モノクローム8
高槻の仕事の手伝いが一通り出来るようになり、今度は竜平の花壇作りを始めた。
何もない普通の地面に花壇を作るというのは思った以上に大変で、つるはしやくわで地面を掘り返し、石や瓦礫などの異物を丁寧に取り除いて、レンガで周りを固め、ようやく花壇らしい形になるまでに10日近くの日数を要した。
「先生、腐葉土もらってもいい?」
開いた窓から、準備室の中にいる高槻に声をかける。
机に向かっていた高槻は、顔をあげて竜平を見るなりくすりと笑う。
「今日もずいぶん真っ黒だな」
「あとは土を入れるだけなんだ。頑張ってるでしょ?」
笑われてしまったので、顔についた土を腕で拭ってみるが、もっと汚れただけのような気もする。
「ああ、そこに積んであるやつ、使っていいから」
「はーい」
生物室へ入る小さな階段の脇に風雨を防げるような簡単な小屋のようなものが作ってあり、その中に腐葉土の入った袋が積み上げられていた。
一つの袋が大きくて、ずっしりと重い。
引きずるようにして花壇に運び、そして中身をあける。
小さな花壇とはいえ、まだいくつか運ばなければいけない。
「これもまた、思ったより重労働だよなあ」
息を吐き、汗を拭った。より一層顔が黒くなる。
「手伝ってやろうか?」
高槻が、白衣を脱いだ姿で生物室から出てくる。
「え?ホント?」
竜平は顔を輝かせた。
高槻と共に作業をするのは、高槻の手伝いを教わっていた時以来だ。
自分の負担が軽くなるという事以上に、高槻と一緒にやるという事が嬉しい。
好きな事なので、一人でやっていても辛くはないが、高槻が一緒ならなお楽しい。
「ありがと、先生」
「今日は特にやる事もなかったからな」
高槻はぶっきらぼうに言うけれど、どこか楽しそうに見えるのは竜平の気のせいだろうか。
そうあって欲しいと竜平が願うからだろうか。
「先生が土を運ぶから、江森はくわで土を混ぜて」
「はーい」
竜平は言われた通りにくわを手にとり、入れた腐葉土と土とを攪拌していく。
その間に高槻は、竜平がずるずる引きずっていた腐葉土の袋をひょいと肩の上に担ぎ上げて運んでくる。
「うわ、先生、意外と力持ちだね」
はっきりいって、パワフルなイメージは全くない。
けれど、竜平もひ弱な方ではないはずなのだが、そんな竜平よりも高槻の方が断然パワーがあるらしい。
「そりゃ、まあ、あっちの花壇も先生が一人で作ったわけだし、一通りはこなせるな」
「そっか、そうだよね」
植物を育てるというのは体力がいるものなのだと、あらためて思う。
「案外、体育会系かも、生物部」
ぶちまけられる腐葉土をざくざくと混ぜながら、これの倍以上もある向こうの花壇を一人で作り上げたという高槻を尊敬した。
「こっちも疲れる~」
普段持った事のないくわを振り上げている内に、腕も背中も腰も悲鳴をあげる。
いつもはあまり使わない筋肉が必死で動いているのがわかる。
「おい、ふらふらしてるけど、大丈夫か?」
疲れ知らずに次々と土袋を運んでくる高槻は、そんな竜平を見て苦笑する。
「気を付けないと自分の足にグサッといくぞ」
「大丈夫だよっ」
なんだか悔しくて、竜平はくわを持つ手に力を込める。
「あ…」
「うわっ」
勢いあまって土の塊が飛んでいき、自分の体を掠めて、後ろで覗き込んでいた高槻の頭に見事に命中した。
「ごめんなさい、先生」
「大丈夫だよ、これぐらい。土をいじっていれば汚れるのは当たり前だ」
高槻はぼさぼさの頭を振って被った土を払い落とす。
「先生、顔にも」
せっかく手伝ってくれているのに、恩知らずな自分が嫌になる。
せっかく、一緒に楽しもうと思ったのに。
「まあ、陽気もいいことだし、水道の水をかぶってくるよ」
しょぼんとした竜平の頬に、高槻は真っ黒になった自分の掌をなすりつける。
ただでさえ黒かった顔が更に豪快に汚れた。
多分、沈んでいる竜平の気を軽くするための仕返し。
冷たいように見えて、意外と優しい人なのだということが、最近はわかってきた。
「準備室に使ってない机が二つあるだろう。その右側のやつの一番下の引き出しにタオルが入ってるから、二枚持ってきてくれないか」
「はい」
手だけ軽く洗い、竜平がタオルを取りに行っている間に、高槻は水道の下に頭を突っ込み、ざぶざぶと頭を洗っていた。
階段の端に置かれた眼鏡を踏まないように近付き、水を滴らせている高槻にタオルを手渡す。
「ありがとう」
頭を拭き、顔をあげた高槻を見て、どきりと竜平の心臓が跳ねた。
「せ、先生…」
いつも顔の半分ぐらいを隠している長めでぼさぼさの髪は濡れてオールバックになっており、太い黒縁の大きな眼鏡も今は外されている。
初めて、高槻の素顔を見たのではないだろうか。
その顔は、やぼったいいつもの高槻とはまるで別人のように男前で、そして竜平には見覚えのあるものだった。
「あの時のお兄さん?」
4年前の夏の日に偶然道端で出会った、竜平の憧れのお兄さんの記憶と合致する。
「あっ…」
高槻は、しまったという顔をした。
顔を覆うものがない分、いつものポーカーフェイスは半減されている。
今更遅いような気もするが、高槻は慌てた様子で眼鏡をとり、かけ直した。
髪はそのままなので、イメージはまだ記憶の中のお兄さんに近い。
どうして今まで気付かなかったのだろう。
そんな事は微塵も思い浮かばなかった。
小学生の頃のあの出会いを、高槻に話しもしていたのに、まるで気付かなかった。
あの時の事は、鮮明に覚えているのに。
「なんで、言ってくれないわけ?」
今考えると、多分高槻の方は初対面で気付いていたのだ。
最初の授業で、妙に竜平を見ていたのは間違いなくそのせいだろう。
「俺、先生にあの時の話だってしたのに、どうして?」
詰め寄ると、高槻はバツが悪そうに視線を逸らした。
「まあ、なんというか、名乗るほどでもないかなと」
多分、こんなふうに自分を隠した生活をしているからなのだろう。
素の自分を知られている人に出会いたくはなかったのかもしれない。
どんな理由があって隠しているのかは知らないけれど。
それでも。
言って欲しかった。
「憧れの人だって言ったのに!」
誰かにばらしたりとか、そんなことはしないのに。
高槻に不利になる事を、するはずもないのに。
「がっかりさせちゃ悪いだろう」
「しないよ!先生の事、俺はすごい人だと思ってるんだから」
みんなが思っているような、冴えなくて薄気味悪くてそっけないイメージなんて、竜平にはない。
「今俺は、本当に嬉しいと思ってるんだから」
高槻があのお兄さんだったなんて、更に尊敬の念と親しみが深まるばかりで、マイナスな事なんて一つもない。
あの人に、再び出会えるなんて、思ってもみなかったのだから。
「もっと早く、教えてよね」
自分にだけは素を晒して欲しいと思うのは、竜平のエゴだろうか。
自分だけが知っている本当の高槻。
秘密を共有した時の連帯感のような感覚が、更に二人のつながりを深めるようで、嬉しかった。
あの日、たった数時間の出来事であったけれど、共に楽しんでいた事は感じ取れていたし、見ず知らずの人なのに、妙に心が通いあったような感覚もあった。
竜平の独りよがりではないはずだ。
だって、高槻は、成長した竜平に一目で気がついたのだから。
「悪かった、な…」
「今日の作業終了。先生、中で話をしよう。ね?」
竜平は、道具を片付けて自分も顔を洗うと、腰の重い高槻の背を押して準備室へと誘って行った。
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