気づきませんか?

 


「なあ、真昼。綺麗な景色だと思わないか?」


「……そうですね」


 会長と2人、高台にある公園のベンチに座って、ぼーっと眼下の街並みを眺める。春の心地よい日差しに、暖かい風。こんな所で待ち合わせをして、一体どこに連れて行かれるんだ? と思っていたけど、行き先はそのまま公園だった。


「君は最近、色々と大変だろ? 色んな女の子に言い寄られて、そうでなくても君は……色々と抱え込みやすいタイプだ。だから偶のデートは、こんな風に落ち着ける場所に行くのがいいと思ったんだよ」


「気を遣ってくれて、ありがとうございます。 ……確かに、凄く落ち着きますよね、こういう所でぼーっとするの。俺、好きですよ」


「ふふっ、気に入ってくれて嬉しいよ。今日はね、ボクがお弁当を作ってきたんだ。だから昼まで2人でぼーっとして、そしてお昼を食べたら、買い物にでも行こうと思ってるんだよ」


「いいですね。そういうのんびりしたデート」


 2人でゆったりと、遠い街を眺める。昨日、観覧車から眺めた景色とはまた違う、見ていると心が落ち着く景色。天気も良くて心地いいし、なんだか少し眠くなってしまう。


「…………そういえば、この前はすまなかったね」


 会長は唐突にそう言って、頭を下げる。


「この前? なんのことです?」


「……ボクの家でのことだよ。あれは、少し無理やりが過ぎた。……ただ、どうしても……君への気持ちが抑えられない時があるんだ。君の顔をていると、どうしてもこう……我慢がきかなくなるんだよ」


 会長は困ったような笑みで、俺を見る。それを見て、俺は思い出す。あの日、会長にされたことを……。


「……まあ、別に構わないですよ? あれくらいだったら、会長にスパーリングを挑まれるより、だいぶマシです」


「……君は、本当に……。そんなことばかり言っているから……。いや、ありがとう。真昼」


 そして会長はまた、頭を下げる。……なんだか、分からなくなる。会長は、いや天川さんもそうだったけど、おかしい時と普通の時で差があり過ぎる。


 だから、どういう風に接すればいいのか迷ってしまう。……いや、俺はいつも通りでいい筈だ。俺が変に気を遣ったり、怯えたりしても、なんの解決にもなりはしない。


 なら、俺にできるのは……。


「……ふふっ、そうだ。膝枕してあげるよ。ほら、おいで」


 そんな風に俺が色々と考え混んでいると、会長は唐突にそんな事を言って、いきなり俺の頭を自分の太ももに押し付ける。


「…………いや、なんです? これ」


「だから、膝枕だよ。……これくらいなら、別にいいだろう?」


「……まあ、いいですけど。ただちょっと……」


 恥ずかしいなと、思ってしまう。それに、色々と考えていたことが、どこかに飛んでいってしまった。……いや会長は、分かっていてやってくれたのか? ……まあなんであれ、今はぐたぐた考えても仕方ない。


 俺は諦めて、会長の太ももに体重を預ける。


「ふふっ。君は可愛いね、真昼。頭を撫でてあげるよ」


「いや、そこまでされると……本当に犬みたいじゃないですか」


「……本当に?」


 それは、どういう意味だい? と会長は優しい声で、尋ねる。……しまった、失言だった。


「あー、いや、このチョーカーっていうやつ、なんか……犬の首輪みたいじゃないですか。いや、気に入ってないわけじゃないですよ? ただ、こういうのは自分じゃ買わないんで、ちょっと、ね」


「…………」


 会長は俺の言葉を聞いて、ただ黙って俺の頭を撫でる。怒らせてしまっただろうか? と、思い顔を上げようとするけど、会長はそれを優しく抑えつける。


「……会長、もしかして怒ってます?」


「いいや、男の子にプレゼントなんてした事が無いボクが、必死に頭を悩ませて送ったプレゼント。それを、犬の首輪みたいと言われたからって、このボクが怒るわけないだろ?」


「いや、怒ってるじゃないですか……」


「別に……本当に怒ってなんかいないさ。君の考えは…………間違って無いんだからね」


「……え?」


 会長はそう言って、優しく俺の頭を撫で続ける。それこそ本当に、犬を可愛がるように……。


「……ふふっ、冗談だよ。ただ、君が犬みたいで可愛いっていうのは、本当だけどね」


「勘弁してくださいよ、会長。……いや、頭はいいですけど……耳とか首とか撫でるのは、くすぐったいんでやめて下さい」

 

 会長は右手で俺の頭を撫でながら、空いた手で耳たぶをつまんだり、首筋を撫でたりしてくる。正直、くすぐったいんでやめて欲しい。


「いいじゃないか、これくらい。こうやって君に触れていると、すごく安心するんだ。君に触れていると、ボクの心はすぐにどうしようもない感情で埋め尽くされる。……けど、今はなぜか、凄く優しい気持ちになれるんだ。だからもう少しだけ、こうやって触れさせてくれ」


「…………」


 そんな風に言われてしまうと、俺に返せる言葉は無い。だから黙って、会長の掌を受け入れる。……それに思えば、踏まれたりするより、この方がずっとましだ。


「…………」


「…………」


 その後は、2人でただ黙ってのんびりと街並みを眺めた。とても、静かな時間だった。とても、心地の良い時間だった。会長がこの前見せた狂気なんて全部嘘で、今日の優しい会長が本物の会長なんだ。そう、思いたくなってしまう。


 でも、どちらが本当とかじゃなくて、どちらも会長の一部なんだ。だから俺は、そのことから目を逸らしてはいけない。




 ……そう分かっていた筈なのに、俺はどこか油断していた。



「ねえ、真昼」


「何ですか、会長」







「キスしても、いいかな?」


「…………それは……」


 膝枕されたままなので、会長の表情はよく見えない。……けれど、会長はきっと本気で言っているのだろう。それは、分かる。


 なら、俺は……。


「嫌だって言うのかい? 真昼。……でもボクはもう、我慢できない。君は……無理やりキスをしてくる女なんて、嫌いかもしれない。それは、分かっているんだ……。でも、どうしても……」


「……会長。俺は……嫌いになんて、なれないんですよ……」


 無理やりキスをされただけで嫌いになるのなら、俺はとっくに皆んなの事を嫌いになっているだろう。でもそうじゃ無い。そうじゃ無いんだ。


 だから俺は足掻いていて、でもここで拒絶する事ができないから、皆んなはどんどんエスカレートしていく。どこかで誰かを、拒絶しなければならない。どこかで誰かを、傷つけなければならない。それは、分かってる。



 でも俺は、怖いんだ。


 だから、俺は……。



「…………真昼……」


 そんなことを考えている間に、会長の唇がゆっくりと迫ってくる。俺はまた、どうするとこともできず、ただそれを……。


「…………会長?」


 ふと気づいたら、会長の唇は止まっていた。


「ふふっ、止まって欲しくなかったのかな? なら、このまま続けた方がいいかい?」


「……いや、そう言うわけじゃ無いんですけど……」


「この前は、無理やりしてしまったからね。今日は我慢するよ。……今日はね、君の方からキスをして欲しいんだ。君がキスしたいって思ってくれるような女に、ボクはなりたい。だから今は……お預けだね」


 会長はそう言って、ゆっくりと俺から顔を離す。ドキドキドキと、後になって心臓が早鐘を打つ。


「……ありがとうございます、会長」


「ふふっ、なんでそこでお礼を言うんだい? ……あ、でもそうだな。感謝してくれるというのであれば、ボクのことは会長じゃなくて、桃花と呼んで欲しいな」


「別にそれくらい、いいですけど……」


「なら、お願いするよ! 桃花さんでも、桃花先輩でも無く、桃花と呼ぶんだよ?」


「呼び捨てですか? それはちょっと……」


 年上を名前で呼び捨てるのは、ダメだと思う……んだけど、会長が気にしないのなら、別に構わないのか?


「…………桃花」


 だから俺は、意を決してそう呼んでみる。


「ふふっ。君は本当に可愛いね、真昼。君は、いつもいつもいつも、そんな可愛い顔ばかりする……! そんな表情をされると、ボクはどうしても……!」


 会長は、狂気に染まった瞳で俺を見る。それを見て、俺の心臓がまたどくんと脈を打つ。……けれど、いくら待っても会長が何かをしてくる気配は無い。


 だから俺はその間に、話をそらすような言葉を口にする。


「会長……じゃない。桃花。そろそろ……お昼にしませんか?」


「………………ああ、そうだね。そうしよう」


 会長は俺の言葉を聞いて、いつも通りの顔に戻って頷きを返してくれる。


 そうして、会長……桃花とのデートは続いていく。今日はなんの問題も無く、ただただ楽しいだけのデートになる。









 そんな訳ないのに、俺はやっぱり油断していた。この時の俺は、会長の思惑に何1つ気づくことができなかった。



 だからあの結末は、必然なのだろう。



 楽しいデートは、まだまだ続く。


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