モノクローム13
その日の授業後、生物準備室に行く頃にはずいぶん気持ちも落ち着いていた。
先程は、衝撃で頭の中がパニック状態だったが、それらが整理出来て腹を括れば、次第に暴走していた心も小康状態になる。
あれこれ考えたところで何かいい策が思い浮かぶわけでもなく、自分はやはり感情のままに動く以外にどうしようもないのだと悟ったわけである。
ただ純粋に、高槻に会えるのが嬉しい。
今の竜平には、それしかなかった。
いつものようにノックもなくドアを開き、定位置に高槻の背中を見つける。
「せーんせ」
近寄って声をかけると、高槻は心配そうな顔で竜平の額に手をあてた。
「わ、なに?」
不意をつかれて顔が紅潮する。
高槻と触れる事が嬉しくて、その手の温もりが気持ち良い。
「授業中、様子がおかしかったから、熱でもあるのかと思ったんだが」
「ないない。元気だよ」
「そうか?」
高槻の手が離れ、少し残念に思うが、少しほっとする。これ以上、挙動不振なところを見られたくはない。
竜平は高槻の追求を逃れるように、話題を転換した。
「先生、花壇作り終わったんだけどさ、何植えよう」
竜平の気持ちを知ってか知らずか、高槻も頭を切り替えてくれたようだ。
「そうだな、そこの棚に本があるから、調べてみるといい」
「はーい」
言われた棚からめぼしい本を選び、棚のすぐ前の机を陣取る。
花の写真がいっぱい載った本を開いてみれば、すぐにその世界に引き込まれ、浮ついた心も吹き飛んだ。
気になる花を見つけては、その名前と育て方を紙にメモしていくその作業に没頭し、恋だの何だのはすっかり抜け落ちる。
もともと、ひとつの事に集中すると、それ以外の何もかもが見えなくなるタイプなのだ。
気になった事はとことんまで突き詰めなければ気が済まない。
あれもいいな、これもいいなと、時間が経つのも忘れて、竜平はいくつもの本のページをめくった。
「すいぶんと書き出したな」
高槻の声が間近で聞こえて、自分の世界に入り込んでいた竜平に周りの世界が蘇る。
竜平の手元のメモを覗き込んだ高槻の顔が、あまりに近くて驚いた。
途端に心臓が高鳴る。
「あ、なんかさ、いっぱいあり過ぎて全然選べなくって」
竜平が言うと、高槻は可笑しそうに笑った。
少し前までなら、考えられないような笑顔。
こんな顔を見せてくれるようになったんだと、今の状況を誇らしくも思う。
「それなら、そいつらを実際に見てみるか。実物に出会ってフィーリングで決めるのもありだろう。こっちの仕事は一段落したから、一緒に園芸店に行こうか」
「うんっ」
竜平は勢いよく立ち上がる。
高槻と一緒にどこかへ出かけるなんて初めての事だ。
(えへへ、デートみたい)
そんなことをこっそりと思いながら、竜平は高槻と共に外へ出た。
最寄りの園芸店まで、学校から徒歩約5分。
高槻御用達らしいその店まで、細い裏路地を並んで歩く。
外出ということで、高槻はいつもの白衣を脱ぎ、白いTシャツに紺色のジャージのズボンという体育教師みたいな格好になっていた。
学校を出てしばらくすると、野暮ったい眼鏡も外す。
そんないつもとは違う高槻を、竜平は頬を染めながら窺い見ていた。
決してセンスの良い服装とは言えないが、スタイルの良い高槻が着るとそれなりに見えるから不思議だ。
学校にいる時より歩く姿勢もしゃんとしている。
普段は長袖の白衣に隠されていてあまり見たことのない二の腕が新鮮だった。
思ったより筋肉のついているその腕に、触れてみたくなる。
ふと、今日の栗山の言葉を思い出した。
(そのうち、触れたい、キスしたいってエスカレートしていくんだ、とか言ってたっけ)
本当にその通りだと感心しつつ、いつの間にか高槻とのキスを想像している自分がいた。
(やばいかも、オレ)
次々と欲深く沸き上がるこの衝動を、どうしたらいいものか。
「どうした?」
ちらりとこちらを流し見た高槻に、何でもないと首を横に振る。
そして、これぐらいならいいかなと、隣で揺れる高槻の大きな掌に触れた。
人通りのほとんどない裏道だし、少し手を繋ぐぐらい許されるかなと思ったのだ。
けれど、次の瞬間、その手は勢い良く振り払われる。
まるで、そうすることが堪えられないとでも言うように。
嫌なものに触れたみたいに。
(え…)
いつも、だいたいどんなことでも許してくれる高槻が、そんな反応をするとは思ってもみなかった。
駄目なら駄目で笑い飛ばしてくれると、そんなふうに楽観的に思っていたのに。
「…ごめんなさい…」
こんな風に冷たくあしらわれたのは、初めてかもしれない。
まだ高槻が完全に自分を隠していた頃でも、こんなことはなかったのではないだろうか。
いらないことをしたと、後悔する。
やっぱり、男と手を繋ぐなんて嫌だったろうか。
嫌われてしまっただろうか。
高槻がどんな顔をしているかなんて、怖くて見ることが出来なかった。
俯いて、黙って歩いた。
先程触れた高槻の左手は、きつく握りしめられている。
気まずい空気が、たまらない。
楽しい買い物をするはずだったのに。
浮ついた自分の行為が、全てを台なしにしてしまった。
でも。
気持ちを抑えることが出来ない。
今、この凍り付いた雰囲気の中でも、竜平はまだ、それでも高槻に触れていたいと思ってしまうのだ。
ぐっと唇を噛む。
気を抜くと湧き出てきそうな涙を堪える。
(それでも俺は、先生が好きだ)
好きなんだ。
どうしようもない。
待ち受けているのが拒絶だけだとしても。
自分を抑えることも偽ることも、不器用な竜平には出来そうもない。
(俺は)
どうすればいい。
お願い。
どうか、拒まないで。
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