第88話 WILL⇐

※今回から過去編に入ります。


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 時は二年前に遡る。


「あ、スキンと装飾でお金を使い切ってしまった。ははっ、果物ナイフしかないや……まずは早くお金を貯めないとな」


 ゲームのチュートリアルを終えたばかりの俺は、胸を躍らせて始まりの街を出る。



 ちなみにここ──始まりの街の名はタキ。


 街と言っても、人気のない古びた所。


 そこからまず俺が目指したのは、距離的に一番近いベルンゲンという大都市だった。


(俺はまだ、このゲームの事を全然分かっていない。最初はやはり、手堅く近くの街から進んで情報を集めた方がいいかな)


 酒場のマスターによると、そこはゲームの出入口から近い事もあり、人の往来が激しく各都市から騎士や商人がわんさか集まってくる所らしい。


(だったら、新人用の依頼クエストも沢山あるはず)


 青空の下。俺はそんな事を考えながら、枯れかけの芝生に敷かれた、人のいないごくごく平凡な一本道をひたすらに歩いていた。






「……?」


 その道をしばらく歩いた夕暮れ時。少し先の道端に何かの黒っぽい影が見えてきた。



 そして、近づくにつれてそれははっきりしてきて、最終的に見えたのは岩の後ろから伸びた二本の足。


(ん? ………………人だ!)


 俺は慌てて駆けつけた。


 うつ伏せに倒れて動かない人物。頭は黒いマントに隠されてよく見えなかったが、その服装や容貌からだいたい三十代前半の男性といった所だろうか。


 見渡してみたが特に怪我をしているわけでもなければ、もちろん出血しているわけでもない。


 だが、苦しそうだった。彼はヒューヒューと肺を鳴らし、荒い呼吸を何度も繰り返す。そして、右手を下敷きに肋を押さえる形で倒れ込んだその男性の肩や胸は、激しく上下に動かされていた。


 初めは、もう既に依頼クエストか何かが始まっているのかとすら考えたが、そんな感じではなさそうだ。


(とにかく、状況をしっかり確認しないとこの場から離れることは出来ない)


 ここがゲームの中だという事もすっかり忘れて、俺はその人の体を起き上がらせようとその脇腹に手をかけた。


 その時。



──パシッ


「触るな!」


 冷ややかな怒気を含んで上げられたその声と共に、俺の手は軽く跳ね返される。


「……っ!」


 そして、自力で起き上がる彼の黒いマントがパサリと地面に落ちた時、俺の背筋は凍りついた。


 彼が覗かせたのは、血で染めたような赤黒い髪。少し目にかかり耳を隠す比較的長めのその髪は、ところどころ跳ねて太陽光にギラギラとしてはいるものの、なんとなく清潔感すら感じられる魅惑的なものだった。


 それと、髪よりももっと強く輝きを放っている透き通るように真っ赤な瞳。血の海でも眺めるかごとく、俺はしばらくそこから目が離せないでいた。


 そんな目元以外を全て、黒いマスクのようなもので覆い隠したその男性。もしここが現実世界の日本なら職務質問にあっていてもおかしく無いくらいだ。だが、顔立ちが西洋風だからだろうか、その出で立ちはどこか高貴で確かに惹き付けられる何かがあった。



──ザッ


「……っぐ」


 俺を無視して立ち上がろうとしたその男性の体が、グラついて大きく前へ傾く。


「ちょっ、大丈──」


 俺は咄嗟にまた手を伸ばした。


「っ! 触るなと……言ったはずだ」


(な、なんでそんなに)


 鋭く睨みつけられたが、その言葉にさっき程の圧力はない。岩に手を置き息を切らしながら跪くその姿を、俺は心配で黙って見ていられず、また怒られるのは承知の上で、彼の腕を自分の首の後ろに回した。


「なっ! …………っ、ふぅ」


 男性は何かを言いかけたが、視界が揺れているのか額に手の甲を当ててしまい、もう俺に抵抗する元気はなさそうだ。


(それにしても──)


 首に触れる腕が熱い。


「うぅ……」


 俺は脱いでおいた軍服のジャケットを地面に広げ、彼を支えながらもう一度、今度は仰向けに寝かせた。しばらくして眠りについたようだったが、その間もぐっと強く目を瞑ってうなされている。


(この人は騎士……だよな?)


 彼の羽織っていた黒いマントを、その身体にかけながら俺は考える。


(だとしたら、おかしい。なんでこんなに倒れ込むほど、苦しそうに……)


 チュートリアルでは、攻撃を喰らった際の痛みは長くともほんの数秒だと──




「おい。……名は何という」


 突然声をかけられて、俺はびっくりして思わず後ずさり。


「……」


 答えられずにいる沈黙の間、じーっと真っ直ぐに向けられた視線がさらに圧をかけてきた。


「ユーザー名……なら、『ハク』と」


 恐る恐る口にした。すると、その男性は横になったまま体を少しだけ動かして、かけられた黒いマントをなぜか、脇に跪く俺の両膝に伸ばしてきた。


「……ハク、かけておけ。ここの夜風は意外と冷える」


 気づけば完全に日が暮れていた。


 思いがけない言葉に表情が固まる。その時までは、正直この人がそんな優しい人には見えていなかった。


「それと……助かった」


 夜闇にマスクでは、動かされた口元は見えない。だが、籠った低い声で確かに彼はそう言った。


(……)


 そして、俺を真摯に見つめたまま続ける。


「だが、心配する必要はない。大人しくしていればじきに治まる。だから……悪い事は言わん。これ以上、私に関わらないでくれないか。良い事なんて……何もない」


 出会った時よりだいぶ整えられた呼吸。首を振り言葉を紡ぐその姿は、最初の印象より遥かに誠実なものに見受けられる。


 俺がこのゲームに入って初めての他ユーザーとの出会い。ゲームでの交流とはもっと楽しいものかと思ったが、意外とそうでも無いらしい。


 この男性に何があったのかは分からないし、出会ったばかりの見ず知らずの人にここまで釘を刺されて、これ以上干渉するのも変な話だ。


──が、


(なんか……放っておけない)


 それでも俺は絶対に、彼を置き去りにしていく事なんて出来なかったべきだった








        ……To be continued……

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次回:第88話 FATE⇐

✱最終改稿日:2020/10/24

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