妹は刻みます‼︎



 花が散った桜の木々が、ざわざわと風に揺れる。それを見ていると、なぜか妙に物悲しい気持ちになって、俺は視線を遠い空に逃がす。白い月と遠い星々が、真っ直ぐにこちらを見下ろしている。俺と摩夜はベンチに腰掛けて、ただそれを眺める。



「お兄ちゃん。お兄ちゃんにとって、私はまだ……妹?」



 摩夜は俺の肩に頭を乗せて、そうポツリと言葉をこぼす。


「……どうしたんだよ? 急に……」


「…………ちょっと、思ったんだ。……私にとってね、お兄ちゃんはずっとお兄ちゃんなの。でもね、それと同じくらい私はお兄ちゃんの事を、異性として見てきた」


「…………」


「初恋だった。本当に子供の頃にお兄ちゃんを好きになって、それからずっとお兄ちゃんのことだけが好きなの。……でもね、お兄ちゃんはお兄ちゃんだから、我慢しなくちゃってずっと思ってた。……でも血が繋がって無いのが分かって、どうすればいいのか分からなくなって、お兄ちゃんに……辛く当たったりして……酷い事も沢山しちゃった。……でも今はこうやって、私の隣にお兄ちゃんが居てくれる……だから、ありがとう」


 摩夜は一本一本丁寧に、指を俺の指に絡めていく。……摩夜の手はいつも冷たい。俺が温めてやらなくちゃって思うくらい、いつだって冷たい。


「この場所だよね。私がお兄ちゃんに、初めて自分の気持ちを打ち明けたの。あの時はお兄ちゃんが……変な女に騙されそうになってて、私が守ってあげなくちゃって思ったの。お兄ちゃんは優しいから。本当に怖くなるくらい……優しいから……。だから、私が側にいてあげないとダメなの。……他の誰でも無い、私じゃないとダメなの」


「…………」


 どんな言葉を返してやればいいのか、分からない。……いや違う。今はどんな言葉も返してやれないから、俺はただ黙って摩夜の言葉に耳を傾ける。


「……あまね、とか言ったけ? あの女。あれってさ、お兄ちゃんの同級生とか言ってたけど、本当はさ……姉さんなんでしょ?」


「…………気づいてたのか?」


「うん。あれから三月が必死になって、あまねって女の正体を調べたけど、どうしても見つけられないって言ってた。だからそんな真似ができるのは誰かなって考えたら、姉さんしか居なかった。……やっぱり姉さんは、嫌な女だよ。あんな女が、お兄ちゃんの側に居ていい訳が無い」


「…………」


 摩夜はただ、夜空に視線を向ける。だから俺も、ただ星を眺め続ける。


「お兄ちゃん。抱きついても……いい? お兄ちゃんの温かさを感じたいの。これは私のだって、ちゃんと確かめたい」


「…………少しなら、構わないよ」


 今更断る理由なんて無いから、俺は摩夜を受け入れる。


「……愛してる。お兄ちゃん」


 摩夜は一度手を離して、俺の膝の上に座る。そしてそのまま、まるで溶け込むように身体の全てを俺に預ける。


「…………」


 俺は優しく、摩夜の背中に手を置いてやる。


「お兄ちゃん。感じる? 私の体温。私の感触。私の全て。このおっぱいも、このお尻も、この太ももも、全部が全部、お兄ちゃんのものなんだよ? だからいっぱい、感じて? 私のドキドキを全部……お兄ちゃんにあげたいの……」


 摩夜は俺の耳元で、艶っぽい声で囁く。


「お兄ちゃん。愛してる。この温かさを、他の女になんか渡せない。絶対にどんな手段を使っても、お兄ちゃんを私のものにしてみせる」


「…………」


「…………ねぇ、お兄ちゃん。私に……傷をつけて欲しいの」


「傷って……何を言ってるんだよ? 摩夜」


 俺は唐突な言葉に思わず摩夜の顔を見るけど、夜の闇のせいで摩夜の顔はよく見えない。


「そのままの意味だよ。私がお兄ちゃんのものなんだっていう、証が欲しいの。キスマークなんていつか消えちゃうものじゃなくて、絶対に消えない傷を……私の身体に刻んで欲しいの……」


「…………無理に決まってるだろ? 摩夜の身体に傷をつけるなんて、そんな……」


「ふふっ。やっぱりお兄ちゃんは、そう言うよね。お兄ちゃんは優しいから……。でもね……私はそうじゃ無いの…………だから、ごめんね……」


 摩夜は優しい声でそう囁いて、俺の耳にキスをする。そしてそのまま、耳たぶに噛みつく。


「……痛いよ、摩夜」


 耳から雫が垂れる。それが摩夜の唾液なのか、それとも俺が流した血なのか区別がつかない。ただ耳にズキズキと痛み走る。


「ごめんね、お兄ちゃん。でも、私は我慢なんてしない。そんなの、できない」


「…………」


 摩夜は血が出るくらい強く噛みついた後、今度はそれを癒すように優しく舌を傷口に這わせる。俺はそのどうしようもない感覚に、上手く言葉を吐き出せない。


「この傷が痛んだ時にね、お兄ちゃんは……私を思い出すの。その時は私が、お兄ちゃんの側に居る。……姉さんや他の女とデートしてる時も、この傷が痛んだらお兄ちゃんは私を思い出す。ずっとずっとお兄ちゃんの中に、私が入り込むの……」


 摩夜はそう言って、愛おしそうに俺の頬に手を添える。


 欠けた月が、摩夜の背中を照らす。白い白い月を背にして、摩夜の瞳が煌々と輝く。



 どくんと、心臓が跳ねる。



「……キスは、しないね? そんなものしなくても、お兄ちゃんはもう私を忘れない。そんなことしなくても、お兄ちゃんはもう私を意識してくれてる。だってお兄ちゃんはもう、私のものなんだから。……愛してる。お兄ちゃんのこと、世界で一番……私が愛してる。だから……待ってるからね?」


 摩夜は最後にぎゅっと強く抱きしめて、そして俺から手を離す。……それでも心臓のドキドキは、全然止まってくれない。


「…………帰ろうか? 摩夜」


 だから俺は絞り出すようにそう呟いて、ゆっくりと立ち上がる。


「うん。帰ろう。本当は夜もずっとお兄ちゃんと一緒に居ようと思ってたけど、もう……大丈夫。お兄ちゃんから離れても、お兄ちゃんの側に私はずっと居る。ずっとずっと、お兄ちゃんは私が守ってあげられる。だから……帰ろうか?」


 2人で手を繋いで、帰路につく。


「…………」


 ……ふと、小さな白い光が視線を横切る。……花びらだ。たった1枚だけ残っていた桜の花びらが、風に揺られてゆらゆらと何処かへ飛んでいく。


 それはまるで流れ星のようで、思わず何か願いたくなるけど、俺が願っていいことなんて何も無い。だからただ黙って、真っ直ぐに歩き続ける。



「……ずっと側に、いられますように」



 そう隣で小さく響いた声を、しっかりと胸に刻んで。


 摩夜とのデートは終わる。ズキズキと痛む耳の傷が癒えないうちに、また次のデートが始まる。



 俺はまだ、止まるわけにはいかない。


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