心配ですか?

 


 朝、目が覚める。


「…………」


 頭が酷く重い。いや、頭だけじゃない。身体そのものが、鉛のように重たい。


「……あ、あ、あ」


 声は出せるが、喉が痛い。何と無く、意識が覚束ない感じがする。まるで身体は眠っているのに、意識だけが目を覚ましたような……そんな感覚。


 つまり、これは……。


「……風邪引いたな」


 昨日、髪を乾かさずに寝た。夕飯も食べてない。それに、最近は疲れが溜まっていた。なら風邪を引いても仕方ない……なんて、言い訳か。今は風邪なんて引いている場合じゃないのに、何をやってるんだよ、俺は。


「……でも無理に動いて、誰かに風邪を移したりしたら、それこそ……最悪だ」


 だから仕方ないけど、今日は学校を休もう。……姉さんと摩夜にも、伝えておかないとな。


「……よし」


 重い身体をなんとか起こして、鍵を開けて部屋を出る。手早く姉さんか摩夜に、風邪を引いたって伝えて、今日は1日寝ていよう。学校への連絡は、同じクラスの芽衣子にでもしておけば問題無いだろう。


 そんなことを考えながら歩いていると、姉さんの後ろ姿が目に入る。


「……おはよう、姉さん」


「あ! 真昼、おはよう! 今日も……って、あれ? 真昼……どうかしたの? 顔色、すっごく悪いよ?」


「なんか風邪引いたみたいでさ。……いや、大丈夫だよ? そんな大したものじゃないんだ。……ただ今日は、大事をとって休んでようと思うから、それだけ伝えに来たんだ……」


「そんな、無理しなくてもいいのに……。風邪引いたんなら、ちゃんと寝てないとダメでしょ? ……ほら、お姉ちゃんに掴まって? 私が部屋まで、運んであげるから」


「いや、そこまでしなくても……」


「ダメ。今日くらい、お姉ちゃんの言うことを聞きなさい」


「……分かったよ」


 有無を言わせぬ姉さんの瞳に、俺は大人しく頷きを返して、姉さんの肩を借りて自分の部屋に戻る。……ちょっと大袈裟だと思うけど、心配してもらえるのは素直に嬉しい。


「はい。じゃあ、真昼は寝ててね? 今日は一日、私がつきっきりで看病してあげるから、安心していいんだよ?」


「いや、いいよ。ただの風邪だろうし、姉さんだって大学あるだろ?」


「大学なんてどうでもいいの。……あそこは単位さえ取れれば、何したっていい所なんだから」


「それは流石に……」


 ダメだろ? と俺が言い切る前に、部屋の外から声が響く。


「お兄ちゃん、おはよう! ……って、どうかしたの? ……もしかしてまた、姉さんに何かされた?」


 摩夜は早足に部屋に踏み入って、キッと姉さんを睨みつける。


「違うよ、摩夜。今日はただ、俺が風邪を引いただけなんだよ……」


 俺は喧嘩になる前に、早めに口を挟む。


「え? お兄ちゃん、風邪引いたの? ……大丈夫? しんどいよね? 今日は私が一日中側にいてあげるから、安心していいんだよ?」


「いや、摩夜は学校行かないと……。いや姉さんもだけど、俺は……大丈夫だからさ」


 そう言って、無理に笑う。……けど、俺の作り笑顔なんかじゃ、2人は騙されてくれない。


「そうだよ? 摩夜ちゃんはまだ中学生なんだから、学校にはいかないとダメ。真昼には私がついててあげるから、摩夜ちゃんは学校に行きなさい」


「……姉さんと2人っきりなんて、そんなの許せるわけ無いでしょ? お兄ちゃんが弱ってるのをいいことに、何をするか分かったもんじゃない。……お兄ちゃんは、私が守ってあげないとダメなの。姉さんなんかに……お兄ちゃんは任せられない」


「ダメだよ? 摩夜ちゃん。そんな怖い顔しちゃ、真昼が不安になっちゃう。……真昼には私がついててあげるから、摩夜ちゃんは早く学校にでも行って来なよ」


 2人はいつも通りに、言い合いを始めてしまう。流石に風邪の時に、それを見せられるのは辛い。だから俺は声を張って、2人を止める。


「2人とも俺は大丈夫。だから、学校に行ってくれ……俺は少し、眠るから……」


 頭が、ずきりと痛む。どうやら本格的に、風邪を引いたようだ。なら2人に移す前に、さっさと治さないといけない。


「……ごめん、お兄ちゃん。弱ってるお兄ちゃんの前で、喧嘩なんてしちゃダメだよね? …………うん、分かった。じゃあ私はお粥でも作ってくるよ。……姉さんも、手伝ってくれるよね?」


「……うん、そうだね。そうしよっか。2人でとびっきり美味しいお粥を作って、真昼に早く元気になってもらわないとね」


 2人は同じような顔で笑って、俺の部屋から出て行ってくれる。……けど、あんな笑顔を見せられると、少し心配になってしまう。


「……でも、ダメだ。眠い……」


 頭を働かせると、どうしても眠くなってしまう。だから俺は最後の力で、『今日は風邪で休む』と芽衣子にメッセージを送って、そのまま倒れるように眠りについた。



 ◇



 放課後。部活を休んだ芽白めじろ 芽衣子めいこは、お見舞いの品いくつか見繕って、早足に真昼の家に向かっていた。今朝、真昼から風邪を引いたと連絡があった。だから彼女は授業中ずっと、気が気じゃ無かった。無論、ただの風邪なら、そこまで心配することも無いのだろう。


 ……ただそれでも、好きな人が弱っていると聞いたら、どうしても側にいてあげたいと思ってしまう。


「……私ももう、立派な恋する乙女ですわね。……って、あれは……」


 芽衣子は目の前に見覚えのある後ろ姿を見つけて、いつも通りの笑顔で声をかける。


「会長さん、ご機嫌よう。こんな所で奇遇……ではないですね。貴女も、真昼さんのお見舞いですか?」


 芽衣子にそう声をかけられて、生徒会長 久遠寺くおんじ 桃花とうかは特に驚いた風もなく、軽い笑顔で言葉を返す。


「……おや、芽衣子くんか……こんにちわ。その通りだよ。真昼が風邪を引いたなんて聞いたら、流石に放ってはおけないからね」


「やはりそうですか。……でも、真昼さんは風邪を引いてらっしゃるんですから、今日はあまり……無茶な真似はしないで下さいね」


「分かっているさ。ボクも少しは反省したからね。あまり真昼に……って、ボクは君の前で無茶な真似なんて、したことがあったかな?」


「それくらい、真昼さんの態度を見れば分かりますわ」


「……ふふっ、君もなかなか手強そうだね。でも、芽衣子くん。君はやっぱり真っ直ぐすぎる。それじゃあ……って、おや? あそこにいるのは、三月くんじゃないか。……くふっ。どうやら皆んな、考えることは同じらしい……」


 真昼の家の前で天川あまかわ 三月みつきの姿を見つけて、桃花は呆れたようにそう言葉をこぼす。


「みつきくん? 会長さんのお友達ですか?」


「そうか、君は三月くんとは面識が無かったね。彼女は真昼の妹の摩夜くんのお友達で……君とボクのライバルだよ」


「……ライバル、ですか……。ならあの方にも、挨拶をしなくてはなりませんね」


 芽衣子は胸を張って、三月の方へと歩いて行く。桃花はその後ろ姿を、ため息混じりに見つめる。


「……芽衣子くんは、相変わらずだな。……いやそんなことより、真昼のことだ。……ふふっ、ダメだ。ダメだと分かっていても、どうしても思ってしまう。……真昼の風邪を引いて辛そうな顔、一目でいいから見てみたいなぁ……」


 桃花は自分の異質さを理解している。けどだからといって、その異質さが無くなったわけではない。彼女の胸にはまだ、真昼に対する歪んだ欲望が渦巻いている。


「ご機嫌よう。私は芽白 芽衣子と申します。貴女はみつきくんさんで、よろしいでしょうか?」


「……誰っスか? 貴女。よろしいわけ無いっス。あたしは天川 三月っスよ」


 三月はそう不審そうに眉をひそめるが、彼女は無論、芽衣子のことを知っている。三月は、真昼の周囲の人間を調べ尽くしている。そんな彼女が、真昼の友人である芽衣子を知らない訳が無い。


「三月さん、ですね。分かりました。では、いきなりで申し訳ないのですけど、1つだけ聞かせてくださるかしら。……貴女は真昼さんのこと……好きなんですの?」


「……は?」


 三月はいきなりの言葉に、酷く驚いたように目を見開く。


「やあ、三月くん。いきなりで困惑しているだろうけど、答えてやってくれないかな? 何せ彼女はボクらと同じ……仲間なんだからさ……」


 と、そこで芽衣子の背後から、桃花が声を響かせる。……それでなんとなく、三月は事態を理解する。



 前から怪しいと思っていたけど、やっぱりこの女もそうなのか、と



「……そうっスか。やっぱりそうなんスね。…………じゃあ一応、確認っスけど、貴女もお兄さんのことが好きってことで、いいんスか?」


「そうですわ。私、芽白 芽衣子は、笹谷 真昼のことを愛してますわ。貴女も同じ方を想うライバルでしたら、一応それだけは伝えておきたかったんです」


「…………また、面倒そうな女っスね」


 そうして、3人の少女たちが真昼の家に集まる。……いや、朝音と摩夜も交えた5人の少女たちが、奇しくも一同に集ってしまう。


 そしてこれから、楽しい楽しいお見舞いが幕開ける。



 真昼は眠ったままで、まだそのことを知らない。


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