モノクローム6
「今日もまた、生物室?」
帰りのHRが終わると同時に教室を出ようとする竜平を、後ろの席の岡田が呼び止めた。
「うん」
このところ、授業が終わると生物室に直行するのが竜平の日課となっていた。
「ずいぶんお気に入りなんだね」
「先生の話、すごい面白いんだよ」
知識は豊富だし、大人だし、竜平の知らないことをいろいろと話してくれて、竜平はすっかりそれに夢中になっていた。
「授業を聞く限り、そうは思えないんだけどね」
「そう?俺が生物に興味あるからなのかな、面白いよ?」
「まあ、別に江森君が何を好きだろうといいんだけどさ」
岡田は何かを言いかけたのだが、その言葉は横から割り込んできた栗山にかき消される。
「なあ、それでさ、アレはわかったのかよ」
アレというのは、高槻の最初の授業の時に気になった視線の意味のことだ。その原因を突き止めに行ったが、結局聞けなかったと二人の友人には話してあった。
もう少しいろいろな話をしてみてから聞いてみると言っていたのだが、あれからもう二週間ほど毎日通っていても未だに聞き出すことは出来ていない。
「あー、まだ聞けてない」
「何しに行ってんだよ、毎日毎日。もし、あの人がそういう趣味の人だったら、江森ちゃんやばいんだぜ。わかってる?なれ親しんでるうちにあれよあれよと手込めにされちゃったりしたらどーすんのよ」
栗山は、なぜだか最初から、高槻が少年趣味で竜平の事を狙っているのだと決め込んで譲らない。
「だから、そういうんじゃないってば」
何度否定しても、疑いは晴れない。
「そういうのはほら、そういう目で見られてたらだいたい分かるし、お前に言われて疑ってかかっても全くそんな素振りないから」
「江森ちゃんみたいなお子さま、騙そうと思ったらいくらでも出来るさ。むこうは大人だしな」
「もう、なんでそんなに疑うんだよ」
「だって、見るからにうさん臭いじゃん、あの先生」
まあ、確かに、その点は竜平も否定できない。けれど、ここ数日話していてずいぶん高槻の人間性も見えてきているが、中身は案外まともな人だと感じている。
「それにさ、なんか最近、江森ちゃんはもしあの先生にそういうことされても許しちゃうんだろうなみたいな雰囲気醸し出してんだよ~」
よよよ、と、大袈裟に泣き真似をして、栗山は岡田の胸に縋り付く。
デカイ男が二人抱き合う無気味な光景が繰り広げられているが、そんなことよりも竜平は栗山のその言葉に動揺していた。
「ええっ!どんな雰囲気だよ、それ」
確かに高槻とは妙にウマが合うと言うか、一緒にいると楽しいことばかりでかなり気に入っているのだけれど、だからといって何をされても許してしまうなんてそんなことはないだろう。
というか、高槻が竜平になにかをするなんていうこと自体があり得ない。
「まあ、なんだ、嫉妬してるんだよね、栗山君は。江森君があんまり先生と仲良しだから」
自分の腕の中の大男の頭を撫でながら、岡田はにこやかな笑顔と共にそう言った。
岡田に言われると、何だか乱れていた心が落ち着く感じがする。
「だって最近俺と遊んでくれないんだもん、江森ちゃん」
いじけている栗山を、はいはいと軽くあしらって、
「それはそうと、江森君」
岡田が真面目な顔を竜平に向けた。先ほど栗山に邪魔をされた話の続きだろう。
「部活はどうするの?締切今週末だって分かってる?生物室通いばかりで、どこの部も見に行ってないでしょ」
言われて初めてそんな規則があったことを思い出した。
必ずどこかの部に所属しなければいけないのがこの学校の決まりになっているのだ。
中学までは何となく流行りに乗せられてサッカー部に所属していたけれど、万年二軍程度の腕前で、高校まで引きずる気はなかった。
適当な文化部にでも入ればいいやと思っていたが、何部があるのかすら分かっていないような状態だった。
「今週末だっけ?あー、急いで考える」
「どこか見に行くなら付き合うよ?」
「ありがと。でも今日はいいや」
「先生と約束してるの?」
「してないよ。俺が勝手におしかけてるだけ。あ、一緒に行く?」
「いや、遠慮しておくよ」
苦笑いと共に二人共に首を横に振られる。
竜平は肩を竦め、二人に手を振って教室をあとにした。
なぜみんなが高槻を敬遠したがるのか、竜平には理解できなかった。
栗山いわく、「お前は趣味が悪い」んだそうだが、竜平はみんなに見る目がないのだと思っている。
見た目に惑わされ、高槻自らが作り出している壁に阻まれ、本当の彼を知らないからだ。
「…とかいって、俺もよくわかってないんだけどさ」
もう二週間になるけれど、のらりくらりとかわされて、壁のむこうを覗き見ることが出来ずにいた。
それが悔しくて、つい躍起となってしまう。
先生の話が興味深いというのももちろんだが、そういう点も竜平が高槻にこだわる理由の一つである。
知りたいと、なぜこんなに思ってしまうのだろう。
その理由を深く考えたことはあまりない。
とにかく衝動のままに、竜平は今日も生物準備室に飛び込んでいった。
「先生こんにちは~」
既になれ親しんだもので、竜平はノックもせずにドアを開け、生物準備室に入って行く。
初めはノックぐらいしなさいと注意されていたが、毎回この調子なのでいちいち言うのも馬鹿らしくなってしまったようだ。
無遠慮さは持ち前の人懐っこさでカバーする、それが竜平のやり方だった。
そうして人の心も自分の心も開いていくのだ。
「ねえ、先生。先生は部活の顧問とかやってないの?」
あいている椅子に跨がり声をかけると、高槻は読んでいた本を閉じ、くるりとこちらを向いた。
高槻が顧問をやっている部活があるのなら、それに入るのもいいかなと思う。
高槻のタイプからして、やっていない可能性の方が高そうな気はしたが。
「ああ、名前だけだが、生物部の顧問を」
意外な答えが返ってきた。
「生物部なんてあるの?」
毎日ここへ通っているけれど、いつだってこの辺りに人気はなく、そんな活動が行われているなんて思いもよらなかった。
「名前だけの部だよ。どこかへ所属しないといけない決まりだからね、帰宅部希望の幽霊部員がとりあえず名前を登録しているだけで、活動は一切していない。だからまあ、顧問というのも名前だけで、実質何もしていないな」
「へえ」
竜平はキラリと目を輝かせた。
これで、入る部は決まったではないか。
「じゃあ俺、生物部に入る!俺一人でも何か活動したら、先生一緒にやってくれる?」
「それは構わないが」
「じゃ、やる。とりあえず先生の手伝いするよ。あの花壇の水やりとか、生物室のやつの世話とか。で、あの隣に俺の専用花壇作る。どう?」
息巻く竜平を、眼鏡の向こうの冷めた目が値踏みするように眺めた。
「一つだけ条件がある。先生の育ててるものに触る時は、必ず先生の指示に従うこと。俺に絶対服従でない手伝いは必要無い」
そうきっぱりと言い切った高槻に、竜平はあんぐりと口を開けた。
「先生、なんか人格変わってるよ?」
いつもわりと冷たく突き放したような物言いをするけれど、こんな風に、冷たすぎて逆に熱のこもったようなのは初めて見た。
恐いとは思わなかったが、なんだか胸のうちがぞくぞくする。
もしかしたら、これが、いつも隠している本性なのだろうか。
よくわからないけれど、何かを垣間見たような気がした。
「これだけは譲れない所だ」
言い繕うようにそう呟いた時には、もういつもの高槻に戻っていて、けれどいつもみたいに竜平から目を逸らすことはなく、真面目な視線が竜平を追い立てるように貫いていた。
「もちろん、言われたことは忠実に守るよ。そうしなきゃ、あんな風に綺麗にならないって事なんでしょ?」
「そうだ」
「なら、一から十まで全部先生の言う通りにやる」
「よし、わかった。自分の方は好きにやるといい」
「ありがとう、先生」
竜平は椅子を飛ばす勢いで立ち上がり、高槻の手を握る。
その手が思ったよりも熱くて、少し驚いた。
「なんか、楽しくなってきたー、俺の高校生活!」
叫ぶ竜平を見て、高槻がくすっと笑った。
笑顔を見たのは、もしかしたら初めてかもしれない。
案外、優しく笑うんだな、と、心の端でそう思った。
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