プレドニンの行方②
遡ること一週間。十月十日
その日松田は遅番であった。
ひだまりの遅番は多忙で有名である。
有名と言うのはヘルパー派遣会社の間での話で、ひだまりは敬遠されがちだ。
中でも一番濃いのが就寝介助である。
遅番は11時始業20時終業であるが、ラスト二時間の夕食から就寝介助にかけてはさながらクリスマス時期の物流倉庫である。
ひだまりは三階建て施設であり、一階は主に会議室や事務室、交流室と言ったスペースでニ、三階はユニット型の入居スペースになっている。
松田はその日三階の
松田はそつなく夕飯の介助をしている。
松田は五ヶ月前に中途入社して以来「雑だけど仕事は早い」と定評があり、自身としても風に乗って耳に入ったその評価を誉め言葉として受け止めている。
真向かいの
(相変わらず要領わりーな角野さん。あれで定時に上がれんのかよ?)
時刻は18:28
今からなら就寝介助を始めてもそれほど焦らずに終えられる。
が、あと十分でも手間取ってしまえばそれも危うい。
松田は自己摂取が困難な利用者に食事介助していた手を止め就寝介助に移った。
食事は茶碗に1/4程残っていたが、記録には全量摂取と記入した。
角野は38歳の元ニート、入社四年目の中堅スタッフだ。
対して松田は23歳の一年目。
角野がなめられるのも頷ける。
仕事が遅い介護士には二種類おり「志が高く、利用者の安全、安心、清潔が第一の仕事をする介護士」と「ただただ要領が悪い介護士」の例があるが、角野は間違いなく後者だ。
因みに仕事が早い介護士には一種類しかいない。
『割りきりが出来る介護士』である。
と言うのも、今松田や角野が置かれている状況のように介護は多忙且つ時間との戦いである。
飯を食べ、歯を磨き、服を着替え、用を足し、寝る。
人間の当然の行為だが、これらに全て人の手を
要するとなると(増して対象が数人となると)これはもう戦場である。
この「人間として当然の行為」を「やってあげて当たり前」と言うには時間と人手が足りなさすぎる。
そこをマニュアル作成時点で何処の現場でもシミュレーションできていない。
ならばどうするか?
角野の様に愚直に時間をかけるか。
松田は違った。
『終わるはずない量の仕事を詰め込んでいるのがそもそもの間違いで、それらを残業代もなく馬鹿正直にこなすだろうと期待している職場も間違っている。』
これは松田が依っている先輩からの受け売りだ。
つまりは割りきること。
松田はその格言通りに今日も仕事こなす。
松田は利用者たちの食事が途中であろうがなかろうが手早く下膳する。
『まだたべてりょぉー。』
横山と言う男性利用者が文句を言っているが意に介さない。
所詮は認知症老人であると言うのが理由だ。
ふと、ある利用者の膳に目を奪われる。
(あれ?納山さんのお膳に柏原さんの薬の袋がある…)
納山の膳に柏原と書かれた薬の袋がおいてある。
高齢者の内服薬は一包化されていることが多く、追加になった薬は袋の外からホチキス留めしている。
元々柏原の薬の袋にはプレドニンというホルモン剤がホチキス留めしてあったが、殻だけでそのプレドニンが見当たらない。
納山が飲んでしまった可能性がある。
松田の時短術の一つだが、内服薬は基本食事終了後に必ず介護士の手で利用者に飲ませることになっているにも関わらず、認知症の軽い利用者には薬を事前に配り自身での服薬を指示している。
(やば………俺間違えた!?)
事実、柏原の膳には納山の薬が乗っていた。
柏原はまだ飲んでいなかった。
柏原の膳から薬をひったくり、素知らぬ顔でそれを納山に飲ませた。
これで納山は自身の薬と柏原の薬を一部飲んでしまったことになる。
『あれ?おくすり?』納山は言ったが無視した。
『あたしのおくすりは?』柏原が言った。
柏原はパーキンソン病こそあるが頭はクリアだ。
『ごめん柏原さんちょっと待ってて!!』
松田は二階の医務室に駆け出した。
とぼけて柏原にプレドニンの抜けた薬の袋を渡すことも考えたが、おそらく柏原は気付くと思って思い止まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます