第11話 ふたり

 車は30分ほど走ったとこにある、ホテルに着いた。入口付近のロータリーに車を入れると、玄関に待機していたホテルマンがすかさず寄ってきた。


「ご宿泊ですか? お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「本田はるかです。1107号室に宿泊中です」


 はるかは、助手席の扉を開け外に出た。


「おじさん、ちょっとここで待ってて」


 はるかはそう言って、ホテルマンと一緒に玄関の自動ドアの向こうへ消えていった。俺は、ロータリーに居た整備員の誘導で、入口正面からは少し外れた仮の駐車スペースに車を移動させた。


「ここでしばらくお待ちください」


「どうも」


 はるかはここで宿泊してるのか。どうしてホテルなんかに居るのだろうか。


 それにしても立派なホテルだ。18歳が一人で宿泊するようなホテルではない。タクシーはひっきりなしにロータリーに入ってくる。その一台一台を玄関で待機しているホテルマンが代わる代わる出迎える。


 タクシーから降りてくる人は皆、品のある人ばかりだ。今タクシーを降りた男性が身に着けているスーツは、遠くから見ても俺が着ているそれとはまるで違う。


 車がセダンで良かったと素直に思う。これが軽自動車でこんなホテルに来ていたら、俺は今すぐアクセルを踏み逃げ出してしまうだろう。それぐらい場違いな空気が車の中に居ても感じる。ここは、上流階級の人が集まる場所だ。そんなホテルに、はるかがなぜ……。




 しばらくすると、はるかがロータリーに現れた。そのすぐ後ろには、先ほどとは別のホテルマンが大きめのボストンバッグを持って、こちらに近づいてきた。


 俺は車から降りて、反対側に回り後部座席と助手席のドアを開けた。ホテルマンは手に持っていたボストンバッグを後部座席に置き、そっとドアを閉めた。


「本田様、ご利用ありがとうございました。気を付けていってらっしゃいませ」


「ありがとう」


 はるかは素っ気なく言葉を返し、助手席のドアを閉めた。俺は代わりにホテルマンに一礼をして、運転席側に回った。


「おじさん、ありがとう」


「どういたしまして」


 ホテルマンが車の隣で、俺たちの帰宅を見送るためにずっと立っていた。いつまでも待たせるわけにはいかないと思い、行先を彼女に確認する前に車を走らせた。ロータリーを出る直前、バックミラーを見ると、まだ頭を深く下げたままのホテルマンの姿が見えた。


「どこか他に行くところはあるの?」


 彼女は首を横に振った。


「もう日付が変わりそうだ。明日も仕事だし、家に帰ってもいいかな?」


 今度は、首を縦に振った。

 そしてスマホをポケットから取り出すと、しばらく黙って画面を触っていた。


「あのホテルに一人で泊まってたの?」


「うん」


「どうして君みたいな未成年が、あんなホテルに?」


「ホテル泊まるのって、年齢制限あったっけ?」


「それはないけど」


 なら問題ないでしょ、という空気を出される。そういう問題ではない。年齢も若いはるかが、どうしてあんなラグジュアリーな高価なホテルに宿泊できるのかということだ。


「俺は結局のところ、はるかのことを何も知らない。ただの家出少女にしか見えない」


「家出か……そうかもしれないね」


 大きな川にまたがる橋の上を車が走行しはじめると、彼女は車の窓を開けた。十月の深夜の風は冷たい。橋の上で吹き荒れる風は、肌に当たると少し痛いぐらいに冷たくて強い。


「話すよ、私のこと」


「え?」


 風の音であまり聞き取れない。運転席側で、助手席の窓を操作し閉めようとすると、彼女がそれを拒んだ。


「やめてよ、風に当たりたいのに」


「でも、上手く声が聞き取れない」


「話すのは家に着いてから、ビールでも飲みながらにしましょ」


「はるか、お前は18歳だろ」


「この前は飲ませたくせに」


 彼女は今日初めて笑顔を見せた。右の頬にだけえくぼができるその笑顔は、彼女の表情をさらに幼く見せる。その笑顔の奥に、彼女は何を抱えて生きているのだろうか。


 俺は助手席の彼女の右太ももの上に左手を置くと、彼女はその手を右手で握り返してきた。


「おじさんと居ると落ち着く」


 彼女のその言葉は、風の音にかき消されることなく、俺の耳にしっかりと届いた。




 久しぶりに再会した彼女は二カ月前と何も変わらない。握る手のひらは小さくて、笑った顔は幼くて、思わず虜になった甘い香水の匂いも変わらずに身にまとっている。


 俺はこの二カ月で何か変わっただろうか、きっとふたりとも何一つ変わっていない。お互いそれぞれの傷を抱えて生きて、そしてその傷をふたりで舐め合う。


 きっと、そういう関係なのだろうと思う。



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