002:疲れていたから憑かれたのだ


 かの文豪、芥川龍之介に憧れていた。


 だから少しでも彼に近づけるようにと思いを込め、烏滸がましいことこの上ないけれど、物書きとしての自分に芥山あくたやま虎之介とらのすけというペンネームを名付けた。


 けれども芥山虎之介が手がけた小説が世の人の目に触れるのは、僕が知る限り後にも先にも一度きりのこと──もう随分と昔の話だ。


「天才の再来。奇才にして鬼才、芥山虎之介」


 いつまでも過去の栄光にすがっているように思われるのも癪なので、あまり自ら言いたくはないけれど、幸運にも大手出版社が企画した新人賞を受賞した頃の僕は、そのように大層な呼び名をされていた。


 どうやら芥川龍之介に影響された昔ながらの文体や作風が、たまたま受けたらしい。


 しかし、それはただ単に物珍しかったから審査員たちの目に止まっただけであり、決して僕の作品の中身自体が評価されたわけではなかった。


 要するに、イロモノ枠とでも言ったところか。


 ところがその事実に気づけるほど当時の僕は賢くなく達観もしていなかったので、気づけばいつのまにか天狗となり、ナマクラ刀程度の武器にもならないこだわりも捨てられずにいる自称作家のフリーターとなってしまう。


「まあ、書きたいことを書きたいように書くのが作家の本分だからな」


 世間の声に流されて書いたものなど、僕の作品とは呼べない。


 やはり担当の人になんと言われようがこだわりを曲げるつもりは毛頭ないし、売れたいからの一心でそれを曲げてしまえば僕の中の芥山虎之介は死んでしまうだろう。


 そりゃあ現実的に考えて、健やかな日々を送るのにお金が大事なのは重々に承知しているけれど、金銭を天秤にかけてそれより重たいものがあるのだって事実なのだから。


「それにこんなものに無駄金を使ってる時点で、まだそんなに慌てることもないだろうよ」


 僕はふと、先日とある古物商にて買わされてしまった枯れ木の方に目をやる。


 それは本当になんの変哲も無い枯れ木で、そこら辺の雑木林に落ちていてもおかしくない。


 強いて言うなら白いキノコがひとつ生えているくらいだが、だから何だという話だ──こんなものに3000円も使ってしまったのだから、いくら後悔をしてもしきれない。


「えーと、確か腐猿ふえんの腰掛って言ったか?」


 猿の腰掛という名前から察するにキノコの原木で間違いないのだろうが、店主の老人もとい仙人はモノノ怪と言っていた。


 モノノ怪──俄かに信じがたくあったけれど、その類の存在を主題とした物語を書いている僕としては真相を調べずにはいられず、インターネットや家にあった文献を漁ってみたりもした。


 一度熱が入ると夢中になって周りが見えなくなってしまう性分が災いし、結果、求めていた情報はろくに得られず丸一日を費やしてしまった。


 しかし、収穫が全くなかったわけではない。


「ほう、なかなか興味深いサイトじゃあないか」


 僕が食い入るように閲覧しているページは、誰でも気軽に自作の小説を投稿できるというのが売りの小説投稿サイトだった。


 今まで紙の本としか触れ合ってこなかったから知らなかったが、最近はこうして誰もが自身の作品を世に発信できるようになったらしい。


 便利な時代になったものだ。


「どれ、時間もあることだし構想中の短編でも投稿してみるか」


 慣れないタイピングで文章を打ち込んでいく。


 この作品の題は『疲れていたから憑かれたのだ』──それは、僕が創作したとあるモノノ怪に魅せられた一人の人間が堕落していく様をテーマとした話だった。


 どちらかと言えば芥川龍之介ではなく太宰治の『人間失格』に影響されたものになってしまったが、この話の主人公は太宰治の大庭葉蔵ほど出来た人物ではない。


 そもそも彼ほどプレイボーイでもなければ自分に厳しいわけでもなく、物語の中で悲惨な目にあう主人公は、悲しいことに生みの親である僕に似ていた。


「──ふう。あらかた書き上げたはいいものの、この歳になると画面を長時間見るだけで疲労が溜まってしまうな」


 型落ちのパソコンと向き合って数時間、このサイト上では処女作となる『疲れていたから憑かれたのだ』が完成した。


 拙いタイピング技術のせいで速筆の僕としては思ったより時間がかかってしまったが、サイトの機能のおかげで使い勝手は申し分ない。


 あとは投稿するだけ。


「その前に、どんな作品が人気なのか見てみるか」


 別に他の人を参考にするつもりではないけれど、どんな作品が大衆に受けているのかは単純に気になってしまう。


 いくらイロモノ枠で新人賞を獲得したからと言って、その全てが運によるものでもないだろうし、物書きとして最低限の実力が僕に備わってないわけでもなかろう。


 そんな僕の作品が人々の心を掴むことができないヒントが、もしかしたら見つかるかもしれない──そう思ったから。


 そして僕は愕然することになる。


「……こんなものが文学と呼べるのか?」


 そこには僕の知る文学には程遠いもので溢れかえっていた。


 決してこれらを卑下するわけではないけれど、読み終えても心が充足感で満たされることはなく、含蓄がなければ教訓もない空っぽの内容ばかり。


 まるで中身のない紙袋のよう。


 しかもそのどれもが似通ったような作風で、独創性やオリジナリティーを全く感じさせない──まさに、猿真似。


 彼らには作品へのプライドなんてのは微塵もなく、自分を持っていないのだろうかとさえ思ってしまう。


 文学と芸術は同じだと思っていたが、この考えはもう古いのだろうか?


 もちろん玉石混交で、中にはそれなりのレベルのものもあった。


 しかしどう贔屓目に評価をしても、やはりかの文豪たちの足元にすら及ばない。


 にも関わらず、このサイトからデビューして書籍化したものも数多くあるのだというのだから驚き呆れてしまう。


 偉大な先人たちが築き上げた文学という芸術をここまで衰退させた世間に対し、僕は怒りに近い感情を覚えた。


「だがこりゃあ、考え方によってはチャンスなのかもしれないな」


 言葉が悪くなってしまうけれど、このサイトのレベルは低い。


 そんな有象無象で溢れかえる作品群の中に、曲がりなりにも新人賞を受賞した過去を持つ僕が身を投じたらどうなるだろうか──それはまさに、一石を投じると言ってもいいかもしれない。


 素人相手に少し大人げないかもしれないが、この状況を利用しない手はないだろう。


 そうと決まれば、善は急げ──僕は『疲れていたから憑かれたのだ』を投稿した。

 

 しばらくして、ピロンという子気味の良い通知音が鳴る。


 僕の作品を読んだ読者から感想が送られてきたのだ。 


「お、早速か」


 発信が一方通行である実際の書籍とは違い、こうして読み手の反応がありのままに見れるのもサイトならではの強みだ。


 きっとこの作品に感銘を受けたという旨のものに違いないと高を括っていた僕は、意気揚々と通知欄をクリックするが、そのどこまでも高く伸びた鼻はまんまとへし折られることになる。


 内容は作品への批評、及び僕のこれまでの作家人生を否定する酷いものであった──特に、自己満足でしかないという一言がどんな鋭利な刃物よりも胸を抉った。


 つまり、「書きたいことを書きたいように書く」という時代錯誤甚だしい僕の考えは単なる傲慢でしかなく、誰もそれを求めてはいない。


 文学は芸術である前に文化であり、娯楽だ。


 大衆に受け入れられなければ、それは成立しない。


 非情にもスクリーンに映し出されたその文章は理にかなっていて、正鵠を射ていた。


 正論なだけに、反論の余地もない。


 僕の中で何かが崩れた音がした。


 受賞以来、鳴かず飛ばずの作家人生を歩んできた半生の中で、気づきかけてはいたけれども認めたくなかった現実と直面する。


 今までは僕の作品を理解しない世間が間違っていると誤魔化してきたが、どうやらそのメッキは完全に剥がれ落ちてしまったらしい。


 揺らいでしまう。


 芥山虎之介としてのプライドが、こだわりが、信念が。


「……わかったよ」


 これまでにも似たような経験は何度でもしてきた。


 けれどもその度に雑草根性を燃やし、僕は僕の道を進んできたはずだ──それなのに、今日ばかりはいつもの自分ではないようで苦しい。


 もしかすると僕は知らず知らずに精神的に追い詰められ、参っていたのかもしれない。


 のだろうか。


 腐猿の腰掛という、モノノ怪に。


「間違っていたのは、僕の方だったんだな」


 この日、芥山虎之介は死んだ。


 僕が殺したのだ。

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