モノクローム12

 机を二つくっつけて、竜平はいつものように岡田、栗山と一緒に弁当を広げていた。

 竜平の弁当箱からこっそりとカラアゲがひとつ、栗山の箸につままれてなくなる。

 その様子を視界の端に捉えていたにもかかわらず、竜平はそれを咎めるでもなくスルーした。


「なあ、江森ちゃん、どうしたよ」


 いつもならすぐさま罵声が飛んでくるはずなのに、ニコニコと見送られてしまってはやりがいも半減である。

 それでも奪取したカラアゲはしっかりとたいらげつつ、栗山は困ったようにため息をついた。


「このところ、ずいぶんご機嫌だよな」

「江森君が食べ物を、しかも大好物のカラアゲを譲るなんて、ありえないよね」


 栗山の言葉に大きく頷いた岡田は、そんな竜平を気の毒に思ったのか自分の卵焼きをひとつ竜平の弁当箱に移し入れる。


「もしかして、この間言ってた憧れの人がどうこうっていう話に繋がるのかな」

「うん、そうなんだ。あのさ、聞いてくれる?」


 このところニコニコしっぱなしだった竜平の顔が、更にとろけるように嬉しそうになる。


「俺ね、小学生の時に一度だけ会ったお兄さんがいてね、ずっとその人の事憧れてたんだ。その人が、実は先生だった事が判明したの」

「先生って、まさか、高槻?」

「そう!もう、びっくりだよね。俺、嬉しくってさ。先生に会うのが今までより更に楽しみになっちゃって、もう、授業後までいてもたってもいられないっていうかさ」


 堰を切ったように話し出した竜平は、二人の相槌も聞こえないほどにハイテンションになっている。


「もっといろんな話をして、先生の事を知って、仲良くなりたいんだ」


 竜平があれこれと、まるで恋人ののろけ話をするみたいに高槻の話をしている間に、栗山は岡田の弁当箱からもおかずを一品拝借していた。


「つまりはさ」


 もごもごと岡田から奪ったコロッケを咀嚼しながら、栗山は行儀悪く箸の先端で竜平を指し示す。


「高槻に惚れちゃったって事?」

「は?」


 寝耳に水の栗山の言葉に、今までの興奮はどこへやら、竜平はきょとんと目を丸くした。


「だってそうだろう。先生に会いたい、先生の事を知りたいってそんなことを一日中考えてニヤニヤしてるなんて、恋の症状そのものだろう。そのうち、先生に触れたい、キスしたい、エッチしたいってエスカレートしていくんだぜ。御愁傷様だ」

「えええー!?」


 本当に全くこれっぽっちもそんなことは考えてもいなかった竜平は、大きな声を教室中に響かせる。


「江森ちゃん、お前童貞だろう」

「は?何だよ、急に。そうだけど、悪い?」

「人を好きになった事ないんだな。あからさまな症状だぞ」


 童貞である事が関係するのかどうか知らないが、こんなにきっぱりと言い切られてしまっては、返す言葉が見つからない。

 実際、竜平に恋愛経験はゼロなのだ。栗山の言葉の真偽を検証する判断材料がない。


「そうなの?ねえ、岡田、そうなの?」


 栗山の言う事が信じられないわけではないが、確かめずにはいられなかった。

 縋るように見つめた岡田は微妙な顔で微笑む。


「残念ながら僕も童貞なんで、経験談ではなく一般論なんだけどね、ものすごく一般的な恋愛症状と一致するように思えるよ」

「ほんとに!?」

「ていうか、栗山君は童貞じゃないんだ」

「何言ってんの、俺は百戦錬磨の男だぜ?」

「うわ、遊んでそう…」

「そんな俺が言うんだ、間違いないだろう、江森ちゃん」


 頼みの綱の岡田にも肯定され、必要以上に自信たっぷりな栗山にバシンと背中を叩かれ、竜平の答えもそこへ向かうしかなかった。


「…そう、なんだ…」


 一転、まるで落ち込んでしまったかのように竜平は頭を抱える。

 あらためて考えてみれば、確かに納得する部分がある。


(俺は、先生が、好き?)


 言われてみれば、そうかもしれない。

 あまり読んだ事はないが、恋愛マンガでもそのような表現がよく使われている気がする。

 自分が気付いていなかっただけで、これが恋するという感情なのだ。


「ああっ」


 竜平の突然の咆哮に、再び弁当の中身を狙っていた栗山がびくりと体を震わせた。


「ごめん、調子に乗った」


 慌てて箸を引っ込める栗山だったが、しかし、竜平は弁当の事など頭にはなく、がしりと栗山の両肩を掴むと目をキラキラさせて栗山を見つめた。


「そうだよ、栗山。俺、先生が好きだわ。目から鱗だよ!お前、すごいな」

「すごいのはお前のバカっぷりだよ…」


 小さく呟いて栗山は目を逸らす。


「あーあ、やっぱりあのショタ野郎の策略にはまっちまったか」


 自分で背中を押したくせに、そこはかとなく寂しくて、栗山は縋るような視線を岡田に向けた。


「でもさ、最初に江森君を見つめてた理由は昔に会った事があるからで、栗山君の言うショタ説はその時点でたち消えるんじゃ?」

「いいや、初対面が小学生となると、ますます濃厚な説だ」

「ああ、そう」


 なぜか頑に高槻ショタ説を推す栗山に、同意しているわけではないが、反論する気もない。

 岡田はただぼんやりと、もし栗山の予想が正しければ、竜平は幸せになれるんだろうなあと、そんなことを思っていた。

 いつも元気な竜平の悲しむ顔は見たくない。

 あの一癖も二癖もある先生に、泣かされなければいいけれど。

 岡田は最後に残った小さなウインナーをひとつ、竜平の弁当箱に転がして、ごちそうさまでしたと両手を合わせた。





 自覚した途端に気持ちが溢れだした。

 何だかわからなかった感情が、名前を付けただけでこんなにも心を震わせるなんて、人間の脳というものは神秘である。

 好きだ、好きだと心の内が叫び続ける。

 絶妙なタイミングで5限目は生物の授業だった。

 教室に入ってくる高槻の姿を見ただけで、心臓が弾け飛びそうだった。

 高槻から、目が離せない。

 今まで何ともなかった些細な仕種にいちいちときめく。

 大好きな生物の授業なのに、内容が全然頭に入って来なかった。

 ただ執拗に高槻を目で追い、そして暴走する自分の感情に翻弄されていた。


(もう、だめかもしれない)


 ただでさえ、感情のままに行動する竜平が、この激しい想いにじっとしていられるはずもない。

 授業中だとわかっていても。

 飛びつきたくなるその気持ちを抑えきれない。


(どうしちゃったんだ、俺)


 竜平は机の上に突っ伏した。

 これ以上高槻を見ていてはいけない気がした。


「どうした、江森。具合が悪いなら保健室に行きなさい」


 なのにあっさりと、高槻は竜平の防衛策を撃ち破る。

 他人行儀な淡々とした高槻の声が、けれどもとても竜平を気遣っているように聞こえてしまい、どうしようもなく更に心は舞い上がる。


(先生の意地悪!)


 そんな事を言われてしまったら、平静を装わずにはいられない。

 居眠りするほかの生徒と同じように、黙認していてくれればよかったのに。


「なんでもないです、すいません」


 もちろん、高槻に悪意はないのだろうけれど。

 これ以上、自分の事には触れずに授業を進めてほしい。

 そう願う竜平の思いが届いたのか、その後は何事もなく過ぎていった。

 けれど竜平の心が平安を取り戻す事はない。

 気持ちを抑える事がこんなに苦しいものだとは、知らなかった。





 しかし、この気持ちを高槻にぶつけていいものなのか。

 6限目はそのことをずっと考えていた。

 経験がないだけに、その手段もわからない。

 他の事と同じように、まっすぐぶつかって、それで解決されるものなのか。

 高槻の気持ちもわからないのに、それは、今まで築いてきたものさえも壊してしまわないだろうか。

 らしくもなく、臆病になる。


(難しい…)


 考えても、無駄なのだけれど。

 思い悩まずにはいられない。

 感情と感情に板挟みにされた理性が、今にも悲鳴を上げそうだった。

 

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