第7話 まばたき

 母のお墓がある墓地についたのは、22時ごろだった。彼女は車の中では眠っていたため、特に会話をすることもなかった。


 少し階段を上った先にある墓石の前で俺は足を止めた。


 彼女が胡蝶蘭を抱えて階段を上がってくれた。それを、ありがとうと言って受け取り、墓石の前に花を添える。


 胡蝶蘭はこういうところに生けるものではない。そんなことを思いながらも、何もないよりはいいと肯定する。


「母さん、今年は来るのが遅くなったし、まともに花も用意できなかった、ごめんよ」


 俺は一本の胡蝶蘭を生けた。残りは彼女にそのまま持たせた。


「私、先に車戻ってるね」


「うん、ありがとう」


 俺は彼女に車の鍵を渡そうとしたが、それはしなかった。


「はるかもここに居て」


「え、でも」


「暗いし危ない。こんな時間に未成年を一人にはできない」



 少し離れたところで待ってると彼女は言って、俺から数歩離れたところで彼女は足を止めた。


 俺は墓石の前に腰を下ろして、あぐらをかいて座る。両手を合わせて、母と少し会話をした。昨晩、未成年と身体を交えたことも伝えた。もちろん返事は聞こえないが、きっと呆れていることだろう。


 いつも優しく俺を肯定してくれるは母が好きだった。そんな母のためにも、亡くなる前に結婚したかった、出来るはずだった。逝くのは、その後にしてほしかったな。ここに来るたびそのことを悔やむ。そしていつも、何度も母に謝る。




 10分ほど会話をして立ち上がり彼女のほうを見ると、彼女はじっとしたままこちらを見ていた。近づくと、ものすごく不安そうな表情をしていた。


「どうしたの? 幽霊でも見えた?」


「おじさん、すごく辛そう」


「え?」


「大丈夫?」


 大丈夫かと言われると大丈夫だが、大丈夫ではないと言っていいのならば、大丈夫ではないと言いたい。俺はいつもここに来ると昔のことを思い出す。彼女はそんな俺の雰囲気を感じ取っているようだった。この子は人の痛みが分かる子なのだろうか。


「はるかは優しいんだね」


「優しいとは少し違うかな、ただ――」


「ただ?」


「ほっとけないんだよね。何か辛そうな人見ると、私も辛くなってくる」


「ごめんね、こんなところ連れて来ちゃって」


 彼女は泣きそうな目をして首を横に振った。そして、手に持っていた胡蝶蘭の束を地面に落とし、俺をそっと抱き寄せた。


 身長差がある彼女の顔は俺の胸に収まる。俺の腰に回された彼女の腕はぎゅっと力が入った。


 私は彼女の頭をそっと撫でた。相変わらず肌触りのいい髪質をしている。艶があり、さらさらとしていた。


「はるか? どうしたの?」


「元気出して」


「元気だよ」


「嘘だよ、じゃあ目を見て大丈夫って言ってよ」


 彼女は首だけを上に向けて、真下から見上げてくる。上目遣いのあまりの可愛さにどきっとして、思わず目を逸らしてしまった。当然、視線を外して言った大丈夫を彼女は認めてくれなかった。


「目、逸らした」


「まいったな」



 彼女は俺の身体から離れて、胡蝶蘭の束を拾った。そして再び俺と目を合わせてくる。


「どうすれば、おじさんは元気が出るの?」


「どういうこと?」


「だから、私は何をすればおじさんを癒してあげられるの?」


「・・・・・・」


「黙ってないで答えて」


 彼女の視線は本気だった。ふざけた雰囲気などまったく感じられない。どうして、俺にそこまで真剣になる。ただのおじさんじゃないか。


 初めて会ったのも昨日だ、長い付き合いがあるわけではない。思い入れなど何もないはずだ。ますます彼女が分からない。一体何がしたいのか、俺をどうしたいのか。


「どうして、どうして君は俺にそこまでしようとする」


「昨日、助けてもらったからだよ」


「それだけ?」


「昨日、おじさんの部屋に行かなかったら、私は死んでた。本気でそうするつもりだった」


「大げさだよ」


「だから、今日だけはおじさんの為になる。私も力になりたい」


「じゃぁ俺が今日、死にたいって言ったら?」


「させない、絶対にさせない」



 異様な空気が墓地に漂う。


 昨日死のうとした女子高生と今死のうとしている俺、臭いを嗅ぎつけた死神が集まってきそうな薄気味悪さが、夜の墓地を染めていく。


「とりあえず帰ろう。車の中で話してあげるよ。俺が今、ここで心痛めている理由を。本当は、はるかの話も聞きたいところだけど、それははるかが話したくなったときでいい」


「おじさん、さっきよりも元気ない顔してるよ」


「気のせいだよ」


 俺たちは墓地の階段を下りて、駐車場に向かった。そして車に乗る直前に彼女はまた口を開いた。


「別に死にたくなったら、心中してもいいんだよ」


「え?」


「そのときは、私も一緒に死ぬから」


「そんなことできないよ、はるかを死なせるわけにはいかない」


「じゃぁ安全運転でよろしくお願いします」


 彼女は笑顔をでそう言った。久しぶりに見た彼女のその表情に少しほっとした。


 エンジンをかけて、住んでいるアパートに向かって車を走らせた。そして、彼女に自分の過去のことについて話し始めた。




「母が亡くなったのは、3年前で俺が32歳になる年だった」


「うん」


「今はあんなゴミが溢れた部屋に住んでるけど、母が亡くなる一年前まで、俺には婚約者が居たんだよ」


「うん」


 彼女は簡単な相槌だけで、彼女の方から何かを聞いてくることはなかった。


「でも、結婚できなかった――。そこから人生が大きく変わってしまったよ」



 助手席に座る彼女の右手が、俺の左太ももの上にそっと置かれた。


 その手のひらは暖かくて、そのぬくもりは俺の痛む心を癒すように体の内側へ染み込んでくる。俺はその彼女の右手にそっと左手を添えた。


「握ってていい?」


「うん」


 俺は彼女の右手を握った。彼女は小さな手のひらで、ぎゅっと握り返してくれた。どうしてだろう、この子のぬくもりは、母から感じていたぬくもりに近いものを感じる。母がまるで隣にいるような、母が帰ってきたような。


 だめだ、今日はいつも以上に弱っている。女子高生に母の姿を重ねてしまうとは。


 涙が出そうになるまぶたを全力で開いた。今、まばたきをすればきっと、涙の粒がこぼれてしまうだろう。


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