第2話 ヒトの子

 オサマは十六歳の少年だ。

 浅黒い太陽に愛された肌と黒い瞳、赤茶けた髪で……いや違う、そんなことは余所事だ。

 彼は今、過激派テロリストに拉致され死のうとしている。なんだかわからない彼らの解釈による正義の鉄槌……AKの銃弾を腹にぶち込まれ学校の同級生たちから離される。ここは本来学校のグラウンド、と言うのが申し訳ない程度の庭だった。今は女生徒だけがテロリストに集められている。泣く子も涙の枯れた子もいる。

「いいか」

 大きな体のテロリストがオサマの腕と脚をダクトテープで巻いた。

 首には縄がかけられる。

「こうなる」

 テロリストは訛った言葉で喋っている。この地域の育ちじゃない。わざわざこんな山奥まで来てこんなことをしているのか。かすみのかかる頭が面白いと判断してしまって小さくオサマは笑った。

「神に逆らうとこうなる」

 同じような格好の何人かの男たちが並ばされ、首の縄をジープの後ろに結びだし……ああ引きずるんだと気づいて男たちが泣き出したりわめいたり命乞いをしたり。

 オサマは少し虚ろに笑ったまま、エンジン音を聞いていた。

 そこからの記憶は曖昧だ。背中の激痛、首が縄で痛い(しめつける感じはしなかった、ただ熱くて痛かった。)背中が何かに乗り上げてポンと体が宙に浮きーー

 テロリストたちの視界からオサマが消えた。





 痛いとても痛い。

 意識が痛みに浮上するとオサマのまぶたがかすかに開いた。見たことのない天井が目に入る。やたらに高く、大きなステンドグラスらしいそれは、暗褐色系の色彩で何かを描いていたがオサマにはそれが模様であるのか聖人画であるのかさえ判別できない。こぽこぽ、と近所の珈琲店のコーヒーサイフォンのような音が聞こえるが、コーヒーの匂いはしない。果物のいい匂いがする。

 視線をずらすと(体は身じろぎすらできなかった)色とりどりのガラス玉の暖簾のようななにかが微風に揺れている。ガラス玉と思ったそれの一筋は、自分の腕に繋がれていた。点滴のように。よく見るとそれは液体の入った球体のようだ。

 と、自分を覗き込む影にオサマは体を震わせた。

「目が覚めた。うん、いいね。少し濃度を上げようかな」

 それは白いのっぺりとした、目の当たりに細い線の入った面をつけた何かだった。白い面の頭はザンギリの妙な色の髪がボサボサと生えている。濁った絵の具色のマントのようなものを羽織り、服は黒いシーツを巻きつけたようなもの。巨体を折り曲げて自分を覗き込むそれはきっと死神だとオサマは思う。

 そうだ自分はあんな目にあって死んだはずだ。

 歯の根を震わせ始めるオサマに、大きな何かは骨ばった大きな手で頭を掻いた。

「怖いか、まいった、お面なら大丈夫と思ったんだけど」

 細い線から少しだけ目が見えた。

 痛くてたまらない体を起こしオサマは後ずさる。自分が裸であることに気づき、腹を見るとそこは。……撃たれたのになにもない。腹をこすってうろたえているオサマにその大きな何かは自分を指差してこう言った。

「わたしはィユグー、お前の主人だ。今日から。」

「何を言ってる?!」

「ひずみに落ちたお前はわたしが買った。

 ここではお前はこの血を体に入れないと生きれない」

「血……? 何?なんの話だここはどこだ!

 ここは……ひずみ?ひずみってなんだ、テロリストは!」

 ィユグーは首を傾げて唸った。

「テロリストは知らない。

 ここはだ。我が閣下の治める大地」

 そしてガラス玉のような球体を指差す。

「それがまものの血」

 さあっと血の気が引いたオサマは迷いなく腕につながった球体のつながりをぶちりと引き抜き悲鳴をあげる体を気力で寝ていた台の上から飛び降りさせた。

「待ちなさい」

 と後ろで落ち着いた声がしたが聞いているオサマではない。

 オサマは信心深い。ここが魔の世界と理解して、逃げようとしていた。テロリストに抵抗したのに地獄に落ちるなんてあんまりだ。

 やたらと広く訳のわからない大小様々のものが積んである部屋の中を駆け回り、気づく。


 この部屋出口がない。


 立ちすくむと、ィユグーは大きな声で戻りなさいと言う。なにもしない、こわいことはなにもしない、と。

 オサマが振り返ると白い面をつけたィユグーが両手を空にあげてこうさん、のポーズを取っている。

「ここのものを壊されると困る」

「偉大なるアッラーの名において」

 オサマは震えないように両足に力を入れた。

「僕をもとの世界に戻せ魔物め!」

「それはできない」

 ィユグーは平然とアッラーの名を聞き流し

「キリストもブッダもアッラーもできない。

 覆水盆に返らずだ。ひずみに落ちてしたに来たものは我らのものと取り決められている。

 ひずみでに行くものもいるが、お前は地下に落ちた。

 お前はわたしのペットになった」

 オサマは目を白黒させた。

「可愛がるから安心なさい。

 主人の手は噛まないように」

 そしてなんでもなくオサマに歩み寄ると目を覗き込み

「血は十分入ったらしい。ヒトの子、名前はなんだ」

「お前に名乗る名などない」

 震えた声で答える。

「アッラーに出来ぬことはない、アッラーの救いが必ずある。

 だから僕は」

「まあ落ち着くまでこの部屋にいなさい。

 アッラーは来ないがわたしの使い魔に食事は運ばせる。

 落ち着いたら頭を撫でさせなさい」

 ィユグーの言葉にはあ? と間抜けな声が出た。

「言ったじゃないか。

 お前はわたしのペットなのだとね」

 そしてィユグーはマントのフードを被った。するとそこには巨大なオウムが出現し、それは大きく羽ばたいて高い天井目指して飛んでしまった。

 オサマが目をこらすと、天井付近に穴のようなものがいくつも空いていた。窓……いやそここそ出口なのだろうか?

 ただしその穴までは到底登れそうのない高さだった。

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