遅かったですか?
「……買い物、本当にここでよかったんですか?」
「ああ。ボクはここが気に入っているからね。……あ、でももしかして、君はどこか別の所に行きたかったのかな?」
「いや、俺ももう一度ここに来たかったんで、ちょうど良かったです」
「……ふふっ、ありがとう。真昼」
あの公園で桃花の作った弁当を食べた俺たちは、この前来たショッピングモールに、もう一度訪れていた。今度は前みたいに、目的があるわけじゃ無い。だから2人でのんびりと、店を見て回る。
「あ、真昼。この前はこの店で、チョカーを買ったんだ。……もう一度、見ていくかい? 君が気に入ったものがあるなら、ボクがもう一度プレゼントしてもいい」
桃花そう言って、ペットショップを指差す。
「本当にこのチョーカーをその店で買ったんなら、流石に俺でも外しますよ?」
「ふふっ、やっぱり君の怒った顔は可愛いね。……でも、大丈夫だよ? それはちゃんと、人間用の店で買ったものだから」
「……なら、いいんですけどね。ただあんまり冗談に聞こえないから、びっくりしましたよ」
「それはそれで、ボクに失礼だよね」
そうやって2人で笑い合う。とても楽しい、時間だ。
「あ、このゲーム。新作が出てたんだ……」
会長はそう言って、ゲームショップの前で立ち止まる。
「ゲームですか? そういえば会長、ゲーム好きでしたよね」
「桃花」
「え?」
「会長じゃなくて、桃花だよ」
会長……じゃなくて、桃花は少し拗ねたような上目遣いで、俺の顔を覗き込む。あまりらしくない桃花の顔に、思わずドキッとしてしまう。
「……すみません。つい、いつもの癖で……」
「まあ、徐々に慣れてくれればいいだけど、もう少し気を遣ってくれ。……いやそれより、このゲーム買ってもいいかな?」
桃花は少し子供っぽい表情で、ゲームを見せてくる。
「……いや、俺に許可を取る必要は無いんじゃないですか? ……あ、でもそれ結構面白いですよ?」
「おや? 君はゲームとか好きなんだっけ?」
「いや、ゲーム自体はそこまで好きってわけじゃ無いんですけど……姉さんによく、付き合わされるんですよ。だから……」
「…………」
と、気づくと桃花は、少し鋭い目つきで俺の顔を見つめている。……何か、まずい事を言ってしまっただろうか?
「……どうかしたんですか? かい……桃花」
「いや、別になんでも無いよ。君がよく朝音さんと2人っきりでゲームをしているからといって、嫉妬なんてしないさ。ボクはそれほど、狭量では無いからね……」
と言う割に、桃花は少しご機嫌斜めだ。
「拗ねないで下さいよ。ゲームくらい、いつだって付き合いますから」
「……ほんとうに?」
「こんなことで、嘘なんてつきませんよ」
そんな俺の言葉を聞いて、桃花はニヤリと笑う。まるで、罠にかかった獲物を見るように、ニヤリと口元を歪める。
「ふふっ。今の言葉、ちゃんと聞いたからね? よしじゃあ、このゲームを今からボクの部屋で一緒にやろう。……まさか、嫌だなんて言わないよね? 真昼」
「…………」
はめられた。……のだろうか? いや、ゲームを一緒にするくらい、別に構わない。ただ、会長の家で2人っきりというのが少し……。
いや、今日の会長に特におかしなところは無い。なら一緒にゲームをするくらい、別に構わないだろう。今日の会長は色々と俺の気持ちを考えてくれているし、なら俺も会長を信じるべきだ。
「……ダメかな? 真昼。君がどうしても嫌だっていうなら、ボクは……」
「いや、構わないですよ。まだ日も高いですし、会長の家に行ってゲームをする時間くらいありますよ」
「ありがとう! 真昼。君のそういうところが、ボクはやっぱり大好きだ! ……じゃあボクはこのゲームを買ってくるよ」
そう言って会長は、るんるんとレジに向かって歩いていく。……けれどその途中、一度立ち止まってこちらを見る。
「真昼」
「なんです?」
「……今また、会長って言ってたよ?」
「あー、すいません。やっぱりまだ、慣れてないんですよ」
「……ふふっ。ならちゃんと慣れるまで、今日はボクの側にいてくれよ?」
……桃花はそう少し妖艶な表情で笑って、今度こそレジの方に向かって歩いていく。今日の桃花は、表情がころころと変わる。その中には初めて見る表情もいっぱいあって、その度に俺は少しどきりとさせられる。
「…………俺もまだ、桃花のこと全然知らないんだな……」
そうして、早めに買い物を切り上げた俺たちは、手を繋いで桃花の家に向かう。少し赤みがかってきた空。そんな遠い空を、2人で眺めながら歩く。そんな風に、のんびりゆったりと歩いて、桃花の住むマンションにたどり着く。
そして桃花の部屋に入った直後、桃花はいきなり俺に抱きついてきた。
「……桃花?」
「…………」
桃花は、なんの返事もしてくれない。ただ俺の身体を、強く抱きしめるだけ。
「…………何か、言ってくださいよ」
「………………」
それでも桃花は、なんの言葉も発さない。ただ黙って、俺に身体を預けてくる。……どうしたんだ? そもそも、何がしたいんだ?
そんな疑問ばかり思い浮かぶ。けど、結局俺には分からない。桃花が一体、なにをしたいのか。俺には本当に分からない。だから俺はただ黙って、桃花を受け入れることしかできない。
そして、静かに時間だけが流れる。1分しかない経っていないような気もするし、1時間経ったような気もする。なんだか、時間の感覚が狂う。ただドキドキと、心臓が跳ねる。桃花の感触が、ただ伝わってくる。
そんな風に時間が過ぎる。すると唐突に、桃花は口を開いた。
「真昼。…………ボクは、分からないんだ」
「…………どういう、意味です?」
俺はできるだけ平静に、そう言葉を返す。
「ボクは今、君をめちゃくちゃにしたいと思っている。この前みたいに君を足蹴にして……いやそれだけじゃ無い。もっともっともっと……! 君が嫌がることをして君の困った顔を、君の不安そうな顔を、君の可愛い顔を……ずっと見ていたいんだ……!」
「…………」
返せる言葉は無い。だからただ黙って、桃花の言葉の続きを待つ。
「……でもね、同時にこうも思うんだ。君と笑い合いたい。君と一緒にゲームしたい。君にまた、料理を作ってやりたい。……ボクの心はぐちゃぐちゃで、もうどうすればいいのか分からないんだんだよ……」
会長の言葉は続く。俺は、口を挟めない。
「……教えてくれ、真昼。ボクは一体、どうすればいいんだ……?」
桃花のはぎゅっと強く、俺を抱きしめる。その表情は、よく見えない。
……けど、俺は分かった。
今ようやく、桃花の気持ちが分かった気がした。
「そっか、同じだったんだ。……桃花、俺も同じなんですよ。心がぐちゃぐちゃして、どうすればいいのか分からない。色んな想いを感じているのに、どれもちゃんと言葉にできない。でもそれでもって、頑張って行動に移しても、後になって失敗だったんじゃないかって、後悔する。……同じだ。同じなんですよ」
そんな風に足掻いているのは、俺だけじゃ無いんだ。会長は最近、おかしくなった。今日の会長は、優しい。そんな風に表面ばかり見て、俺は会長の苦悩に気づいてあげられなかった。
……やっぱりバカだな、俺は。
皆の想いに向き合うなんて言っておきながら、それは結局、形だけだった。
「……ねえ、真昼」
「なんですか?」
「人を好きになるって、難しいね」
「……そうですね」
「でも、好きになったらどうしようもない無いんだ。……だからね、真昼。お願いだから、なんだってするから、どんなことでも耐えるから、今だけは……ボクを受け入れてくれないか? どうしようもないボクを、今だけは受け入れてくれ。……お願いだよ……」
「…………」
俺には、分からない。
受け入れるっていうのは、どういう意味なんだろう? こなまま抱きしめ続ければ、受け入れたことになるんだろうか? それとも、会長に足蹴にされても、ただ黙って耐えればそれでいいんだろうか?
それとももっと、会長の全てを受け入れなければ、彼女の想いに応えたことにはならないんだろうか?
そんな風に考えていると、ふと、思い出す。
『恋愛なんて好きになったら好きになって、嫌いになったら嫌いになるだけのものでしょう? 一体どこに、悩む必要があるのかしら』
芽衣子は確かに、そう言った。ただ相手を好きになればいいだけだと、彼女は簡単に言ってのけた。
……でも、
「……無理だよ」
「……え?」
「ごめんなさい、会長。今はまだ、無理です。今ここで、会長を受け入れてしまったら、きっと俺は他の場所で他の女の子も受け入れてしまう。そうやってズルズルと、その場限りのことをしていると、結局最後は皆んなを傷つけることになってしまう。だから……」
拒絶しなければ、ならない。姉さんの時も、摩夜の時も本当は拒絶するべきだった。でも俺は、できなかった。だってそれは、とても辛い事だから。
でも向き合うって決めたなら、俺はその痛みを受け入れなければならない。
「…………真昼……」
桃花は潤んだ瞳で、俺を見る。けれど俺は、決して目を逸らさない。
「ごめんね」
だから桃花のその言葉を、俺が聞き逃す筈は無かった。
「────」
桃花が、悪いわけじゃない。こうなってしまったのは、俺が遅かったからだ。俺が気づくのが遅かったから、桃花は自分を抑えられなかった。部屋に行って抱きしめられて、ようやく気がついた俺は、やっぱり遅かったんだ。
……だから悪いのは、桃花じゃない。
桃花の唇が、俺の口を覆う。拒絶するなら、突き飛ばさなければいけない。こういう行為は、付き合ってからにするべきだと、拒絶すればそれでいいんだ。
でも俺は、結局……。
時間が、ただ流れる。俺は何も、できなかった。
楽しいデートは、まだ続く。
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