第6話 会いたい

 部屋が片付いたのは、20時を過ぎたころだった。アパートの3階から1階のゴミ捨て場まで、両手にゴミを抱えて階段を下る。そして部屋がある3階まで上り、また下りるを繰り返す。


 汗だくになったとき、あることを思い出した。


 今日は、母の――


 こんな時間に開いている花屋など、思い当たる範囲ではない。いつも母の命日にはお墓に花を添えているが、無心に掃除をしていたため、忘れていた。


 今からでも、何とかなるかな。せめて、話しぐらいしに行くか。

 そう思い、汗のかいたTシャツを脱ぎ捨てて新しいTシャツに袖を通した。そのまま部屋を出そうになったが、先ほど脱ぎ捨てたTシャツを拾い、洗濯機の中に入れた。


「こうやって脱ぎ捨てるから、いつも汚くなるのか」


 俺は、綺麗になった部屋を少し眺めてから、玄関の外へ出た。



 足早に階段を下り、駐車場にある車に向かう途中、一人の女の子が視界に入った。


「は、はるか?」


「どうも、おじさん」


「まさか俺の家に」


「そうだよ、会いたかったでしょ?」


「駄目だ、もうお前は入れないぞ」


「何でよ」


「それに、それはどうした」


 彼女は数十本もの胡蝶蘭を抱えていた。それは両手で何とか抱えきれる量で、それは小柄な彼女の体格をより強調させる。


「いただきもの」


「そんな立派なもの誰からもらえるんだよ。制服着ているような女子高生がどうやったら」


「みんな私が好きなんじゃない?」


 俺の言葉を遮るように彼女はそう言った。そのときの表情は氷のように冷たかった。見たこともない表情に言葉が詰まる。


「おじさんはどこに行くの?」


「・・・・・・母のお墓に」


「今から?」


「そうだよ」


「肝試し? その年でそんなことして楽しい?」


「怒るよ」


 彼女も同じく言葉を詰まらせるように黙った。


「はるかも一緒に来なよ、君に一人で部屋に入られたくない」


「汚いものね、そりゃ恥ずかしいよ」


「うるさいな・・・・・・」


 このとき自然と二人に笑顔が戻った。さっきの張りつめた空気は何だったのだろうか、一瞬だったが、彼女の負の雰囲気には。何か深い闇があるようにも感じた。


 ここから、実家近くにあるお墓まで車で1時間ほど、車内でゆっくり話でもできるか。


「そうだ、これあげる」


「胡蝶蘭を?」


「うん、あの汚い部屋でも、これぐらい綺麗な花を置けば少しは華やかになるかなと思って持ってきたけど」


「汚くて悪かったね」


「お母さんにあげなよ、きっと喜ぶよ」


 彼女は微笑んだ。


 そうだなと返事をした。正直、花を用意できなかったことを少し気にしていた。丁度良かったと言えば語弊があるが、本当に丁度よかった。


「ありがとう」


「どういたしまして」


「片道1時間ぐらいかかるけど大丈夫?」


「ほんとに? 軽いドライブじゃん」


「てか、家に帰らなくていいの?」


「ここが家だよ」


 彼女はそう言って俺が済むアパートを指さした。


「え? 同じアパートに住んでたの?」


「3階の一番階段寄りの307の部屋」


「俺の家だな、それは」


 俺は俯き頭をかきながらため息をついた。顔を上げると、彼女の姿はなかった。慌てて首を振ると、おじさんの車はどれ? と言いながら駐車場の車を一台一台見て回っていた。


 ほんと、彼女は今日も俺を振り回す。さっきまで忘れていた彼女の存在は、信じられないほど自分の中で大きくなっている。



――会いたかった。


 結局彼女のことが好きなのだ。35歳になって18歳の女の子を好きになってもどうしようもないことは分かっている。でも、そんな単純な理由で消せるほど彼女の存在は軽くはない。


「はるかおいで」


 そう呼びかけると、彼女は駆け寄ってきた。


 車の鍵を開け、運転席後ろのドアを開け、彼女の抱えていた胡蝶蘭を座席に置いた。倒れないように大事に大事に置いた。そしてドアをゆっくり閉めた後、両手が自由になった彼女を抱き寄せた。



 両腕の中にすっぽりと納まる小さな体を壊さないように、でもしっかりと強く抱きしめた。


「どうしたの、おじさん?」


「・・・・・・」


「まさか、ここで襲わないよね?」


「え?」


「私、そういうプレイは好きじゃないよ」



 俺は彼女の身体を離し、ため息をついた。


「今、いいところだったよ?」


「え、そうなの?」


「そうだよ、ロマンティックな展開になって、いいセリフを言おうとしてたところだったのに」


「何役者気取ってるの? ただのおじさんなのに」


 彼女の清々しいまでの直球で、俺の心は強打された。


 彼女の言う通りだ、俺はただのおじさんで、18歳の女の子に恋したいだけの男だということに気づかされた。


 正直に言うと、ワンチャン狙っていたのも事実だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る