カルガモのあかちゃん

 朝、いつものように正門を通り抜けようとした竜平は、ふと足を止めた。

 視界の端でうごめく何か、そして微かに聞こえる音。

 門の脇の小さな溝の中にはまって動けなくなっている動物を発見したのだ。

「…鳥?」

 ピーピーと鳴くそれは、鳥のヒナのようだった。

 溝から救い出してやるとよたよたと歩くことはできるようだったが、どこへ行けばいいのかわからないみたいで、あっちへうろうろこっちへうろうろするだけだった。

 このままでは踏みつぶされて終わりだと思った竜平は、ヒナを抱き上げる。

 始業時間までの残りを確認し、小走りで生物準備室へ向かった。

「先生、先生!」

 挨拶もなく飛び込んだ竜平に、高槻は驚いて腰を浮かした。


「何だ、竜平。こんな時間に来るなんて」

「あのね、先生、拾っちゃったの」


 差し出した竜平の手のひらの上でピイピイとヒナが鳴く。


「拾ったって、お前…」

「校門のところで見つけたんだ。そのままだと踏みつぶされそうだったから」

「俺にどうしろと?」

「だって、生物の先生じゃん」

「生物ったって、俺の専門は植物だからな、鳥の生態なんて詳しくは知らないぞ」

「ええー」

「まあ、とりあえず、授業始まるから預かっておくよ。どうするかは放課後までに考えておく」

「うん、ありがと」


 高槻が差し出した手の上にヒナを移動させ、時計を見た。

 チャイムが鳴るまであと二分。高槻に手を振って、竜平は急いで教室に向かった。





 最後の授業が終わると、竜平はいつもにも増して猛スピードで生物準備室に直行した。


「先生っ、どうなった?」


 椅子に座ったままくるりと振り返った高槻の白衣の合わせ目辺りにちょこんと入り込んだヒナが、ピイと竜平に返事をした。


「こいつは多分、カルガモのヒナだよ。ほら、この時期になるとよくテレビでやっているだろう?カルガモの親子が道路を横断するとかなんとか」

「ああ、うん、なんかそういえば見たことあるかも」


 鳥のヒナなんてみんな同じに見えるが、言われてみればそうかもしれない。

 カルガモということは、つまり池など水のあるところで生息していることになる。一般家庭で飼うのは無理だし、学校にも池はない。なんとかしてヒナを育ててやりたいと思っていたのだが、それはかなわないのだろうか。


「竜平はこいつを飼ってみたいとか思ってるのかもしれないが、ここには水鳥を育てる環境もないし、第一何を食って生きているのかすら俺にはわからない」


 高槻の出した結論も竜平と同じ、人の手で育てる条件はまるで整っていない。鳥を育てようなんて思ってみたこともない竜平にももちろん、何を食べてどうやって生きているのかなんてわかりはしない。


「こいつが歩ける距離っていったら、隣の公園の池

ぐらいしかないから、あそこへ連れていってやろう。きっと親がいるよ」


 もし、そこで親に出会えなければ、見殺しにすることになるのかもしれない。それでも、そうしてみるほか、竜平にできる手段はなにもない。


「そうだね」


 寂しいけれど、仕方がない。

 最後にもう一度抱いてやろうと高槻の胸元に手を伸ばすと、ヒナは竜平の手に怯えたように首を引っ込める。

 一日預かってもらっていたからか、すっかり高槻に懐いてしまっているようだ。

 高槻の胸にしがみつくようなそんなヒナの反応に、竜平は少しむっとした。


「なんだよおまえ、命の恩人は俺なんだぞ」


 当たり前のことだが、拾ったのが竜平だなんて、ヒナがわかっているはずもない。

 自分を守ってくれる高槻のことを親のように思っているのか、高槻の体温からはなれようとしない。


「野生の動物になんて、懐かれない方がいい」


 高槻は慣れた手つきでひょいとヒナをつまんで、竜平の手の上に移す。

 高槻の方には案外執着はないらしい。植物相手のときとはまるで態度が違うのが可笑しい。

 高槻のぬくもりからはなされてバタバタしていたヒナだったが、次第に竜平の手の上でも落ち着いてくる。


「お前、幸せ者だな。一日中先生に抱かれていたのか」


 指先でつついてやると、一人前に反抗した。

 さっきむっとしたのは、この子が高槻の方に懐いてしまったからではなく、ずいぶん大事に可愛がられていると感じたからなのかもしれない。

 鳥のヒナなんかにやきもちを焼くなんて、どうかしている。

 弱いものを大切に扱うことなど、当たり前のことなのに。

 高槻は、竜平からの預かりものを、大事にしていただけなのに。

 それを嫌だと思う自分は、なんて心の狭い人間なのだろう。

 自分の醜い心を振り払うように、竜平は高槻に背を向け、ヒナを帰しに出かけようとドアに向かった。

 この子が無事に生きていけるよう、今はそれだけを願おう。

 けれど、背後からのびた高槻の腕が、竜平の体を抱きしめ、その動きを止める。


「せんせ…?」

「授業がなければ、一日中だってこうしていたいよ。ヒナより竜平の方がいいに決まってる」


 耳元で囁かれたら、ヒナのことなんて頭から消し飛んでしまう。

 薄情だけれど、高槻と比べたらヒナなんて二の次に決まっている。


「…先生…」


 高槻のあたたかな胸に背中を預ける。


(考えていたこと、どうしてわかっちゃったかな)


 そうして欲しかったこと、そう言って欲しかったこと。

 いつだって、竜平の心の中は筒抜けのような気がする。

 醜い部分も受け入れて、竜平が欲しいものを、高槻はくれる。

 高槻の鼓動を背中で感じながら、竜平は目を閉じた。

 手のひらの上でヒナがピイピイ鳴いていた。



<終>

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