第2話 缶ビール

 彼女は部屋の電気を切った。窓から入る薄暗い明かりにぼんやりと照らされた部屋の中で、彼女は立ち尽くしていた。


 微かな明かりでも彼女の整った容姿ははっきりと伝わった。鼻筋はしっかりと通り、唇はほんの少し分厚い。黒の長髪は、真っ直ぐに肩よりも下に垂れ、光沢感をまとっていた。


 丈の短いスカートにある絶対領域からは、いかにもいい匂いがしそうだと、ただのエロオヤジとしか思えない感想を抱いた。



「君、どうしたの?」


「部屋、汚い」


「あ、ごめん」


「それに夏なんだから、ゴミぐらい捨ててよ」


 廊下に直に置かれたゴミ袋を指さして不機嫌そうに言葉を発した。


「すみません」


「もう少しマシな人の家に飛び込みたかった」


 そうだよ。君がいきなり入って来たんだ、俺は何も悪くない。何で謝らなければいけない。


「どうしたの。何でここに来たの」


 俺が今一番気になることをストレートに聞いた。どうして35歳独身の男の部屋に、君みたいな女子高生が飛び込んで来たのか。



――死のうと思ったの


 聞き間違いかと思った。でも彼女は笑顔で確かにそう言った。


「どうして死のうと思ったの」


 またストレート聞いた。


「何となく」


 彼女はまた笑顔で答えた。



――インターホンが鳴った。


 そうだ、ピザを頼んでいたのを忘れていた。これは今度こそピザだ。まさかもう一人女子高生が飛び込んで来るなんてころはないだろう。


 玄関に向かうと、そこには小銭が散乱していた。その散らばった小銭は気にもせず、財布だけを拾い玄関の扉を開けた。


 ピザの宅配だった。女子高生が飛び込んで来ることはなく、平和に会計を済ませた。


 受け取ったピザを片手に奥の部屋に戻った。


「若い子が何となくで死のうなんて思ったらだめだよ」


「おじさん、ピザ好きなの?」


「好きだよ」


 俺はこたつテーブルの上にピザを置いて、台所の方へ戻った。冷蔵庫から缶ビールを2本取り出して、またテーブルに戻った。


 俺が床に腰を下ろすと彼女も私と向かい合うように腰を下ろした。


 よく見ると、人形のように大きな瞳と、長さが揃っていない前髪が幼さを醸し出していた。


 本当に子どもだ、高校生だ。そう確信した。



「おじさんは、ピザを食べたくなったら、ピザを買うでしょ?」


「そうだよ。今日だってそうだよ」


「それと同じ」


「え?」


「死にたいなと思ったから、死のうと思っただけ」


「・・・・・・でもその理由は”何となく”なんでしょ?」


 死のうと思って、どうして俺の家に入って来たのかは未だに謎だが、このときはなぜかストレートに聞けなかった。


「関係ないよ。人はやりたい事をやる生き物なんだよ。それが仮に”死”だとしても」


「じゃぁ生きたいと思いなさい」


「え?」


 俺は缶ビールを開けて口に含む。そしてようやくピザとご対面。今日もいい香りが部屋に広がる。


「ビール飲む?」


「私、18だよ」


「どうせ死んでたかもしれないんだろ? だったら酒ぐらい軽いもんさ」


「おじさん、面白いこと言うね」


 まだ空いてない方の缶ビールを彼女自ら手に取った。そして、プルタブを力強く引くと、空気が抜けるいい音がした。



――乾杯


 彼女は勢いよく口に含んだ。いい飲みっぷりだった。俺はそれを煽った。


 全部飲み切ったわけではないが、一口でかなりの量を飲んだだろう。缶の先が唇から離れたとき、彼女は女子高生らしからぬ豪快なげっぷを披露した。


「色々聞きたいことはあるけど、とりあえずピザを食べよう」


「うん」


 お腹が空いては何もできない。兎にも角にも、空腹を満たしてからだ。


 彼女は缶ビールを一本空け、八つ切りにされたピザを二切れ食べた。残りは俺が食べて、缶ビールを冷蔵庫からもう一本追加して空けた。


「お腹いっぱいになったか?」


「少しぼうっとする」


「お酒のせいかな、気分は悪くない?」


「うん、むしろ気分がいい」


 妙に卑猥に聞こえるのは俺だけだろうか。決して酔わせたいからアルコールを飲ませたわけではない。死にたいと思うほど病んでいる子どもに自分の好きなものを共有しただけだ。



――後で、抜いてあげる。


 彼女の囁きを思い出した。


 まさか、本当にそういう展開になるのでは・・・・・・思わず唾を飲んだ。自分からわいせつ行為をしては完全に犯罪となる。ここは彼女のからのアプローチを待つしかない。いや、むしろ酒を飲ませた時点でもう犯罪か、ならもう関係ないか。


 心の中で葛藤が続いたとき、彼女はベッドに寝転がった。そして、ベッドの上に放置されていた俺の仕事用の鞄を床に下すと、床に座った俺に視線を向けて来た。


「おじさん、来て」


 その言葉に呪文をかけられたように俺の身体を無意識に動いた。気付けば立ち上がり、ベッドに向かって一歩踏み出していた。



――今したいことを、しよ?


 彼女は色気ある表情で俺を誘った。


 玄関のときとは真逆で、ベッドの上で仰向けになった彼女を覆うように跨った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る