お姉ちゃんは優しいです!

 


「おっかえりー、真昼! 待ってたよー!」


 家の扉を開けて、1秒。ただいま、と口にする暇もなく、叫び声を上げた姉さんに抱きしめられる。


「……ただいま、姉さん」


 俺はできる限り普段通りの声で、そう言葉を返す。


「お帰り! 真昼! 会いたかったー」


「…………」


 姉さんはまるで、外でついた匂いを自分の匂いで上書きするかのように、強く強く俺を抱きしめる。


「……ねえ、真昼。1つ聞いてもいい?」


「なに?」


「今日も、私以外の女の子に触れてきたでしょ?」


「…………」


 姉さんはより強く、俺を抱きしめる。そして俺の首元で、背筋を這い回るような笑い声をこぼす。


「ふふっ、どうしたの? 黙っちゃって。……別にいいんだよ? 真昼はモテちゃうから、女の子と仲良くしちゃうのは仕方ないことだもん。……でもね? だからこそ、他の女の匂いは、ちゃんとお姉ちゃんの匂いで上書きしないと、ダメでしょ?」


「……何を言ってるのか分からないよ、姉さん。それより、いつまでも抱きついてたら家に上がれない。……今日も一緒に、夕飯作るんだろ?」


「…………」


 俺の言葉を聞いて、姉さんは何かを考えるように少し黙り込む。けどすぐに、にぱっと笑ってゆっくりと俺から手を離す。


「そうだね。いつまでも抱きついてたら、ご飯食べられないもんね」


「当たり前だろ? そんなの」


「うん、そうだね。……あ、でも今日はお夕飯は作らなくても大丈夫だよ? 今日はね、摩夜ちゃんが早く帰って来て、お兄ちゃんに美味しいご飯作るんだーって、張り切ってるから」


「……そうか。だったら、手伝……わない方がいいのかな? 俺の為に頑張ってくれてるんなら、任せた方が摩夜も嬉しいだろう」


 部活を辞めてまで、摩夜は俺の為に頑張ってくれている。なら今の俺にできることは、その料理をできるだけ美味しく食べてやることだけなのだろう。


「うん。その方がいいよ。摩夜ちゃん、すっごい怖い顔でお料理してるから。……だからね、摩夜ちゃんの料理ができるまでさ、私の部屋でゆっくり待ってようよ? いいでしょ?」


「…………そうだな。ちょうど姉さんと話しておきたいこともあったし、そうしようか」


「うん! やった! じゃあ先に部屋で待ってるね!」


 姉さんは楽しそうに肩を揺らしながら、自分の部屋に戻って行く。俺は軽く息を吐いてから、その背を追った。



 ◇



「それで? 話ってなに? エッチなこと? お姉ちゃんとエッチなことしたいって、そういう話だよね?」


 姉さんはベッドに腰掛けて、どこか妖艶な笑みを俺に向ける。


「……違うよ、姉さん。……もうすぐ摩夜の誕生日だろ? だからその日、摩夜の友達もよんでパーティーでもしないかって、そういう話」


「……なんだ、そんな話か。…………あー、でも、うん。パーティーか……うん! 楽しそうだね! パーティーいいじゃん、やろっか!」


「姉さんなら、そう言ってくれると思ったよ」


「そりゃ私は、楽しいことはなんだって大好きだからねー。……あ、じゃあ真昼、またあの変なコスプレするの? 今度はなにするのかな? ヨーグルトとか?」


「……あ」


 そういえば、考えてなかった。最近いろいろあったから、そこまで気が回ってなかった。どうしよう? パーティーにコスプレは必須なのに……今から作ったんじゃ、間に合わないぞ。


「あれ? もしかして、忘れてたの?」


「あー、いや、うん。……どうしよう? 今から作った方がいいかな? 摩夜も期待してるだろうしなー、ヨーグルト」


「……本気でヨーグルトを作る気なんだ……。あーいや、別にいいと思うよ? 作らなくても。それより真昼が腕によりをかけてお料理してくれた方が、きっと摩夜ちゃんも喜ぶよ!」


「……そうかな? …………いや、そうだな。今から完成度の低いものを仕上げても、摩夜に失礼だろうし……今年はやめておくか」


 となるとやっぱり、その分も補えるような、何か凄いプレゼントをしてあげたいな。……ほんと、どうしよう?


「…………」


「ね、真昼。考え込んでいるところ悪いんだけどさ、ちょっとお姉ちゃんもね、話しておきたいことがあるの。いい?」


「いいよ、なに?」


 俺は軽い気持ちで、そう言葉を返す。姉さんはそれにいつも通りの楽しそうな笑顔で、当たり前のようにその言葉を口にする。








「真昼がキスしたのって、摩夜ちゃんだよね?」






「────」



 声が、出なかった。まさかここでそんなことを問われるなんて、思いもしなかったから。


「あれ? 驚いてる? バカだなー、真昼は。私はお姉ちゃんなんだよ? だから、弟のことはなんでもお見通しなの。当然でしょ?」


「…………」


 姉さんはあのデートごっこの時、確かに言った。『キスしたことあるんだね』と。でもその相手が摩夜だなんて、俺は今まで一度も言ったことは無い。


 ……しかしそれでも、姉さんには分かってしまうのか。やっぱりちょっと、姉さんは怖い。


「大丈夫だよ? 別に真昼を責める気は無いの。摩夜ちゃん、ちょっと強引なところがあるからね。どうせ、無理に迫られたんでしょ? お姉ちゃんはちゃんと、分かってるよ?」


「いや姉さん、あれは……」


 あれは単なる夢だなんて、摩夜の気持ちを知った今では、言える訳もない言葉だ。でもだったら、俺はなにを言えばいい? 今ここで俺は、一体なにを言えばいいんだ……。


「そんなに悩まなくても、大丈夫だよ? 私は全部わかってるから……だからね、真昼……」


 姉さんは、笑う。こちらに溶け込んでくるような甘い笑みで、優しく笑いながら告げる。




「私にも、キスして」



 姉さんは目を瞑り、俺が……キスするのを待つ。両手を広げて、自分自身を差し出すかのように、ただ待つ。


「姉さん、それは……」


 でも俺は……それに応えることはできない。だって俺はあの時、誰も選ばなかったんだ。だったら今更ここで、姉さんにキスする訳にはいかない。


「…………」


 でも姉さんは、俺を待っている。……どうすればいい? どうすれば姉さんは、分かってくれるんだ? それを必死に考える。……でも俺が口を開く前に、姉さんは言った。


「………………ふふっ、なんてね。冗談だよ? こんな空気で初めてのキスなんて、流石の私も嫌だもん。今のはただちょっと、真昼を困らせたかっただけ」


 姉さんはゆっくりと目を開いて、こっちを見る。笑っているのか怒っているのか、どちらともとれる表情に、俺は上手く笑みを返せない。


「…………だよな。流石に姉さんでも、ここでキスなんてしないよな」


「うん、今はまだしないよ。初めてのキスは、もっともっと雰囲気を作って、するべき時にちゃんとするから……」


 姉さんは笑う。楽しい未来を想像した時のように、姉さんは笑う。


「……ならそろそろ、行こうか。もうだいぶ時間も経ってるし、摩夜の料理もできてる頃だ」


「うん、そうだね。摩夜ちゃんは時間をかけたら、すっごく美味しいものが作れるし、私も楽しみだなー」


 姉さんは楽しそうな笑みを浮かべて、肩を揺らしながら部屋から出ていく。俺は疲れたように大きく息を吐いてから、その背中を追った。



 ◇



 夜。誰もが寝静まっている深夜。笹谷ささたに 朝音あさねは、おもむろにベッドから起き上がり、ゆっくりと足音を立てないように部屋を出る。そして慣れた手つきで、弟の笹谷ささたに 真昼まひるの部屋に踏み入る。


「ふふっ。真昼、可愛い。すっごく可愛い顔で寝てる。…………本当に、可愛い……」


 朝音は蕩けるような笑みを浮かべて、真昼の方に近づいていく。まるで獲物を前に舌なめずりする、肉食獣のようにゆっくりとゆっくりと、距離を詰める。


「可愛い、首筋。食べちゃいたい……」




 そして朝音は、ニヤリと笑ってキスをする。




 当たり前のように、真昼の首筋にキスをする。真昼が起きないようにゆっくりと優しく、それでもちゃんと跡が残るようにしっかりと、吸い付く。


「…………美味しかったぁ……。これで真昼は私のだって、他の女もちゃんと分かるよね? ふふっ。唇へのキスは、今度起きてる時にちゃんとしてあげるからね?」


 首筋に残る痣を満足気に眺めて、朝音は部屋を後にする。


「………………ふふっ。それにしても、摩夜ちゃんの誕生パーティー、楽しみだな……。皆んなが集まるパーティーなんて、本当にちょうどいい機会だよ。……そこで真昼が私のだって、ちゃんと皆んなにも教えてあげられんもん。……ふふっ」


 静かにゆっくりと、時は流れる。そして明日。波乱万丈の摩夜の誕生日パーティーが、幕を開ける。


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