モノリス2
ざわざわと、学校中が騒がしかった。
文化祭は生徒たちのお祭りであり、教師には関係のないものだ。一部の先生においてはそうではないのかもしれないが、高槻にとっては教師になって以来全く無縁のものだった。先生同士の交流も、生徒との交流もほとんどしない高槻に、そういった担当が回ってくることはまずない。何か行事のあるときは、たいてい一日中生物準備室に閉じこもっていた。
扉一枚隔てた隣の生物室では、どこかの部活がその場所を借りて何かやっているようだったが、興味もないので誰が何をしているかは知らない。学校中の熱気も騒音も、この一部屋だけには伝染しない。
はずだった。
しかし、今年は違っていた。
時計を気にして、朝からそわそわしている。
竜平に会いに行くその時を、心待ちにしている。
一週間もの間、会いに来ず、来なくていいなんていうメールを送ってきた竜平が、いったい何をしているのか、気になって仕方がない。
なるべく人が少なそうな時間を選んで会いに行こうと思い、朝からここで時計をにらみ付けながら、灰皿を吸い殻の山にしていた。
そろそろ頃合いだろうか。
高槻はよれよれの白衣を羽織り、眼鏡をかけ直すと、ぐしゃぐしゃっと頭をかき混ぜて前髪をおろし、いつも以上に念入りにガード体勢をとる。
久しぶりの竜平を目の前にして、いつも通りの偽りの自分を保てる自信がないからだ。
この部屋で二人きりで会うのとは違い、今日は周りにたくさんの人がいるはずだ。気は抜けない。
深呼吸を一つして、高槻はドアを開ける。熱気と騒音の直中に、その身をさらした。
小学生の姿にもすっかり馴れ、可愛いと声をかけられるのに快感すら覚えはじめていた竜平は、正直調子に乗り過ぎていた。高槻が来るかもしれないことなどきれいさっぱり頭から抜け落ち、ハイテンションで文化祭を満喫していたのだ。
「これはまた、ずいぶんと可愛らしい」
客寄せに出ていた廊下で背後から声をかけられ、反射的にありがとうございま~すとサービス満点の笑顔を向けたその時まで、すっかり忘れ去っていた。
「わ、先生…」
忘れていたにしても、声で気付くべきだったと反省したところで今さらどうにかなるものでもない。
笑顔を引きつらせて固まったまま、あっさり見つかってしまった自分の愚かさを呪った。しかも思いきり幼さ満点の表情まで自ら披露して。
先生には見られたくないと、あんなに思っていたのに。
「隠していたのは、それ?」
きっちりガードをかためた高槻の表情は分かりにくく、後ろめたさからなのか何か怒っているようにも思えて怖い。
「…うん…」
だって、と続けようとすると、横からぐいっと強い力で押されて、高槻共々教室内に押し込まれる。
「はいはい、センセいらっしゃいませ」
総長の格好の割には軽い口調の栗山だった。
教室の中には洋服店の試着室のような小さな即席個室が六つ設けられている。そのうちの一つに連れていかれて二人きりで閉じ込められた。
「せっかくだから、ちゃんと変身させてあげてね、江森くん」
三人一組で一人のお客さんにつくことになっていたが、岡田と栗山は手を出すつもりがないらしい。
二人きりになったのを確認して、高槻は眼鏡を外してポケットにしまい、顔を覆っていた前髪をかきあげた。
高槻の表情はいつもと変わらず、それだけで安心する。
「来て良かった。こんなに可愛い竜平が見られるとは思わなかったよ」
カーテン一枚で仕切っているだけなので、外に声が漏れないよう耳元に口を近付けて、そっと囁かれる。
自分の恥ずかしい格好も忘れて、竜平はその声に心を奪われた。
「初めて出会った頃の竜平みたいだ」
「どうせ、成長してないよ」
「隠さなくてもいいのに」
「だって俺は、もっと先生とつり合うような、大人になりたいんだ」
竜平の頬に、柔らかな唇が触れる。まるで竜平の心を解かす魔法みたいに。
「無理して大人になる必要なんてないよ。俺は今のそのままの竜平が好きなんだから」
「先生は…そういう趣味の人?」
「いや、今の格好のことじゃなくてさ。さすがに小学生はストライクゾーンじゃないよ」
高槻は苦しそうに声を殺して笑う。
「なんだよ、人が真剣に悩んでんのに」
頬を膨らませたその様が、小学生の格好にものすごくはまってしまっていることに竜平は気付いていない。
「先生もコスプレさせちゃうからね。人のこと笑えなくしてやる」
笑いのとまらない高槻の両腕を、竜平ががっちりと捕まえた。
「写真もとるよ」
「や、それはちょっと…」
「問答無用。ここに来た先生が悪い」
言い逃れできないとあきらめたのか、椅子に腰を下ろした高槻が、小さく舌打ちするのが聞こえた。
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