モノリス1

 火をつけたばかりの煙草を灰皿に押し付けて、ため息をつく。そしてまた、新しい煙草を取り出して唇に挟んだ。

 もう何度、そんなことを無意識のうちに繰り返しているだろう。

 高槻宏斗はぼさぼさの頭を掻き混ぜて、くわえた煙草に火をつけた。


 どうしようもなくイライラする。

 何をしても、集中しきれない。


 高槻は白い煙を大きく吐き出し、背もたれに体を預ける。公立高校の備品である古い椅子は、悲鳴のような嫌な軋みをあげた。

 イライラの原因はわかっている。高槻の生徒であり恋人でもある江森竜平が、ここ一週間ほど高槻に会いにこないからだ。


 生物教師である高槻の個室と化しているこの生物準備室に、竜平はほぼ毎日入り浸っていたのだが、その来訪がぷっつりと途絶えている。三日ほど前に授業で見かけたきりである。

 文化祭を控え、授業後はその準備に追われているため、こちらに顔を出す余裕がないのだ。それはもちろんわかっているのだけれど。

 日に日に心が不安定になっていくのが分かった。

 一回りも年下の子供相手に、自分の心がこんなにも依存していたことに愕然とする。

 こんなことでイライラしている自分に、またイライラする。そんな悪循環がどんどん高槻の精神を揺さぶっていく。


「…情けねえ…」


 消えてしまいたい気分になる。


 ださい黒縁のダテ眼鏡を外し、目頭を押さえた。

 いつの間にか長くなってしまった灰が、音もなく床に落ちていった。






 文化祭を明日に控え、学校中が活気に満ちあふれていた。ここ1年6組の教室も、もちろん例外ではない。

 最終調整ということで衣装を着せられた竜平は、隣に立つ友人二人の姿と見比べて、不服そうに眉を顰めた。


「ねえ、俺だけかっこわるくない?」


 竜平のクラスの出し物は『デフォルメ写真館』。

 訪れた人の印象を勝手にデフォルメして改造し、写真を撮影してあげようというおかしな企画である。簡単に言ってしまえば、コスプレ写真のようなものだ。

 店員である竜平たちも、それぞれのイメージを強調しまくった衣装を着ることになっている。

 他人が受ける印象が大切ということで、その衣装はクラスのみんなが勝手に決めたものであり、竜平的にはとてもありがたくないものだった。

 Tシャツに短パン、ハイソックス、そして黄色い帽子にランドセル。コンセプトはもちろん『小学生』である。

 背も小さく、童顔な竜平は、確かに幼く見られるけれど、さすがに小学生はきついだろうと思う。しかしそこが、デフォルメの部分であり、クラス全員一致の意見で決定してしまったのだから仕方がない。


「そんなことないよ。可愛いよ」


 友人である岡田が、お世辞でなくそう言うが、高校生にこれが似合っていて嬉しいものか。


「今さらごねたってさ、江森ちゃん、文化祭は明日だぞ?いいんだよ、お祭りなんだからさ」


 これまた友人の栗山がそう言って、なぜか自慢げな暖かい視線で竜平を見つめた。


「いいんだけどね、似合っちゃってるから」


 自分でも似合っていると思ってしまうところが、それはもう最悪だ。何よりも救いがない。


「これはこれでいいとしてさ、何がむかつくって、お前らがかっこよすぎるってことだよ。こんな君たちと三人一組で行動しなきゃいけない俺ってどうなの?あんまりじゃねえ?」


 おっとりしていて、素朴で大人びた顔の岡田は、白いシャツの上に和服を重ねて着た明治か大正時代の書生さん風。長身できつい顔立ちの栗山は、特攻服の上に白いロングジャケットを羽織った族の総長風。それらがばっちり似合ってものすごく心奪われるキャラクターに仕上がっているのだ。


「個性豊かな三人組でいいんじゃない?」

「普段からチグハグなのがつるんでるんだし、今さらだろう?」


 確かに、デフォルメしただけなのだから、普段から似たようなものなのかもしれない。

 妙な納得をして、竜平はふっ切ることにした。

 せっかくのお祭りなのだから、楽しまなければ損だ。こういう格好をしているからこそ、弾けなければ惨めさが増すばかりとなってしまう。


「どうせ普段からお子ちゃまですよ~。栗山はヤンキーだし、岡田はおっさんだしねーっ」


 よし、と気合いを入れた竜平は、自らクラスのみんなにお披露目をしにいった。

 人懐っこい竜平は、男子にも女子にも可愛いともてはやされ、得意げになって帰ってくる。


「あ、でも、やっぱり先生には見られたくないかも」


 そう思って竜平は高槻にメールをした。


『明日、終わったら行くから待ってて。一週間ぶりなんだから、絶対に準備室にいてよね』


 ただでさえ、ひと回りもある年の差に悩むこともあるというのに、大人っぽくなるどころかさらに幼くなってしまうなんて、悲しすぎる。

 高槻の性格からして、文化祭に顔を出すなんていうことはなさそうだが、念のため、間違ってもこちらに来ないように手を打っておこうと思ったのだ。

 しかし、返ってきた高槻からのメールには。


『一週間の成果を見にいくよ』


 とある。


『来なくていいから』


 と打ち返したけれど、一度やると言ったら必ず成し遂げる人だ。やってくるに違いない。


「ねえ、なんか俺、もしかして墓穴掘った?」


 竜平は汗ばんだ手で携帯を握りしめ、二人の友人に泣きついた。


「大丈夫、あいつはショタだからな、惚れ直すこと間違いなし」


 栗山が笑顔で親指を立ててみせるけど、高槻が幼児趣味だというのは栗山の勝手な見解であり何の根拠もないことだ。

 がっくりと肩を落とした竜平に、諦めなよと岡田の無駄に優しい声が降り注いだ。

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