003:物書きとしての本分


「じゃあ打ち合わせはこのくらいで。芥山あくたやま先生、今回も素晴らしい作品ありがとうございました」


「いえいえ、とんでもない」


「……大丈夫ですか? 最近、具合が悪そうですが」


「いやなに、ちょっと仕事が立て込んでいて睡眠不足なだけです。作家冥利に尽きますよ」


「睡眠もしっかり摂ってくださいね、健康第一ですよ? 売れっ子作家を潰してしまったとなったら、私が編集長に大目玉を食らってしまうんですから」


 担当はそう言いながら冗談めかしく笑い、席を立つ。


 売れっ子作家か、悪くない響きだ──以前の僕ならばそのフレーズに口を緩め、小躍りを披露していたことだろう。


 けれども僕は変わってしまった。


 もう、以前の芥山虎之介ではないのだから。


「あ、ここの会計なら僕が払いますよ」


「何を言っているんですか、先生。どうせ経費で落ちるんですし、変に気を使わないでくださいよ」


「おかげさまで稼がせてもらってますし、気にしないでください。たかがコーヒーの一杯や二杯」


「そうですか? では三顧の礼とも言いますし、今回はお言葉に甘えて」


 それを言うにはまだ回数が足りてないがな。


 そんなことを内心思いながらも顔には出さず、原稿をカバンにしまい込んだ担当を送り出した。


 席には僕ひとり。


 そして税込690円のコーヒーが二杯、まだ湯気も冷め切らない状態で残されている。


「僕も偉くなったもんだ」


 ぼそりと呟く。


 店内に流れるジャズにかき消されそうなくらい小声で。


 例の小説投稿サイトに初めて投稿したあの日──第三者の意見に見ざる言わざる聞かざるの姿勢を保ち続け、書きたいことを書きたいように書くという信念を持った芥山虎之介という作家を殺した日を皮切りに、僕の作家人生は大きく変わった。


 いや、変わってしまったという表現の方が適切かもしれないが。


 結果だけを言うならば、僕は晴れて成功者の仲間入りを果たした。


 今や芥山虎之介の名前を知らない人などそういないだろうし、書店に行けばその店の一番目立つコーナーには山のように置かれている。


 そう、僕の本ではない彼の本が。


 もはやどこにも古めかしい文体で書かれた時代遅れの本はなく、大衆のニーズにこれでもかと言うくらいに応えた、まるで媚びへつらうような下賤な本しかない。


 僕にとってそれが幸か不幸なのかは、敢えて言うまでもなかろう。


「さて、と。物思いに耽るのもこれくらいにして、さっさと家に帰るとするか」


 席を立ち、会計を済ませた僕は店を出た。


 あの日までの僕ならば決して入ることがないだろう高級志向の喫茶店を振り返って見ると、複雑な感情になる。


 今や湯水のように湧き出る印税のおかげで、昔とは比べものにならないほど贅沢な毎日を送っているが、これで良かったのだろうか。


 僕が望んでいたのはこんなことだろうか──いや、違う。


 三つ子の魂百までと言って、作家として成功しても内気な性格は相変わらずのままだったから今の今まで誰にも打ち明けることはできなかったけれど、この物語の語り部としてやはり明らかにしておかなければならないことが一つある。


 僕は腐ってしまった。


 ついつい目先の欲に目がくらみ、書きたくもないことを書いているほどに。


 文学に愚直ながらもしっかりとした信念を持って向き合っていた芥山虎之介は、もはやこの世のどこにもおらず、今ではその名を騙るまがい物でしかない──これを作家として腐ってしまったと形容する以外になんと言えようか。


 されども皮肉なことに、僕が最も嫌っていた中身のない文章を書けば書くほど、そいつの名前は売れていく。


「……苦しい」


 道すがら、無意識にそんなことを溢してしまう。


 どうして芥川龍之介をはじめとする数多くの文豪たちが自殺を図ったのか、前までの浅学非才な僕には到底理解できなかった。


 しかし、今なら彼らの当時の胸中が痛いほどよくわかる。


 自分の書きたいものが書けないというのは、それくらい辛いことなのだ。


 あの頃は金はなかったが、間違いなく充実はしていた。


 創作活動に真摯に向き合う自分が、誇らしくもあった。


 今となってはネタ探しを目的とした探索もめっきり無くなってしまったし、そもそも担当からの案をちょいと肉付けして文字に起こしているだけの僕にネタなど必要ないのだけれど。


「そういえば前に、ネタ探しを兼ねて入った店があったな」


 確か、名前は『怪々かいかい堂』。


 実を言うと、僕はあれから一度だけあの店に足を運んだことがあるのだが、どういうわけか店があったところは完全にもぬけの殻となっていて、ついちょっと前まで営業していたはずなのに、その痕跡すらなかったのだから度肝を抜かれたものだ。


 売っている商品もさることながら、店主があまりにも印象強かったせいで忘れもしない。


 そこで僕は、腐猿ふえんの腰掛という怪しげなものを買わされた。


 店主はそれをモノノ怪だと言っていたが、その実態はただの原木であり、別段おかしな点は見当たらない。


 しかしよくよく考えてみてみれば、本当に店主の言う通り、腐猿の腰掛は尋常ならざる力を宿したモノノ怪なのかもしれないと、時々思うことがある。


 結果論的な推測になってしまうが、あれを購入したあたりから僕の身の回りは変わってしまった気がする──それは、芥山虎之介とて例外ではなかった。


 ここから先は、苦し紛れの言い訳に過ぎないと思って聞いてもらっても構わないが、僭越ながらモノノ怪に多少は理解があると思う不肖僕の腐猿の腰掛に対する見解を聞いてほしい。


そもそも猿の腰掛とは木質で多年生となるキノコ、及び原木ことを指し、本来ならばサルノコシカケと書いた方が正しい。


 そしてこのサルノコシカケには様々な種類のキノコが生えるのだが、ポイントはそのキノコ達のどれもが木材腐朽菌で、立ち木に侵入すればたちまち心材や辺材を腐らせてしまうという点にある。


 要するに腐猿の腰掛が本当にモノノ怪だとすれば、その正体は、サルノコシカケでいうところの立ち木に当たる持ち主本人を腐らせてしまうものではないだろうか。


 無論、これはあくまで僕のひとりよがりな推測に過ぎず、どれだけここで議論をしたところで机上の空論の域を出ることはない。


 けれども怪々堂のその後の足取りが全くと言っていいほど掴めず、もはやこうなってしまった以上、真相が明らかになることもないだろうが。


「──って、あれ? もしかしてこれ、イケるんじゃないか」


 閃いてしまった。


 腐猿の腰掛で変わってしまった僕の半生を題として話を書けば、芥山虎之介が再び蘇ってくるのではないかと。


 幸いなことに今は生活に余裕があり、多少は冒険することもできる。


 もしこの策略が夢半ばに頓挫したとしても損害は少なく、幾ばくかの時間を無駄にするだけの悪くない賭けだ。


 やってみる価値はある。


「そうと決まれば善は急げ、だな」


 思い立った僕は足早に家に帰り、すぐさま筆をとった。


 創作意欲が駆り立てられ、久しぶりに胸が高鳴る。


 楽しい、やはり物書きはこうでなければいけない──さて、もし僕の人生に起承転結があるとするならば、今はきっと転のパートに差し掛かったところだろう。


 これから先、芥山虎之介はどう転ぶのだろうか。


 猿も木から落ちるという諺にあやかって言うならば、もしかすると更なる転落人生が待ち受けているのかもしれない。


 けれどもやはり、それは神のみぞ知ることであって誰にもわからない。


 だから気になる人のために、いつかまた別の物語で語ろうと思う──きっとその物語は、間違いなく、芥山虎之介きっての自信作になるだろう。

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作家としての僕は腐った だるぉ @daruO

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