり冷たく、そして柔らかい感触に、抱きしめて口づけたい衝動にかられる。けれど部屋の中ならともかく、戸外でそれはまずい。


「完全に冷えてるじゃないか」


 自制心を最大限に発動させて、何気なく返す。

 竜平はつまらなそうに口を尖らせた。無邪気な仕草かと思っていたのに、どうやら故意に誘惑されていたらしい。純粋な子供のようでいて、時折とても小悪魔だ。


「行くか」


 そんな竜平に振り回されている自分を、別になんともないようなふりで繕って大人である事を見せつけるけれど、そんな事をしている時点で大人として失格なのかもしれない。必死で大人に近づこうとしている竜平をわざと突き放す。そうしなければ大人の面目が保てないのだ。気を抜けばたがが外れる。

 別にいいじゃんと竜平は言うかもしれないが、子供に手を出す負い目というのは常につきまとうし、手放してはいけない部分だと思っている。


 いつか竜平が生徒でなくなり、成人したら、その時は。手放しで愛する事が出来るだろうか。

 けれど不器用な自分は、いつまででも引きずるような気がする。いつまでたっても年の差は縮まるわけではなく、そうして高槻は自分のプライドと面目を保っていくのかもしれない。竜平が気にしている事を知りながら、高槻はわざとそれを押し付ける。ひどい大人だ。

 矛盾した話だが、竜平のためにはもっと大人にならなければいけないのだと思う。


「ねえ、先生。生物部の予算とかって俺知らないけどあるの?」


 園芸店まで徒歩5分の道のりを、のんびりと二人で肩を並べて歩く。


「一応あるけど去年まではほとんど活動してないからな、ちょっとした消耗品を買える程度だな。でも備品代は俺の方から出せるから気にしなくていいよ」

「そっか、よかった」


 壊してしまった事を気にしていたのか、竜平はほっとした顔をする。考えなしの子供かと思えば、そういうところはしっかりしている。見た目と行動でごまかされがちだが、基本的に冷静だしリアリストなのだ。

 撫でるようにぽんとその小さい頭に手を乗せると、竜平はこちらを見上げて嬉しそうに破顔する。


「たまにはこんなお散歩もいいね」

「天気もいいし風も気持ちがいいし、歩くにはいい気候だな」

「じゃなくて!先生が一緒だから、でしょ」


 竜平はプウと頬を膨らますが、本当は高槻だって気持ちは同じだ。少しでも長くこうしていられるように、普段よりもずいぶんゆっくりとしたペースで歩いている。

 こうして人気のない裏通りを園芸店に向かって歩いていると、まだつき合う前の事を思い出す。この同じ道で、高槻は触れてきた竜平の手を振り払った事がある。今考えれば何とも大人げない行動で、後悔している。傷ついた竜平の顔が今でも忘れられない。


(余裕が、なかったんだ)


 いつだっていっぱいいっぱいなのは高槻のほうで、それを気付かれまいと足掻いている。

 あのときも、今も、何も成長していない。


 ちらりと周りに目を走らせ誰もいない事を確認すると、高槻は覚悟を決めるようにごくんとつばを飲み込み、隣で揺れる竜平の手を握った。

 竜平は一瞬足を止めて、まんまるな目で高槻を見上げた。思わず逃げるように視線をはずす。

 そんな高槻の様子にクスッと笑った竜平は、ぎゅっと力を込めて高槻の手を握り返して再び歩を進める。


「先生、もしかしてずっと気にしてた?」


 遠くを見つめながら竜平がぽつり呟く。

 もしかしたら、聡い竜平にはすべて見透かされているのかもしれない。いつだって高槻が足掻いている事を、本当は知っているのかもしれない。


「ありがとね、先生」


 竜平は握った高槻の手を持ち上げてその甲にチュッと唇を触れさせ、そして手を離す。


「俺、先生のそういうとこ大好き」


 ニカッと笑った竜平は、見えてきた店に向かってダッシュしていく。

 無邪気な背中を見つめながら、高槻はくしゃっと自分の長い前髪をかき混ぜた。


「…甘えすぎ、かな…」


 時折見せる竜平の包容力にいつも驚かされる。その度にいつも、自分の情けなさを自覚する。あんなに小さいのに頑張っている竜平と比べて、自分はこんなにも不甲斐ない。

 いつか愛想を尽かされる前に、もっと強くて大きな人間になりたい。

 いつまでも竜平に愛してもらえるように。



<終> 

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