初めてですか?

 


「ねぇ、真昼。摩夜ちゃんの貧相な身体じゃ、満足できないよね? そーんな薄っぺらい胸を押し付けられても、真昼は困るだけだよ。……だから今からね、私のおーっきいおっぱいを……好きなだけ触らせてあげるよ。……真昼も、その方がずっといいでしょ?」


 そう言って、姉さんは一歩俺の方に近づく。


「……自分の胸がちょっと大きいからって、調子に乗っちゃって……バカみたい。……というか、姉さんはただ太ってるだけでしょ? 家に引きこもってゲームばっかりやってるから、お腹のお肉……余ってるよ?」


 摩夜は俺から手を離し、俺を守るように姉さんの前に立ちはだかる。


「ふふっ。可愛いね、摩夜ちゃん。可愛い嫉妬だよ。摩夜ちゃんの胸と同じくらい、可愛い嫉妬。自分の身体じゃ真昼に興奮してもらえないからって、私に噛み付いても胸は大きくならないよ?」


「姉さんの方こそ、そんなだるだるの身体で、本気でお兄ちゃんに喜んでもらえると思ってるの? 胸が大きいからって、お兄ちゃんは騙されてくれないよ? 姉さんのその醜い身体を見たら、お兄ちゃん……吐いちゃうかも……」


「摩夜ちゃん。貧相なのは、身体だけじゃないみたいだね? どうやら頭の中も、空っぽみたい。私みたいなのをね、完璧なプロポーションって言うんだよ? 出るところは出てて、締まるところは締まってる。こんな百点満点な身体、真昼が気に入らない訳ないよ。……この前背中から抱きついた時も、真昼はすっごく意識してもんね?……私のおっぱい」


「……なにそれ、結局それってまた姉さんの独りよがりじゃない。……背中から抱きついた、なんて……きっとお兄ちゃん、その時も辛かったんだろうなぁ。……大丈夫だよ? お兄ちゃん。私がいる限り、もうそんな真似はさせないから」


「…………」


 2人の言葉が、うまく理解できない。頭の中が真っ白で、うまくものを考えられない。……後ろを振り向くと、少しも身体を隠さない2人の姿が目に入る。だから決して、振り返る訳にはいかない。それだけは、分かる。



 けどじゃあ俺は一体、どうすればいい?




「ほら、真昼が困ってる。やっぱり、摩夜ちゃんの身体じゃ嫌だったんだよ。……大丈夫だよ? 真昼。私が思う存分、癒してあげるから……。それでもし、真昼が我慢できなくなっても……大丈夫だよ? 何をしたって、私は許してあげるから……」


「姉さん! お兄ちゃんに変なこと言わないで! ……というか、姉さんには買い物を頼んでた筈でしょ? 何でこんなに早く、帰って来るのよ!」


「うん?……ああ、あれなら別に要らないと思ったから、途中で帰って来ちゃった。……なんだか嫌な予感もしたしね。虫の知らせってやつかな? あははっ」


「は? なにそれ、姉さんは無責任過ぎよ。……最低」


「……でもそのお陰で、摩夜ちゃんの凶行を止められたよ。摩夜ちゃんの貧相な身体で、真昼が嫌な思いをしなくて済んだ」


 2人はただ、暴言をぶつけ合う。俺は黙って、それに耳を傾ける。それ以外、できることなんて何も無い。……いや、俺はずっと考えている。そのことだけを、俺は本気で考え続ける。



 どうすれば、いいんだ?



 仮に2人を押しのけて、無理に風呂場から逃げ出したとする。でもそれだとまた明日、同じようなことになるだろう。俺はその度に、同じように逃げ出すのか?


 ……無理だ。俺はそんなに強い人間じゃない。いつか必ず、折れてしまうだろう。そして彼女たちは、決して折れない。なら逃げ出すことに、大した意味は無い。


「……じゃあ、お兄ちゃんに決めてもらおうよ。私と姉さんの身体、どっちがいいのか。それで負けた方が、潔くこの場所から出て行くの。……それなら、姉さんでも納得できるでしょ?」


「ふふっ、摩夜ちゃんは本当に可愛いね。そんな貧相な身体で、本気で真昼に選んでもらえると思ってるんだ」


「……姉さん。もしかして、怖いの? 私に負けるのが」


「…………分かったよ。摩夜ちゃんがそこまで言うのなら、構わないよ。……でも、負けたからって、後で文句言ったりしないでよ? 面倒だからさ」


「それはこっちの台詞」


 そして2人は、真っ直ぐにこちらを見る。俺の前だっていうのに、身体のどこも隠すこと無く、寧ろ誇るように胸を張って2人はその言葉を告げる。


「ねえ、真昼」


「ねえ、お兄ちゃん」




「──私を選んでくれるよね?」



 ……振り返れない。もし振り返れても、選ぶことなんてできない。そしてもし選ぶことができたとしても、そこから先の行為なんて……俺には無理だ。



 なら、どうすればいい?



 このまま黙っていても、事態は何も解決しない。いや寧ろ、悪化する一方だ。だから俺は、一刻も早く行動しないといけない。2人が納得してくれて、なおかつ明日も同じことをしないように、2人が満足してくれる答えを、俺は出さなければならない。




 でもそんな答え、ある訳が無い。



 ……それでも俺は、何も言わない訳にはいかない。無理にでも、辛くても、苦しくても、精一杯頭を悩ませて、答えを出さなければならない。



 だから俺は、必死の覚悟でその言葉を告げた。



「2人とも、一旦、目を瞑ってくれないか?」


 そう言って、俺は立ち上がる。


「え? もしかして、キス? キスしてくれるの? 真昼。ようやく真昼の方から、私にキスしてくれるんだね? ……うん、いくら真昼でも、私の身体を見たら我慢できなくなっちゃうよね。……いいよ、好きにして。好きなように、私をめちゃくちゃにして……」


 姉さんはそう言って、言われた通り目を瞑ってくれる。


「……お兄ちゃん。やっとお兄ちゃんに、愛してもらえるんだ……。私、嬉しいよ。お兄ちゃんが、望む通りにして……。私は姉さんと違って鍛えてるから、お兄ちゃんがどんなに激しくても……ちゃんと受け入れるよ? ……だから、来て……」


 摩夜も胸の前で手をぎゅっと握って、姉さんと同じように目を瞑ってくれる。



 そして俺は……。




「…………」




 覚悟を決めたように大きく息を吐いて、ゆっくりと2人の方に振り返る。どくんと、痛いくらいに心臓が跳ねる。けれどもう、目をそらす事はできない。だってもう……覚悟は決めたんだから。




 ──そして、俺は






 2人にキスをした。




「────」


「────」



 2人の身体が、はっきりと視界に映る。2人の唇の感触を、確かに感じる。




 でもそれだけ、それ以上は何もできない。





「今日はこれで、勘弁してくれ。今度のデートの時に、ちゃんと……向き合うから」



 ドキドキと跳ねる心臓を抑えつけて、風呂場を後にする。そしてそのまま、着替えを持って早足に自分の部屋に戻る。



「…………」



 心臓の鼓動がうるさい。服を着るだけなのに、なぜか転びそうになる。俺はそんな風にバカみたいにあたふたしながら、なんとか服を着て、髪も乾かさずそのままベッドに倒れ込む。



「初めて自分から……キスしたな……」



 これは今までと違って、自分の意思でしたものだ。ああしないと2人が暴走してしまうから……なんて、言い訳にもならない。


 だからこれは、俺の意思だ。


 天川さんとのデートで、天川さんの事を女の子として意識した。会長とのデートで、もう少し会長に寄り添ってあげたいと思った。


 ……でも俺は、そこから先の一歩は踏み出せなかった。その一線は、まだどうしても越えられない……そう思っていたから。



 でもそれを今、越えてしまった。


 心臓がどくどくと、うるさいくらい脈打つ。でも今はもう、何も考えたくない。



「……けど、キスしただけじゃ、答えは出せないよな……」


 そんな言い訳みたいな言葉をこぼして、目を瞑る。


 今日はもう、疲れた。夕飯も食べてないし、髪も乾かしてない。けど今日はもう、寝てしまおう。……部屋の鍵は、ちゃんと掛けてある。だから、大丈夫だ。今日ほど、鍵がついていて良かったと思った日は無い。



 俺はゆっくりと、眠りにつく。今日は久しぶりに、なんの夢も見なかった。



 ◇



 笹谷ささたに 摩夜まやは、風呂場から出てすぐに自分の部屋に戻る。


「……ふふっ。お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん……!」


 そんな風に言葉をこぼしながら、摩夜は軽く唇に指を当てる。まだそこに、真昼の感触が残っている。摩夜はそれを何度も何度も思い返して、ニヤリと唇を歪める。


「お兄ちゃんの方から、キスしてくれた。やっぱりお兄ちゃんは、私が好きなんだ。だってそうじゃないと、キスなんてしないもん」


 そう言いながらも、摩夜は気がついていた。真昼は朝音の方にも、キスをしていた。そしてそうしなければ今頃、取り返しのつかないことになっていたと。



 でも摩夜は、そんなことは気にしない。彼女にとって大切なのは、1つだけ。真昼が自分の意思で、キスをしてくれた。それだけが、摩夜にとって重要な事だ



「お兄ちゃん。愛してるよ。お兄ちゃん。大好き。お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん。お兄ちゃん、お兄ちゃん。お兄ちゃんが……欲しいよ……」


 椅子に腰掛けながら、摩夜は考える。裸で迫っただけで、真昼はキスをしてくれた。それくらいの事で、真昼は素直になってくれた。



 なら……。



「…………待ってて、お兄ちゃん。お兄ちゃんが素直になれるよう、私……もっともっと頑張るから……」


 だんだんと、夜が更けていく。でも摩夜の鼓動は、ずっと高鳴ったままだった。



 ◇



 そして、笹谷ささたに 朝音あさねも妹と同じように早足で自室に戻り、真昼の唇の感触を思い出す。


「……可愛い。真昼、可愛い……。必死になって色々考えて、それで唇にちょんって……キスをする。真昼、可愛い。本当に、可愛い。真昼が欲しい。真昼を食べてあげたい。全部、全部、全部、真昼の全部が欲しいよ……」


 そう言って朝音は、自分の唇をゆっくりと舌でなぞる。その度に真昼の顔が思い浮かんで、耐えられないと言ったように薄い笑みを浮かべる。


「真昼も照れちゃったんだろうなぁ。もうちょっと場所を整えてあげれば、真昼も我慢しなくて済んだ筈だよ。今度は邪魔な摩夜ちゃんもいない2人っきりの時に、優しく抱きしめて……キスして欲しい。そして、その後は……」


 そう呟いて、朝音は笑みを浮かべる。これからのことが、楽しみで楽しみで仕方ないというように、彼女は裂けるような笑みを浮かべる。


「ふふっ。そろそろ本格的に動こうかな。……待っててね、真昼。もう少しで、私だけのものになれるからね?」


 夜が更けていく。闇夜を照らす月明かりも、朝音の部屋には届かない。だから朝音はただ1人、暗闇の中で笑い続けた。


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