作家としての僕は腐った

だるぉ

001:腐猿の腰掛


 小説のネタになるかもしれない。


 あの日、どうして僕があんな怪しげな店に入ってしまったのか──その理由をひとことで説明するなら冒頭の一行に尽きる。


「……怪々かいかい堂?」


 今日も今日とて、自分的にはなかなかの出来栄えであった作品を意気揚々と出版社に持ち込んだはいいものの、やはり、というか例のごとく、編集の方からは期待していた反応がもらえずに落胆して帰路に着いた僕が見つけたのは、かくも怪しき雰囲気を放つ古物商だった。


 はて、こんなお店あったっけ?


 何度も通ったことのある道だから、今まで見落としてたはずなんてないのだが。


 そんなことを思いながら、おっかなびっくり暖簾をくぐると、


「いらっしゃい、お若いの」


 奥から一人の老人が僕を出迎えた。


「ど、どうも」


「いやあ、久しぶりのお客様じゃて。店の外から覗いてくる人は時々おるんじゃが、こうして中まで入ってきてくるのは40年ぶりくらいかの」


「はは……」


 ボケているのだろうか。


 店主と思しきこの老人は見るからにお年を召しており、もはや性別の見分けもつかない具合に顔もシワだらけ──これだけのご老体であれば、精神はとっくに植物の域だろう。


 ともかく、店構えに負けずと劣らずの不気味さを醸し出す老人に対して僕が抱いたファーストインプレッッションと言えばそんなところだ。


「うちは他の店では決して扱っていない珍品の数々が自慢でね、ここには奇々怪界なもので溢れている。ぜひ、ごゆるりと見てくだされ」


 言われるが通り、ぐるっと店内を見渡してみる。


 瓶詰めのネズミや紫色のりんご、渦巻き状になった腕の模型や五本足の人形などエトセトラ──老人が言うように、確かにそこには今までに見たことのない品々で溢れかえっていた。


 内気な性格柄、冷やかしと思われたくなかった僕は目の前のものを恐る恐る手に取り、さも興味があるように熱心に見入っては棚に戻すの繰り返し。


 背中に張り付くような老人の視線がなんとも気持ち悪かったが、店内には二人しかいないせいでそそくさと退出するのも気まずく、生きた心地のしない時間だけがいたずらに過ぎていく。


「それが気になるのかね、お若いの」


 これを拝見するのを最後に、もう店を出ようと決めた瞬間だった。


 棚のすみに埃をかぶって忘れられているように置かれた枯れ木を手に取ると、老人に声をかけられた。


 あまりに不意を突かれてしまったので、危うく落としそうになる。


「それは腐猿ふえんの腰掛と言ってな、うちの数ある珍品の中でもひときわ摩訶不思議なものじゃよ。それを見つけるとは、お前さんもなかなかお目が高いの」


 褒められた。


 この枯れ木を手に取ったのはただの偶然であり、これの持つ価値を見抜いたわけでは断じてないのだけれども、最近めっきり人から褒められる機会を失った僕としては、存外悪い気もしない。


 だから調子に乗ってしまい、口を開いてしまう。


「これは一体、何に使うものなんですか?」


 すると老人は梅干しのようにしわくちゃな口元をニンマリと緩め、ゆっくりと立ち上がった。


 今にも朽ち果てそうな全身をしていながら、杖は使わないらしい。


「それを説明するには、儂から聞かねばならんことがあるのう──時にお前さんよ、モノノを信じるかね?」


「モノノ怪、ですか」


 妖怪や怪異、あやかしなどを題材とした小説を書く僕が知らないはずもない。


 今日持ち込んだ作品だってそれらをテーマとしたものだし、もはや聴き慣れた単語ですらある。


 しかし、いくら馴染み深いと言っても信じるかどうかは別次元だ。


「質問の意図が汲めませんが……」


「悩む必要もなかろう。信じているか否かの二択じゃろうて」


 信じません、とここで答えるほど愚かな僕ではなかった。


 正直に言えば、物書きとしての知的好奇心ゆえなのだが。


「そうじゃ、モノノ怪は実在する。儂らがこうして息をし生きる間に、彼らもまた、どこかで息をし生きているんじゃよ」


 モノノ怪に生きるという表現は、いささかズレているかもしれんがの。


 普通の感性を持つ人なら苦笑いしか浮かべられないようなジョークで自分自身が笑いながら、老人は続ける。


「本題に戻ろうか。ズバリ、腐猿の腰掛は──」


 ゴクリ。


 老人が放つ妙な雰囲気に当てられて、僕は思わず息を飲む。


腐猿ふえんというモノノ怪を封じ込めたものじゃよ」


 ですよね。


 内容の突拍子さはさておき、話の流れ的には誰しもがある程度予測できたことだろう。


 かくいう僕もその一人であり、驚きのリアクションを欲する老人の視線がちょっと刺さった。


「腐猿とは、どのようなモノノ怪なんですか?」


「そりゃあ、答えられん質問じゃ。使ってからのお楽しみとしか言えぬ」


「……買えってことですか」


 冗談じゃない。


 一体いくらなのかは知らないが、新人賞を受賞したあの頃ならまだしも、今ではその日暮らしの貧乏作家になり下がった僕の懐事情にそのような余裕はないのだから。


「この世は巡り合わせで回っておる。今宵、お前さんがうちに訪れたのも理由があってのことじゃろうし、腐猿の腰掛けを手に取ったのだってちゃんと理由はあるんじゃよ」


「どんな理由ですか」


「それは神のみぞ知ることじゃ」


「あいにく僕は無神論者なので」


「儂もじゃよ」


「…………」


 どこまでも食えない老人だ。


 この店主のことを老人と容易に形容したことを、僕は今頃になって後悔した。


 この店主には老人という二文字よりも仙人という二文字の方がしっくりくる──もし僕がこの物語の書き手ならば、冒頭に戻って書き直したいくらいに。


 それくらい、この老人は流砂がごとく掴みどころがない。

 

「最近、仕事がうまく行ってないんじゃろう?」


 なんでそれを──!


 核心を言い当てられ、ドキッとした。


「いやなに、驚くことはない。だいたいうちに足を運ぶ客は何かしらの悩みを抱えておる。お前さんくらいの歳ならば、それはだいたい仕事のことじゃろうて」


 バーナム効果とわかっていても、やはりこの老人自体が尋常ならざる力を持っているのではないか疑ってしまう。


 おおっと、いけない。


 これではまんまと相手のペースに乗せられているだけだ。


「そんなに警戒せんでもよろしかろうよ、お若いの。別にふっかけようとしているわけじゃない。儂はあくまでお前さんの可能性を広げてやろうとしているだけじゃ」


「可能性?」


「ええ、そうじゃとも。使い方次第ではあるが、この腐猿の腰掛は、きっとお前さんの役に立つじゃろう。お前さんの──物書きの仕事にな」


「──!?」


 本当に何者なんだ、この老人は。


 僕はここへ来てから、何一つとして自分のことを言っていないのに──こいつはどこまで知っている?


「いいのう、その表情。これだから長生きはするもんじゃ。亀の甲より年の功ってな。かの将軍、徳川家康もそんな顔をしておったかのう」


「……いくらですか?」


「お、そうかいそうかい、買う決心がついたのかい」


 自己保身のためにあらかじめ言わせてもらうが、決して僕は、腐猿の腰掛に魅力を感じたり、老人の口車に乗せられて買おうと思ったわけではない。


 ただ、これ以上いると精神が蝕まれてしまいそうなこの状況から逃れるべく、仕方なしに購入を決めただけだ。


 所詮、呆けた老いぼれが余生の暇つぶしがてら半ば趣味で営んでいる店だろう。


 たかが枯れ木、僕の生活を脅かすほどの値がするとも思えまい。


「300万ポッキリじゃ」


 僕の生活は危ぶまれた。


 嗜好品はもちろんのこと、ライフラインから根こそぎ断たれる具合に。


「もっと現実的な値段にしてください!」


「じゃあ、3000円で」


 大手家電量販店も驚愕の値引き額である。


 理由は、


「説明書がないから」


 とのことだった。

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