天川さんは我慢です!
放課後。なんとなく、家に帰る気にはなれなかった俺は、普段通らないような道をのんびりと散歩していた。
「…………姉さん。摩夜。天川さんに、会長。俺は、どうすればいいんだろう……」
どうすれば、誰かを選ぶことができるのだろう? どうすれば、誰かを好きになれるんだろうか? ……俺には分からない。ただ家に帰ると、姉さんと摩夜がまた言い寄ってくるのは分かる。……それが別に、嫌なわけじゃない。ただ少し……疲れただけで。
「…………」
軽く、息を吐く。最近の姉さんのスキンシップは、本当に激しい。おふざけの範疇に、収まらないくらいに。そして摩夜は、そんな俺を守るように、いつも側に張り付いてくる。家に帰ると、そんな姉さんと摩夜にがんじがらめにされるようで、俺は少し1人になりたかった。
誰かに好意を向けられるのは、素直に嬉しい。……でも、皆の真っ直ぐな想いは、俺には少し重過ぎる。
「……そういや、摩夜の誕生日プレゼント。結局、まだ決められてないな……」
1人そう呟く。それは、ただの独り言。返事なんて返ってくるわけが無い。そう思っていたのに、背後から声が響いた。
「あれ? お兄さんじゃないっスか。こんなところで、どうしたんスか?」
振り返る。天川さんが、こっちを見ていた。
「…………こんにちわ、天川さん。俺は……ただ、少し散歩しているだけだよ」
いつのまにか、背後に天川さんが立っていた。……きっと、偶々この辺りを通りかかっただけなのだろう。
「こんにちわっス! そうなんスね、散歩ってことは、あたしと一緒じゃないっスか。……もしよかったから、ご一緒させてもらってもいいっスか?」
「……ああ、構わないよ」
無論、俺は断れない。断る理由が、何1つとして思い浮かばないから。
「ありがとうございます。いや〜、お兄さんとは、いろいろ話しておきたいことがあったっスから、ここで会えて本当によかったっス」
「そうなんだ。なら、よかったよ」
「はい。……お兄さんは人気者でいろんな人とデートされてますから、あたしなんかじゃ中々会えなかったんスよねー」
天川さんは、見透かすような目で俺を見る。俺はそれに、努めて冷静に返事を返す。
「……話したいことがあるんだろ? それってなに?」
「ふふっ。先ずは、摩夜のことっスかね。…………お兄さん、知ってますか? 摩夜、部活やめちゃったんスよ」
「は?」
予想外の言葉に、驚きの声がこぼれる。
「摩夜、あんなに部活頑張ってたのに、今日突然『もうこんなことに、時間をかけてられないの』そう言って、退部届を押しつけて帰っちゃたんス」
「…………」
俺は、驚きのあまり言葉を返せない。摩夜が部活を辞めた? あんなに頑張っていたのに? あんなに、才能があったのに? ……もしかして、俺のせいか? 俺が、ちゃんと誰かを選ばなかったから、摩夜は……。
「ま、そういうあたしも、部活、辞めたんスけどね」
天川さんは何でもないことのように、そう簡単に言い捨てる。
「辞めたって……天川さん、それは……」
「そんなに驚くことじゃないっス。お兄さんだって、中学まで頑張ってたバスケ、辞めちゃったじゃないっスか。同じっスよ」
「…………」
同じ、なのだろうか? 確かに俺は、高校に入ってバスケットを辞めた。でもそれは、俺なりにケジメをつけたかったからだ。2人みたいに、こんな唐突に……いや、理由はどうあれ辞めてしまった俺が、2人にとやかく言える筋合いは無い。
……いや、辞めたんじゃなくて逃げたのか、俺は。
「摩夜、言ってたっス。お兄さんは、本当はバスケを続けたかったのに、両親が家を空けがちで、自分やお姉さんに料理を作ってあげないといけないから、部活をやれなかったんだって」
「それは……違うよ。そこまで俺は、思い上がってないよ。俺が居なくても、姉さんや摩夜なら料理くらい何とかする。俺はただ……」
「大丈夫っス。あたしは、分かってるっス。お兄さんが部活を辞めた本当の理由……あたしはちゃんと、知ってるっスから。……摩夜だって知らないお兄さんの秘密……あたしはちゃんと、知ってるから……」
天川さんが俺を見る。爛々とした瞳で、俺をただ見つめる。まるで俺のことなら何でも知っていると言うようなその瞳に、俺は少し恐怖を覚える。
「だから、大丈夫なんスよ。あたしも摩夜も、部活なんかより、もっとずっと価値のあるものを見つけられたんスから。逃げた訳じゃ無い、捨てた訳じゃ無いんス。ただより価値のある方に、進んだだけ」
「…………」
そんな風に言われると、俺に返せる言葉は無い。学生は部活をやるべきだ、なんて押しつけは自分勝手な独善でしかない。2人が自分の意思で決めたのなら、俺はそれを尊重するべきなのだろう。
「ふふっ。じゃあ、話を次に移すっス。というか、次が本題っス。来週、摩夜の誕生日じゃないっスか。それで、摩夜のために誕生日パーティーを開いてやろうと思うんスけど……お兄さん、協力してもらえないっスかね?」
「それは……別に構わないけど……」
「やったっス! 摩夜とあたしと、お兄さんとお姉さん。その4人でパーティーをするっス! 本当はもっと人数を集めたいんスけど、摩夜は人見知りっスから、それくらいが丁度いい筈っス。 ……お兄さんも、そう思うっスよね?」
「…………」
……どうなんだろう? 今その4人でパーティーをすると、とんでもないことになりそうな気がする。……でもじゃあ他にどうするんだ? と考えても、代案は浮かんでこない。
「あれ? お兄さん、もしかして嫌なんスか?」
「……いや、嫌ではないよ。ただ……まだ摩夜へのプレゼント買えてないなって、そう思っただけ」
「そうなんスか? あたしはもう、だいぶ前に買ってあるっスよ?」
「へぇ、準備がいいね。何を買ったの?」
「それは……内緒っス」
天川さんは笑う。どこか含みのある表情で、天川さんは笑う。
「……ま、なんにせよ。誕生日パーティーは、分かったよ。俺の方から姉さんにも話しとく。料理とかその辺の準備はこっちでするから、天川さんはあまり気を遣わなくてもいいよ」
「了解っス。あたしもお兄さんの料理、楽しみにしてるっス!」
「…………」
天川さんは、ようやく普通の笑顔を浮かべる。この笑顔だけ見るなら、可愛い後輩なんだけどな……。
「じゃあこれで、あたしの話はお終いっス」
「そう。じゃあそろそろ、家に帰ろうか。天川さんも、あんまり遅くなるといけないからね」
「そうっスね」
2人、連れ立って歩く。夕暮れの街を眺めながら、ただとりとめのない話をする。それだけならきっと、楽しい時間だったのだろう。
「あ、自分は道、向こうっス」
そして、しばらく歩いた後、天川さんは俺の方を見てそう告げる。
「じゃあ、今日はこれでお終いだね。……またね、天川さん」
俺は軽い笑顔とともにそう言って、天川さんに背を向ける。……でも天川さんはそれを止めるように、俺の腕を掴んだ。
「…………ちょっと、ちょっと待って欲しいっス」
天川さんはどこか小動物のような上目遣いで、こっちを見上げる。
「……どうかしたの?」
……俺はいつも通りの声で、そう尋ねる。
「ちょっとだけ、ちょっとだけお願いがあるんス。…………その、あたしの頭を……撫でてくれませんか? ハグしてくれとか、キスしてくれとか、お兄さんにそんなことは頼めないっス。お兄さんはあたしにとって、神様みたいな人っスから……」
天川さんは一歩こっちに踏み込む。俺は黙って、言葉の続きを待つ。
「でもね、ちょっとでいいから触れて欲しいって、そう思っちゃうんス。本当に、ちょっとでいいんス。ぽんぽんって、頭に軽く手を置いてくれるだけでいいんス。…………ダメっスか?」
「…………」
姉さんは、毎日のように抱きついてくる。摩夜とは一度、キスをした。そして、会長は今日……。そこまでしている俺が、この子の頭を撫でるくらい、別に問題は無い筈だ。……いや、それとも逆に、そこまでしている俺だからこそ、ここで触れるべきでは無いのだろうか?
……俺には、分からない。
「……やっぱり、無理っスよね? いや、当たり前のことっス。……無理言って、すみませんっス」
天川さんはそう申し訳なさそうに、頭を下げる。…………俺はだから、軽く息を吐いてから、その頭に手を伸ばした。
「……あ」
ほんの数秒、軽く頭を撫でてやる。それだけのことで、天川さんは天にも登るような表情を浮かべる。
「……これでいい?」
「はい。大満足っス。あたしはこれだけで、もう十分っス」
「ならよかったよ」
「…………はい。じゃあたしは、これで本当に失礼するっス」
天川さんはふらふらとした足取りで、歩いて行く。その足取りを見ていると少し心配になるけど、きっと天川さんのことだから大丈夫なのだろう。あの子は見た目ほど、やわじゃない。
「……帰ろう」
そう呟いて、俺も歩き出す。摩夜の誕生日、本当にどうしようか? そう頭を悩ませながら。
「ダメっス。ダメっス。ダメっス。ダメっス。ダメっス。ふふふふふふふふふふふふふふっ! ……落ち着かないと、本当にダメっス……!」
天川さんは1人、狂気じみた笑みを浮かべる。その笑みの意味を、俺はまだ知らない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます