モノクローム9

 隠してきた秘密を暴こうとする竜平の視線が背中に突き刺さっているようで、落ち着かない。

 竜平に背を向け、自分の席に座った高槻は、視線をあちこちに彷徨わせ、煙草を一本口にくわえた。

 火を付けたそれを、深呼吸するように大きく吸い込み、そして吐き出す。

 澄んだ空気が白く煙り、自分を見透かす竜平の視線をも薄く遮るような気がして少しだけほっとした。

 トントンと、灰皿に灰をたたき落とすと、それと一緒に自分の心に積もった汚いものも落ちていくような気がする。


「先生、煙草好き?」


 一瞬、自分の世界に浸ってしまっていた高槻は、背後からの竜平の声で我に返った。


「ああ、悪い…」


 煙たいのが嫌だったのかと思い、慌てて火をもみ消す。

 生徒の前では吸わないようにしていたのに、忘れてしまうほどに動揺していたらしい。

 今時、生徒の健康を害さないよう、教師が禁煙するのは当然のマナーである。

 ここで、一人きりでいる時だけ解禁するようにしていたのだが、ほとんど来客のないこの室内では自然に喫煙モードのスイッチが入ってしまう癖が付いていた。

 後ろに竜平がいるのを忘れていたわけではないが、ついうっかりというやつだ。

 それだけ、竜平がそばにいる事が自然になってきているという事なのかもしれない。


「あ、消さなくてもいいのに」

「ん?」


 慌てたような竜平の言葉で、嫌だったわけではないのだと気付く。

 もったいないじゃん、とひっそり呟く竜平の愛らしさに、妙に強張っていた体の力が抜けていくのを感じた。


「俺、先生の事、もっと知りたいんだ。煙草、俺の前ではあんまり吸わないけど、本当は好きなのかなって思ってさ」

「ああ、まあ、わりとよく吸う方かな」


 そう答えつつも、吸い殻の乗った灰皿を机の奥の方へ押しやる。


「俺に遠慮しなくてもいいのに」


 竜平は不満そうにしていたが、もう一度煙草をくわえるつもりはなかった。

 代わりに、首にかけたままだったタオルで、再び頭をかきまぜた。

 少し乾いてきた前髪が、いつものように高槻の顔を隠す。

 なにかしら、不安をかき消すための手を打とうと必死だったのかもしれない。

 この期に及んでも尚、壁を作ろうと、無意味な足掻きをしている。

 そんな高槻に気付いているのかいないのか、話をしようと意気込んでいたはずの竜平は、静かに高槻の様子をうかがっていた。

 竜平も竜平なりに心の整理をしているのかもしれない。

 パニックなのは、きっと、高槻よりも竜平の方のはずだ。

 突然発覚した事実に、頭が混乱している事だろう。


「俺、バカだし気が利かないから、どうして先生がそんなふうに自分を隠してるのかなんてわからないし……だから、今まで黙ってたのを、責めたりするつもりはないよ」


 言葉を選ぶようにしてぽつりぽつりと竜平が紡ぎ出す言葉は、高槻が想像していたものとは全く違っていた。

 もっと、責められて、仮面を剥がされ、汚い部分を晒す事になるのではないかと怯えていたのに。

 そうではないと知り、ようやく振り向いて、真直ぐに竜平の顔が見れた。

 予想に反して、竜平は混乱も動揺もしておらず、優しい穏やかな目をしている。

 覚悟を決めたような揺るぎない強さもあった。

 そして、高槻が顔を見せた事に安堵したように、竜平の頬が緩んだ。

 初めから、真直ぐ見つめていればよかったのだ。

 竜平の顔は、その全てを語る。

 騙してばかりの自分とは、違う生き物なのだ。

 高槻の想像など、そもそも及ぶはずもない。

 嘘偽りのない言葉。

 飾る事のない表情と仕種。

 竜平の全てが、そのままに、真実なのだ。

 勝手に作り出した虚像に、勝手に脅えていた自分が愚かなのだ。

 向き合う事の出来なかった自分の弱さを思い知る。


「ただ俺は、偶然にも先生の素の姿を知ってしまっているわけだし、だったら無理してほしくないんだよね」


 そうだ。

 竜平は、単純で素直なだけじゃない。

 時々ものすごく大きく、自分よりも大人なんじゃないかと思わせるような心の広い部分を見せる少年だった。

 4年前のあの時もそう。

 再開してからだってそうだった。

 そうして何度も救われてきた事をなぜすぐに失念してしまうのか。

 自分の疑心暗鬼な部分に、本当に嫌気がさす。

 自分を攻撃する人ばかりではないとわかっているのに、頭からそれを疑い防御を固める事ばかり考えてしまう。

 竜平は高槻を傷つける人間ではない、そうわかっているはずなのに。


「俺の前では本当の先生でいてほしいと思うのは、俺のわがままかな」


 困ったような悲しいような表情を一瞬見せた竜平は、高槻に近寄って、眼鏡に手をかけするりと引き抜く。

 抵抗はしなかった。

 許す心づもりは、既にあったのかもしれない。

 頭で整理が付かないだけで、心では、もう、深い部分に竜平は存在しているのだろう。

 竜平は、高槻の表情を覗き込むように、顔を近付ける。


「だって、こんなにも素敵なのに」


 その距離およそ30センチ。

 曇りもなく見つめてくる竜平の視線に耐えきれずに目を逸らした。

 抱き締めてしまいそうになった両手をきつく握りしめる。


「…竜平」


 そう呼んでしまえば、覚悟は揺らいでしまうのに。


「何?」


 それだけのことで、こんなに嬉しそうな顔を見せるから。


「ごめんな…」


 握りしめた拳の中で、爪が掌に食い込む。

 何に対して謝りたかったのか、自分でもよくわからなかった。

 今まで騙してきた事に対する謝罪なのか、依怙贔屓の罵声を共に浴びせられる事になるだろう危惧に対しての計らいなのか。

 それとも。

 はからずも恋心を抱いてしまった自分に気付いてしまったからか。


「何が?」


 まさか生徒に恋するとは思ってもみなかった。

 もともと男色趣味で童顔好きではあったけれど、少年趣味なわけではなかったし、生徒など恋愛対象にはならないと思っていた。

 教師と生徒の恋愛といえば、男女間でも御法度であるというのに、よりにもよって男性教師と男子生徒との恋愛などあっていいはずもない。

 この思いは、どうあっても胸に秘めなければいけない。

 この先竜平と、素の状態で接する事になったとしても、それだけは守らねばならない。


「…まあ…いろいろだ」


 熱い思いは全て飲み込んで、高槻は曖昧に微笑む。

 きょとんとした竜平は、けれど、にっこりと笑った。

 意味などわかっていないだろうに。

 高槻の全てを許すかのように、笑うのだ。

 この真っ白な少年を、穢す事のないように、戒める。

 高槻は、かたく、心に誓う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る